やり直しドリンク#1

『これを飲めば一つだけ、過去の出来事を無かったことにできる』

そんな謳い文句の栄養ドリンクを見つけたのは、たまたまだった。
夜勤明け、人気のないコンビニ。僕はぼうっとする頭で、何が欲しいわけでもなく先ほどからお菓子の棚を行ったり来たりしていた。

いつもなら、疲れた自分にささやかなご褒美なんて言ってロング缶のビールとつまみでも見繕っている頃合いだったが今は到底そんな気分になれない。
俺は今日、後生大事にしていたお守りを目の前で失ってしまったのだ。

たかがお守りときっと人は笑うだろうが、それでも俺にとっては大切で、思いの籠ったものだった。そんな大切なお守りを、あろうことか川に落としてしまったのだ。それはもう轟々の水の流れる川出会って、思わず飛び込もうとした俺を、慌てて周りの人が押さえ込むくらいには深い川だった。

だから、その栄養ドリンクを見かけた時、俺はただのジョークグッズだと笑った。いや、笑えない。むしろ腹が立った。こんなものであの出来事が取り消せるのなら、誰も苦労しない、誰もこんな思いしない。

そう、思っていたはずなのに、コンビニを後にした俺の手にはなぜか、その栄養ドリンクが握りしめられていたのであった。

断じて言おう、欲しくて欲しくて買った訳ではない。ただ、コンビニのよくある当たり付きのくじを引いたらたまたまそれを引いてしまったのだ。
家に帰って改めてその栄養ドリンクを見てみる。
よくある茶色の瓶に、禍々しい配色のラベル、薄っぺらな宣伝文句はあえて嘘くさくしているようだ。

『これを飲めば一つだけ、過去の出来事を無かったことにできる』

ほら、なんだっけか、惚れ薬って書いてある処方箋に入れらたラムネがあった。これもきっとそういうのの類だ。わかりはするけど、なんだかタイミングがあまりにも。そう、ドンピシャすぎる。ある種の皮肉を神様から言われているようにすら感じた。まあ、神など信じていないのだが。

「はぁ。」

小さくため息が溢れた。分かっている、分かってはいるのだ。
どんなに責めても、悔やんでも、起きた過去は変わらない。
過ぎたことは取り返せない。
濁流に飲み込まれていったあのお守りの如く、落ちて、流れて、消えていく。
最初から、無かったことのように。

“プシュ”

たかがお守りで落ち込んだ俺の気分を逆撫でするこの栄養ドリンクを、俺は一気に飲み干した。


次の日、目が覚めた俺はいつものように仕事着に着替えて家を出る支度をし、いつものようにお守りが入っていた場所に手を向けて思い出す。
(ああ、そういや昨日無くしたんだ)と。
けれども習慣やら癖というものは簡単に抜ける訳でもない、そのまま息をするような流れでないはずのお守りの形を探る。

俺は、息が止まるかと思った。

失くしたはずの、目の前で濁流渦巻く川に落としたはずのお守りが、まるで何事もなかったかのように、いつもの場所に鎮座していたからだ。

俺は、昨日ゴミ箱に捨てたあの茶色い瓶を見つめて、お守りの感触を確かめたまま突っ立っていることしかできなかった。

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