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「私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」東京都現代美術館

2022.09.22@東京都現代美術館

「私の正しさは誰かの悲しみあるいは憎しみ」というタイトルそのものに惹かれ、足を運びました。

大久保あり/工藤春香/高川和也/良知 暁 

現代に潜む善悪の輪郭について。バックグラウンドの異なる人間同士は向き合えるか。差別問題に対して当事者意識を持てるか。「言葉」の存在によって得られるもの、忘れられるものついて。

▽best
高川和也《そのリズムに乗せて》


高川和也

日記のことばをラップに変換して表出することで、ことばの存在をあらたな形にし、自己解放を試みるという映像作品。

言葉にすることで、その言葉通りの自我が強化される

言葉にすることで、存在するはずの言外の思考が見えなくなる
映像内のインタビューから(記憶を元に)

何かとメモをとる習慣があるため、上記のことには思い当たる節がありました。
なんらかの不安を感じたときや、あいまいな気持ちを整理したいとき、言語化を第一手段としているのですが、それがかえって自分を限定的な場所に押し込めている側面は確かにありそうです。

またラップ内で「欲望したい」というフレーズを繰り返すシーンも印象深かったです。
というのも近頃、無気力を無欲ということばで美化しているのでは?と自問しているからです。


工藤春香

相模原殺傷事件などをもとに、障がいを持つ方たちが今までたどってきた歴史や社会課題をテーマとしたインスタレーション。

中でも手描きのメモが心に残っています。

たとえ同じものを見ていたとしても、あなたが見る景色を私は決して見ることができない、また私が見る景色をあなたは決して見ることができない
小さな手描きのメモに記されていたことば(記憶を元に)

どんなに一緒にいても分かり合えないと感じる人たちのことが頭をよぎりました。


大久保あり

自身の過去作品を再構成し、あらたな物語の編纂を試みた作品群。

展示空間は動線があいまいな作りになっており、時間軸が複雑に絡み合っていました。「記憶」を再構成するのに、マテリアル感が強いものがたくさん置かれていたのが印象的でした。
私とって記憶とは、半透明で溶けた輪郭を持つものだからかもしれません。


良知暁

読み書き発音の差によって不当に区別された人々の歴史にスポットを当てたインスタレーション。

作品数が絞られていたため、スペースの広さを感じると同時に、自分の存在の小ささが強調されるような空間になっていました。
立ち止まって考えなさい、ということなのか、停止した時間を示す作品がありました。
止まった時を表現するのに、広い無の空間が効果的な意味を持っていたように思います。


現代系のインスタレーションに関しては頭上に疑問符を浮かべて終わることも多いのですが、このたびはそうはなりませんでした。
4名の作品すべての根底に「自己と向き合うこと」があるように感じました。
そのメッセージ性の強さのおかげで腑に落ちたのかもしれません。


現代美術に関しては大学で授業を受けていたのですが、ついぞその構造を理解できないまま卒業してしまいました。

「きみたちの中から傑出した現代美術作家は出ないだろう。なぜなら、アカデミックに染まった教育機関(美術大学)に通っているからだ」

という、皮肉とも取れる教授からのメッセージが一番の思い出です。

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