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小説:初恋×初恋(その12)


第九章 平行線的低空飛行


「彼女が次に選んだのは旅行業だった。これまでの豊富な海外体験と人脈を買われ、ヘッドハンティングされたんだ。富裕層をターゲットにしたツアーを企画立案、同行するのが彼女の役目だった。もちろん普通の旅行案内ではなかった。そこには何かしら総合商社的なビジネスが存在した。そして語学も活かされた。久望子は英語、ドイツ語、フランス語、イタリア語を話すことが出来た。彼女のマイルは貯まる一方だった。
僕は相変わらずさえない仕事をしていた。仕事をしながら資格を取ったけど、それだけだった。この業界に席を置くのなら、持っていて当然の資格だ。
富裕層を相手に仕事をするのは久望子と同じだったが、質は全く違っていた。僕の顧客のほとんどは、親の代からの土地や株式を引き継ぎ不労所得を得る資産家だった。収入は世の中に還元せずに一円でも少なく納税する。法律の抜け穴はいくらでもあった。成功しても感謝されることはなく、失敗すると罵倒された。僕は何の為に働いているのかわからなかった。少なくとも社会には全くと言って良いほど役に立っていなかった。節税という甘い言葉を理由に生きる人達の手助けをしているだけだ。そんな愚痴を久望子はいつも熱心に聞いてくれた。夜遅く、誰も居なくなった事務所から電話をするんだ。まだ長距離電話の高かった時代だ。会社に電話代を払わせる事で一矢報いたかった」

「それは何年くらい前の話し?」

「僕らはまだ二十代後半だった。だから十年以上前の話しだ。携帯電話は在ったけど弁当箱位の大きさで、基本料金が馬鹿みたいに高かった。留守番電話が主流でこんな便利なものはないと思っていたよ。それでも彼女とはなかなか連絡が取れなかった。久望子は忙しい毎日を送っていたんだ」

「相川さんも忙しかったんでしょ?」

「そうだね。仕事を覚えて自分なりのやり方が身に着いた時だった。面白くはなかったけど、その中に個人的な価値を見出した時期ではあった。それでも僕は久望子に対していつも劣等感を抱いていた。あの頃の僕は彼女に恋愛感情というよりは、友情に近いものを持っていたと思う。その方が楽だったのかな。彼女を恋愛の対象にしないことで平静を保っていた。そして彼女も僕に対して親密な友情を持っていたと思う。僕らはそんな平行線的低空飛行を何年も続けていた
 
そこまで話すと、相川さんはワインを口に含んだ。そしてゆっくりと咀嚼し、喉を鳴らして飲みこんだ。

「その間、相川さんの彼女達はどうしていたの?まだ何人かと付き合っていたのかしら?」
「当時の僕にそんな余裕は無かった。つまり彼女たちをケアする時間がなかった。結局女性というのはマメな男が好きなんだ。自分を構ってくれて、手を伸ばせば届く距離にいる男なら誰だって良いんだ」
「それは偏見だと思う」
「確かにそうかもしれない。でも当たらずとも遠くないはずだ」
「それは経験から?」
「ああ、臨床試験と言っても良いかもしれない。多数のサンプルから抽出した結果だ」

「ふうん」と私は言って外を見た。
相変わらず暗い海。でも、月明かりが灯り、波間に光が揺れていた。満月と思った。

「見て。月が綺麗」と私は言った。
相川さんは月の方を一瞬見て、納得するようにうなずき、それから再び私に向かった。

彼女たちは一人また一人と僕から出て行った。仕事と試験勉強で構って上げられなかったからだ。もしくは不誠実な僕に呆れただけなのかもしれない。いずれにしろ最後の一人が出て行って僕は一人になった。こんな事は歩未を失って以来だった。僕が最も恐れていた事態がやってきたんだ」

「自業自得ね」と言って私は笑った。
相川さんも小さくうなずいた。

「久望子はそんな僕を心配していた」
「え?久望子さんはその事を知っていたの?」
「ああ。僕は久望子に対して隠し事は何もしなかった。黙っておくのはフェアじゃない気がしていたんだ。親友として」
「その複数の女性と付き合っていた事も」
「まあ、数は控えめに申告したけど」
「その事に対して久望子さんは何て言ってたの?」
「賛成も反対もしていなかった。ただ彼女たちには、ばれないようにと言っていた。どんな嘘もつき通せば、真実になるからと」
「それは、意外な意見ね」
「そうかもしれない。でも久望子自身はそんな女じゃない。彼女が僕に与えた助言なんだ。僕の事は変えられないと思ったんだろう。だったら傷つく人数は少ない方が良い」
「そうなのかもしれない。ちょっと違う気がするけど。それで?」
久望子は一人になった僕を心配していた。久望子の方から僕に連絡が来るようになった。こんな事これまでに無かった事だ。そして一度、東京に出てこないかと誘われたんだ。資格を取ったんだから、どこでだって仕事は出来る。福岡よりも東京の方が仕事は多い。そして一緒に住まないかと」

「それって、つきあおうって事?」
「そうではないと思う。孤独になっていく僕の姿をみて同情したんだろう」
「何を言ってるの?女が一緒に住もうという事は、そういう事よ」
「それはどうかな。今となってはわからない。久望子は殆ど日本に居なかった。だから自分のマンションを使ってくれと言った。便利な場所だし部屋は広いし、冷蔵庫は壊れかけてるけど、人が住めばバルコニーに巣を作ったハトも居なくなるから助かると」
「それはさ、遠まわしに誘ってるんだって。久望子さんの事になると、本当にダメな男になっちゃうのね。それでどうしたの?東京に行ったの?」
「何となく月日が過ぎて行った。仕事は相変わらず忙しく、誰がやっても同じ仕事ばかりだったけど、あくせく働いていた。ある日事務所の専務から呼び出されて、娘を紹介された」
「その事を久望子さんには話したの?」
「ああ。そして一度、東京に遊びに行ってもいいかって聞いたんだ。そしたら、夜になると冷蔵庫がうるさくて眠れなくなるのよと言われて遠まわしに断られた」
「どうして?」
「わからない」
「タイミングを逃したのね。女にはあるのよ。周期みたいなものが。昨日は良くても今日は駄目、みたいなものがね」
「どうやら、そうらしい。僕には理解出来ないけど」
「それで?」
僕はその娘と婚約をした。多少の打算はあったのかもしれない。一人が寂しくて、弱っていたせいもある。でも決して、久望子への当てつけとかそういうんじゃないんだ。僕にはもったいないような良い娘だった。綺麗で明るくて、これが正しい選択だと思った。久望子にはそれ相応の男が必要で、僕が相手ではないとずっと感じていたんだ。僕達は昔からの親友で、そして一度だけでも、もしかしたら久望子を恋人に出来たという可能性があっただけで、満足だった

「久望子さんは祝福してくれた?」
「久望子に報告したのはずっとあとになった。何度か電話はしたんだ。でも繋がらなかった。留守番電話にメッセージを入れておく手もあったけど、直接話したかった。そうこうしているうちに、結婚の話しはどんどん進んで行った。時間だけが無意味に、滝のように流れて行ったんだ」
「この話には続きがあるんでしょうね」と私は言った。
酔っていた。

「勿論、続きはある」と、相川さんは言った。



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