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お客様との関係

ラウンジやクラブのようなところは、キャバクラに比べて、お客様との付き合いが長い。

私が働いていたころは、2000年初頭。
もちろん携帯電話は高校生も一人一台持っていたし、Windows XPの発売が2001年だから、パソコンもそれなりに普及している。

それよりも前の時代は、ホステスは会社にハガキを出したり、
お中元やお歳暮を会社に送ったし、営業電話を会社にしたりしていたらしい。

私の時代は携帯だったけど、まだハガキの文化は残っていた。
今もきちんとそういった文化を継承しているところもあると思うし、
現に最後に働いた老舗のスナックではまだお中元やお歳暮も自宅や会社に送っていた。

昔はお客様との付き合いは長いもので、奥様やお子様なんかも、
一緒にいらっしゃることもあり、何十年も続く関係だったそうだ。

ホステスを育てるためにお金を使っていた話もよく聞いていた。
江戸時代なんかの妾制度や遊郭の名残だろうか。
長くやっているお店はそんなお店もまだあるだろうし、
スナックでも老舗であれば、お客様との付き合いは長期間に及ぶ。

時代背景が大きく関係することではあるけれど、
お客様は裕福で、ホステスは奥様たちの嫉妬の対象ではなかったのではないかと思う。もちろん、人によるだろうけど。

そんな文化を大きく変えたのが、
キャバクラというものの登場だったんじゃないだろうか。
1980年代半ばに誕生したらしいけど、
1990年代後半、バブル崩壊後に各地に現れたのではないかと思う。

時間制でリーズナブル。1対1の接客。
ママのような存在がいないことも多く、オーナーはほとんど男性で、
金儲一色の商売だ。
だからこそ、お客様との関係が短期間になる。

同じ水商売ではあるけど、クラブは文化的な要素が多く、
キャバクラはエンターテインメント要素が強いのではないかと思う。

育てる面白さと一夜限りの面白さ。

バブル崩壊後の日本は育てる面白さを楽しむ余裕がある人は減って、
時間を掛けず、簡単なものだけを好むようになったのだろう。

そして、その頃は、ITバブルの頃でもある。
それまでの裕福層のように、世代を繋いできた家柄、
戦後の何もない時代から時間をかけて成り上がった人たちとは全く違う、
速いスピードで一攫千金を叶えた人たちだ。

六本木でモデル級の美女を隣に遊び明かす。
こういう人たちには、まどろこっしい付き合いのないキャバクラの方が、
お好みだと思う。

水商売のカタチは、如実に時代を反映している。

私は、そんな華やかな世界を外からしか知らない。
周辺にいても、中心に行くことはできなかったそれなりの人だ。
だから、何か意見を述べるのは少しお門違いではあるのだけど…
最近感じることがある。

私はつい数年前まで人との付き合いが大切だと思っていたことはなかった。
それがお客様なら尚更で、その場限りの付き合いにしていた。
一人で一生懸命生きてきたと思っていたし、
夜の世界で信じられるのは自分だけ。
騙されたし、恐い思いをしても一人でどうにかしたと思っていたし、
昼の世界でも頑張ってきたつもりで、損得や仕事に繋がること、
自分の価値を上げるための何かのために時間も労力も使った。
だから人との付き合いが短くなりがちだった。

そんな私が今になって、心の底から思うのは、
人が大切だということだ。

その辺に転がっているセリフなのだけど、何を手に入れても、
損得のないその存在を大切にしたいと思う誰かがいないとつまらない。
人が嫌いだと思っていたし、もちろん今も一人の時間が大好きだ。
それでも、それほど深い関係の人ではなくても、誰かがいないと、
私の世界が全く広がらない気がしてしまう。

それに、私は人を大切にするということを少し間違えて理解していた。

もう少しいうと、「人を大切に」というのは忘れたことはなく、
それなりにそうしようと努めてきたつもりだ。

だけど、「人を大切」にするということは、
会う時間を作る、会っていなくても気遣う連絡をする、
どう感じているか聞く、そんなことが含まれる「人との付き合いを大切に」ということだった。

もっというと私は「私を大切に」の意味もはき違えていた。
私に対してそんな時間を、そんな質問をしたことも無かった。

大切にすることの意味を全くわかっていなくて、
それをメンドクサイこととして、怠ってきた私は色んなものを失った。

そして、そうなったからこそ、
自分や誰かを大切にするということはどういうことなのか、
今まで経験してきた全てのことは、誰かのお蔭だったこと、
全ての人の存在に有難いと思う気持ちを、やっと知ることが出来た。
この感覚は言葉で言われて感じることが出来るものではない、
とてもあったかいものだった。

時代の価値観に埋もれて、一人で出来ることが増えて、
簡単なものでごまかせることが増えて、一人で生きている気になっていた。
そう思うことはどれほど簡単なことか、今を生きる誰もが感じていることだと思う。

これからも、色々な私に、誰かに、出逢うのだろう。
メンドクサイことがたくさんあるのだろう。
でも、私は時間をかけて、そのメンドクサイことに潜って、
その先のあったかい光みたいなものを感じてみたいと思う。

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