“プロビデンスの目”とプラトン“洞窟の比喩”

6のサイクルによって運営される物質領域において身体を伴う生命活動は行われ、そこで体験する出来事が通常、“現実”として認識されます。

古代ギリシアの哲学者プラトン(紀元前427年 - 紀元前347年)は、“洞窟の比喩”によって、“現実”認識の仕組みを解説しています。

画像1

“洞窟の比喩”を図にするとこんな感じです。
囚人が繋がれている壁は、マインドによってもたらされる想念形態です。

マインドは境界線を定め、認識できる領域を制限します。
認識を制限されている状態が囚人です。

囚人の繋がれている壁の後方にあって見ることができない炎は、ハートからもたらされるリアリティであり、実在が全ての存在に対して放つ永続する生命エネルギーです。

壁に繋がれた囚人それぞれの内に、その炎は埋め込まれています。

その炎が元々は同じであることを知らずに、個別のものとして、マインドというフィルターを通して投影される“プロビデンスの目”によって映し出される映像にリアリティを注ぎ、反応することで、現象界でのエネルギー活動を“現実”として体験しています。

そういった体験を連続したストーリーとして認識するための入れ物がタイムラインという虚構です。囚人それぞれに埋め込まれた炎をその虚構に注ぐことで、それぞれがそれぞれの人生を認識しています。

現象界を運営管理する“プロビデンスの目”は、マインドによって定められた領域に視界を制限しています。
囚人は、見たいものしか見ていません。

さて囚人のうちの一人が、拘束を解かれ、これまで視野に入らなかった壁の後ろを見ることができるようになりました。

自己の内にある炎と同じ炎に導かれ、洞窟の外へ向かうと、永続する生命エネルギーが全方向に光を放っています。
その光景に、これまでの洞窟に慣れた目は耐えきれず、再び洞窟へと戻ってしまいます。
要するに悟ったが解脱には至らなかったという段階にいる人々です。彼らはもはや囚人ではないので、再び壁に繋がれることを望まないでしょう。

現象界を運営する“プロビデンスの目”の配下に入るか、壁に繋がれている囚人を解放するか、二つに一つです。

前者は、優遇されたタイムラインを用意され洞窟でずっと過ごします。
後者は、無視され、笑い者にされ、迫害されるなど散々な目に遭いますが、洞窟の外の実在と一体になります。

前者が好待遇で過ごせるのは、洞窟から出られない囚人がいるおかげなので、囚人にも少しはいい思いをさせて、洞窟にずっと留まりたいと思わせるようにします。

囚人を解放するために活動する後者は不利な立場に追い込まれます。しかし、後者には実在と一体の光が宿っています。それは、囚人を繋ぎ止める壁を一瞬で消滅させることができます。

実在に至ることができなかった前者は、壁に繋がれていなくても、壁を失くすことはできないのです。壁によって利益を得ているからです。

だから前者は、同じように後者が壁に依存するように仕向けます。洞窟の中でいい思いを味わう仲間に引き入れようとします。

同じ段階にある前者と後者の態度は、“プロビデンスの目”によって、真逆になります。
この両者の攻防が、アセンションの主要テーマであり、毎回、文明の崩壊はその失敗によって引き起こされています。

つづく。





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?