結婚は社会貢献

YouTubeで五井昌久先生の談話がたくさんアップされているので、ほぼ毎日見て(聴いて)います。※信者ではありません。

どれも、もっともだと思う内容で、徹頭徹尾世界人類の平和を祈る一貫した姿勢は、感嘆します。

世界人類の平和は日本にかかっているという主張は、どうして日本人がそこまでしなければならないのか、辺境の島国でのんびり人生送るつもりが、えらいこっちゃ、という心境です。

自己犠牲と生け贄の違いを、筆者はこれまで主張してきました。
あらゆる血みどろの争いの根底には、この混同があると思っています。

その筆頭が宗教で、混同したままのほうが都合がよい人たちによって維持され、それに追随する大多数で構成されています。
この混同について言及すると、ガンジーの格言にあるように、はじめは無視し、次に攻撃します。
彼らは、よくわからないままにして、群れていれば安心と思っているので、その前提が崩れてしまう考えは危険視します。しかし、混同したままでいるほうがよっぽど危険です。

これは、キラキラゆるふわスピリチュアルにも同じことが言えます。

何が問題なのかというと、心の底から同意した上での行動か、あるいは、そう思わされてそれに従っているだけなのかという違いです。

結婚は、この混同が及ぼす影響が顕著に現れやすいのではないかと思います。

五井先生は談話の中で、”結婚は社会貢献のためにするもの”とおっしゃっています。これは、自己犠牲と生け贄の区別をはっきりつけるためのひとつの指標ではないかと思います。

そもそも、世界に先駆けて次元上昇する日本は、世界人類に貢献するという使命があるので、その国の法律において結婚することは、高い精神レベルが要求されます。

毎日継続する行為は、心掛けが非常に重要になります。

”やっと探していた人に巡り会えた”相手というのが、既存の価値体系の刷り込みによる錯覚でそう見えているだけなのかどうか、自分の内側の声を聞いて一旦確認しないと、その結婚は、ハイパーエクストリーム苦行になってしまいます。

”こんなはずではなかった”ということになるのも、認識できていないだけで、そういう状況を潜在意識では望んでいたということなので、自分で蒔いた種を自分で刈り取るという言葉は、結婚についてよく当てはまると思います。

他者の意見よりも、世界人類の一員としての内なる自己の意見を尊重しましょう。

結婚することによって、世界人類の平和に貢献することができるのか?

世界人類の平和に貢献できる!

という確信が自己の内側から発せられるかどうか確かめてください。


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