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【ミステリーレビュー】葉桜の季節に君を想うということ/歌野晶午(2003)

葉桜の季節に君を想うということ/歌野晶午

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2004年にあらゆるミステリーに関する賞をかっさらった歌野晶午の推理恋愛小説。

タイトルから、切ない純愛要素があるのかとイメージするのだけれど、1ページ目から裏切られる。
主人公である成瀬将虎が、読者に語り掛ける形式で自らのセックスライフを生々しく語り出すのだ。
しかも、自信満々の語り口調に、自分にやたら自信はあるけれど別に周囲からは求められていない"老害"感が漂ってきて、まったく感情移入が出来ない。
作者の思い浮かべる若者像がバブル期で止まっているのではないか、と疑ってしまうほど、正直、"肌に合わない"感覚があった。
しかし、最終的には"なるほど、それも必然だったのだな"と膝を打つことになるのだが。

内容としては、自殺しようとしていた麻宮さくらを助けたことをきっかけに、恋に発展していくという恋愛パートと、知人である久高愛子からの依頼で、悪徳商法で高齢者をカモにする詐欺集団「蓬莱倶楽部」による保険金詐欺の証拠を掴もうと奮闘する探偵パートが並行して進行していく。
殺人が起こって犯人を当てる、という本格ミステリー的なフォーマットとは異なり、どちらかと言えばスパイ小説のような雰囲気。
ミステリー要素は、むしろ過去の回想として出てくる暴力団の惨殺事件のほうに詰まっていると言えるだろう。

そして、恋愛パートと探偵パート、ふたつの物語が交錯するときに、将虎の身に起こっていたことの全貌がわかるという仕掛け。
色々なエピソードに寄り道した感はあるが、案外、無駄は少なく、きちんと伏線も回収される。
ミステリー慣れしていれば、いくつかの仕掛けには気付くことができるだろうが、多かれ少なかれ、確実に騙されること請け合いである。


【注意】ここから、ネタバレ強め。


いきなりメタ視点で恐縮なのだが、文庫本の裏表紙に「二度、三度と読みたくなる」なんて書いたらダメだと思うのだ。
もう、叙述トリックが潜んでいることが丸わかりじゃない。
意識しまいと思っていても、どうしたって意識してしまう。

本作の肝は、主人公を含む登場人物の年齢設定。
舎弟の清が高校生、将虎はその7歳上、という記述がある以外は、不自然なほどに年齢に関する表現がないのである。
小説において、新たな人物が登場したら、20代か30代かもっと上か、若く見えるか老けて見えるか、読者に人物像をイメージさせるために外見的な特徴として情報発信するのがセオリー。
それを一切していないのだから、清が高校生であるという情報にミスリードがあるのだろう、というのは気付くことができた。

また、別のアプローチとして、序盤に登場するも、しばらく物語から姿を消してしまう古屋節子の存在からもそれは導き出せる。
要するに、既に登場している別の人間と節子が同一人物だという推測が立つわけだが、それが誰かという選択肢はそう多くないので、登場人物たちは全員シルバー世代であるという結論までは自力で辿り着いた。
将虎のギラギラした老害的思考も、そりゃそうだ、老人だもの、というわけだ。

ただし、悔しいことに、ここまで読めたところで満足してしまった。
別人に成りすましていたのは節子だけではなかった、というオチまでは推測が及ばず、あとは成り行きを見守るだけと高を括っていたところで、見事にひっくり返された形。
一部の叙述トリックを見抜いたからといって、騙された以上は五十歩百歩である。
だったら、変に推察せずに素直に読んでいた方が、衝撃的な種明かしに打ちひしがれる爽快感をマックス値で得られていたのかもしれないな。
叙述トリックを示唆した文庫本の背表紙が恨めしい。

#読書の秋2020

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