見出し画像

家でぼーっとしたまま人生が終わりそう2020.3.26

ちょっと書かないでサボっていたら、あっという間に1週間経ってしまった。書きたいことがなかったわけではない気がするのだけど、一度サボってしまうとリズムを取り戻すのが大変だ。

ぼーっとしている間に、桜が咲いて春に浮かれた人々が外に繰り出し、感染者数は拡大し、オリンピックは延期され、そして東京は外出自粛になった。ここまでの流れがほんの数日しか経っていないというのが信じられない。3連休は友人の引っ越しに付き合ったり、家電を見に行ったり、ソファを買ったり、銭湯に行ったり、デパ地下でお弁当を買ったり、ごく普通の生活をしていたんだけどな。

今週も仕事はほとんどリモートでしていて、ほぼ家から出ない生活をしているのもあって、だんだん1日1日の境界がよくわからなくなってきている。時間感覚がおかしくなっていて、今週に入っていつ何をしたのかまったく思いだせない。

世界が大変なのは頭では理解しているけど、自分の生活は家に引きこもっている状態がデフォルトなのであまり変化がなく、世の中の状況をどこか他人事みたいに眺めている。まあ、去年までの4年間ずっと仕事としてニュースを見ていた時も、世の中の出来事が自分ごとになる瞬間なんてほとんどなかったんだけど。

世界と自分とのあいだにすっと薄い膜が張っているような感覚。それが仕事として情報に触れてきてしまった結果なのか、もともとそういう感受性と当事者意識が低いのか、今となってはもうよくわからない。子供の時からずっとそうだったような気もする。

そんな鈍い感性のわたしでも、なんだかんだで自分でも気付かないところでストレスが溜まっているのか、今週はなんとなくずっと体調が悪い。熱が出るわけでもなく、これといった症状もないのだけど、頭が働かずにずっとぼーっと過ごしてしまった。このタイミングでどっと熱が出たりしたらさすがの私でも「コロナウィルスに感染したのかも!?」と不安になって当事者意識が芽生えるだろうか。どうだろうな。

「自分は病気にかからないだろう」とか、「死ぬようなことにはならないだろう」という考えが、単なる生存者バイアスだということは知っている。だけど、とりあえず無事に生存し続けていられる間は、そのバイアスを手放すことなんかできないのかもしれない。まあ大丈夫でしょ、そのうちなんとかなるでしょ、とぼーっと家で過ごしているうちに、運悪く未知のウィルスに感染した結果ぱたっと死んじゃったりするのかな。きっとするんだろうな。その時に私は、このぼーっと生きた一週間を後悔するんだろうか。だとしたら、いったい何をしていたら、ぽっくり死んだ時に「まあしょうがないか」と思えるんだろう。

家で大人しくしていろ、というのはわたしにとっては何も難しいことではないのだけど、危ないのは、このままぼーっとし続けていると、もしそのままぼーっと死んだとしても「まあしょうがないか」って思うようになってしまいそうなことだ。最近、この覇気のない人生に慣れてしまっている自分がちょっと怖くもある。闘争心や生命力をもうちょっと持ちたいと思っているのだけど。

できれば、ウイルスにかかって死を意識した結果生きてる時間の貴重さに気づく、みたいな過激な体験ではなくて、平和な日常の中で充実感を持っていきたい。こんなネガティブ思考に支配されるのも、きっとこういう世の中の空気に少なからず影響されているからだと思う。

早いとここの騒動が収まって平常に戻りますように。

たのしいものを作ります