大切なのは生徒そして自分の「在り方」

昨日、HiMacという高校の数学の先生のサークルのオンライン忘年会に参加しました。そこで、私が勝手に振った(笑)話題で話が弾んでしまいました。その話題は「このコロナ禍で変わったことと変わらなかったこと」です。そこでこの話題で私が感じていることを書いてみたいと思います。

コロナ禍で変わったと思うことは
①オンラインになったことで今まで以上に全国の先生とつながれるようになったこと
②オンライン授業を通して生徒に提示できる学びの選択肢が多くなったこと
の2点です。①は言わずもがな。竹内先生やタカタ先生とつながれたことで今まで以上に今年は学ぶことが出来たように感じます。また、教科書精読会(京都ではなくなぜか熊本!)にも参加することで教科書の奥にある本質や思いをくみ取ることが出来ました。昨日のオンライン忘年会で別の精読会(これは長野!)にも誘っていただけたので中学の教科書精読もやっていきたいと思います!②については①ともかかわるのですが、生徒には学校だけではなくて学べるものがたくさん身の回りには落ちているということをオンラインの授業を通して伝えることが出来ました。その最たる例はタカタ先生の特別授業でなかったかなぁと思っています。

逆に変わらなかったことは、
①自分のオフラインの授業技術
②自分の数学への思い
①についてはオンラインで授業の技術やオンラインでできることは増えたのですが、一方でその恩恵をオフラインの授業に活かし切れていないなぁと痛感しています。やはり未熟なままなのです。ここの部分をもう少しみがけたらなぁと思っています。②については先日の同僚の先生の投稿の中の「どんな思いで日々授業しているのか」「なぜ数学の教員になったのか」に触発された部分もあると思うのですが、改めて振り返ってみると「数学の面白さを伝えたい」「数学にはロマンがあることを伝えたい」これに尽きるかなと思っています。大学4回生まで数学は好きではありましたが、数学を語れる自分ではありませんでした。しかし、卒業研究で身の回りの現象を数学で研究していくうちに、身の回りの現象が見事に数式で表されていること。また、より専門的な現象を数式で表すにはさらに難しい数学を理解していかなければならないこと、そしてそれを理解するプロセスはすごくワクワクするものだということを実感することが出来ました。このときぐらいから数学を少しは語れるようになりました。コロナ禍で少し時間ができて、難しい数学に手を出した時に改めてこの思いを再認識することが出来たと思います。やっぱり私は数学が好きだ。

ここまで、変わったことと変わらなかったことを書いてきましたが、この2つを並べて一番感じた事は「学ぶ側も教える側も「どう在るか」が一番大事」ということです。オンライン授業を通して生徒たちは変わりました。なぜなら今まで以上に学ぶ手段を見つけたからです。しかし、私の指導技術はアップデートできませんでした。これが今年一番の心残りですし、何より最後の最後まで気づかなかったのが一番悔やまれます。

来年度はこの反省を活かして次のことにチャレンジしたいと思っています。
①高校の教科書を読む授業のさらなるアップデート(高校を持てれば)
②中学で教科書を読む授業に挑戦する
この2つはさっき上げた「どう在るか」に直結する挑戦だと思っています。3学期は上司の先生がサポートしてくださるということで中学の指導技術向上学期にします!(宣言)

今年1年ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願いいたします。