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田園調布で借りた部屋:寿司折の思い出

今もたまに東京に行くことがあるのだけれど、
久しぶりに武蔵小杉から目黒線に乗って、田園調布を通った。
田園調布駅に関西寿司のお店がある。
20代に、借りていた部屋の大家さんが差し入れてくれた寿司折のことをふと思い出した。(写真はイメージですが、こんな感じだったような)

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今から20年以上前の話。
田園調布の近くに部屋を借りたことがある。

社宅として夫の会社が借り上げてくれていた千葉の公団マンションから引っ越すことになった。

夫が転職したのだ。

私も派遣社員から正社員の仕事を探していた頃で、お互い新しい仕事に就くことになった。あの頃はまだ「転職」ということが珍しい時代だった気もする。

お互いの勤務地への交通の便がいい場所、というのもあったけれど、自由が丘、田園調布という場所に住んでみたいという気持ちがあった。
ありがちだけど、地方出身で、都内はあまり知らないし、どうせなら憧れの場所に住んでみたかったのだ。

その頃、収入も不安定で、予算はそんなになく、見つけた部屋は築30年以上の確か2Kのアパートで和室の部屋。
自由が丘、田園調布どちらの駅も使うことができたのが決めた理由の一つだった。
同じアパートには小さい子供がいる家族と、学生さんが姉妹で住んでいた。

同じ敷地内にお家がある大家さんがとてもいい人で、防犯上も今まで問題がまったくない物件ですよ、という不動産屋さんの言葉に納得してその部屋を借りることにした。
今では珍しいけれど、毎月家賃を大家さんのところに持って行くスタイル。
大家さんを訪ねるたび、いろいろと困っていることはないかと話を聞いてくれたり、食べたことのない美味しいお菓子をいただいたり、都会に慣れていない私にとってはホッとする時間だった。

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夫婦それぞれ新しい仕事を始めて、期待に胸ふくらませていたところに、そこに住んでいた1年は私にとって試練の時期となる。
私は新しい仕事でストレスを抱えすぎて、心身ともにギリギリの状態になってしまったのだ。
多分それまでで一番しんどい時期だったかもしれない。

私は結局その仕事を辞めて、1ヶ月ほど部屋にほぼ引きこもりになっていた。
友人がランチやお茶に連れ出してくれたり、電話をかけてくれたり。
後で「あのころは本当にひどい状態だったわ」とよく言われる。本人にはあまり記憶がなく、ただ外に出かけるのがすごくしんどかった。

ある日、部屋で留守電の赤いランプに気づいた。いったい何日前からついていたのか、、、5件、同じ人からのメッセージだった。

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ボタンを押すと、「あのー、以前登録いただいた人材会社の〇〇です。紹介したい仕事があるんでー、履歴書をすぐに送ってください」という内容。

「こんなに具合が悪いのに、履歴書なんて書けるわけないじゃん」と思いながらも、言われるとつい履歴書を書いて送ってしまった。きっと今よりもしんどいことはないにちがいない、とも思った。

そして近所のカフェに普通に出かけられるくらい回復した頃、帰りにポストに入っていたチラシを見つけた。

歩いて15分くらいのところに建つ予定のマンションの広告だった。

もともと住宅設備機器の営業をしていたので家の図面を見るのが大好きな私は、そのパース図や間取りに一目惚れしてしまった。
夫にその広告を見せ、ちょっと説明会に行くだけ行こうよ、ともちかけたのだ。

そして留守電のメッセージを聞いたおかげて履歴書を送った会社は、翻訳の仕事で正社員になった。今でも本当に不思議なのだけど。

マンションの説明会に行ったら「残り1部屋ですよ!」と言われ、私の正社員の仕事も決まったし、なんと思い切って購入することにしてしまった。
今思えば、貯金もないのによく決めたと思う。

そして、大家さんご夫婦に退居の連絡をした時、まだ1年くらいだったし、急な退居だったにもかかわらず、

「いやぁ、20代でマンションを買うなんてすごいことだよ。頑張るんだよ。」と言って快く笑顔で送り出してくれた。

引っ越しの日までバタバタで、引っ越し屋さんが来る時間に荷造りが果たして間に合うのか、というような状態だった私たちに、

お昼に大家さんが、あのお寿司の折り詰めを差し入れしてくれたのだ。

それを食べながら、なんだかありがたくて涙が出そうになった。

若かったとはいえ、自分勝手で、決していい店子じゃなかったであろう私たちに、こんなによくしてくれたことがとても嬉しかった。
東京は怖いところだ、と思ったこともあるけど、そうやって知らない街で、そっと背中を押して応援してくれるような人に会えたことはすごく幸せだったと思う。

今度、東京に行ったら、あの同じ寿司折りを久しぶりに食べてみようと思った。

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