僕が嫌いなもの

 僕は「丁寧なくらし」をする人を崇拝する風潮が、あまり好きになれない。
なぜだろうと考えてみると、そういう人たちから自由さを感じられないからだ、と思った。
 
 僕は以前までモノが好きだった。服を見るのも好きだったし、雑貨屋さんには2時間ぐらい居ても苦痛ではなかった。ブランドものの商品が欲しいと思うこともよくあった。
 しかし『Fight Club』という映画を観てから、その価値観が揺らいだ。揺らぎは今も続いている。
その映画は「自分が何を大切にして生きていくのか」を考えさせる。モノか、カネか、仕事か、恋人か。さらに物質主義・大量消費社会への警鐘を鳴らしてもいる。
 
 その映画を観た数ヶ月後、高校の同級生が、自身の丁寧なくらし・ミニマルな持ち物を紹介するブログを始めた。
 10万近くする革靴や、洗練されたデザインが施されたイッセイミヤケの腕時計を紹介していた。
 別の同級生は、彼のブログを見て「すごいよな、あいつ」と言っていた。
 以前の僕なら「すごい。俺もあの腕時計欲しいな」と言っていただろうが、そうはならなかった。モノに対する見方が変化したからだ。

 自分自身を振り返ってみて、人からいいねと言われたくて買ったものがゼロとは言えない気がする。
 IKEAで買ったソファは座り心地が良くて買ったが、別になくても困りはしない。ラグも部屋の見栄えをよくするため以外に、特にこれといった機能は果たしていない。買ったけど着なくなった服もある。
 考えれば考えるほど、自分が持っているモノは「承認欲求を満たすため」という要素が少なからずある気がしてきた。
 ただし人に自分の部屋を見せることはそうそうないので、承認欲求を満たすためではない気もする。
 
 ブログを始めた同級生の彼だけでなく、雑誌やSNSなどで暮らしや持ち物を紹介している人は、承認欲求を満たす手段としてそういう行為に及んでいるのだろうか。物質に縛られてはいないだろうか。本当に幸せなくらしをしているなら、公開する必要はないのではないか。それとも単純にいいと思ったものを共有したいのだろうか。
 真意は知りませんが、「みんなから憧れられたい欲」むき出しのお部屋、悲しい。

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