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『終りに見た街』202X年の予言にさせないために

 『終りに見た街』というテレビ朝日開局65周年記念ドラマを観ました。
 宮藤官九郎脚本とのことなので、『季節のない街』と関連した作品なのかな、と思って。
 鑑賞後衝撃を受けました。
 衝撃のまま書き連ねてみますが、本稿の主旨はものすごく分かりやすく、それは「絶対に戦争は反対」ということだけです。

 『季節のない街』は震災後の共同体を生きる人々のお話でしたが、『終りに見た街』のテーマは「戦争」でした。
 山田太一さん原作の小説らしく、今回が3回目のドラマ化みたいです。

 細かい部分や主人公の時代設定などは変更しながらも、全体像や物語の展開は原作通りとのことです。
 このあまりに恐ろしい作品が3回ドラマ化され、しかもその3回目が2024年であることに大きな意義があるように感じられました。
 ドラマ関係者のみなさまには頭が下がります。

 以下作品の内容に触れます。
 見逃し配信などでご視聴後にお読みください。



◾️あらすじと感想

 あらすじはとても分かりやすいです。
 終戦80年記念ドラマの脚本を頼まれた男がなぜか戦争中の昭和19年に家族ごとタイムスリップしてしまう。過去の(つまり昭和19年時点では未来の)空襲の資料を持っていたため生き延びる。東京大空襲の被害者数を減らすため予言と称し避難するよう喧伝する。するとなぜか閃光に包まれ原爆に被爆し、202X年にタイムスリップ。崩壊した東京とともに朽ちる。

 明確に描かれていないため、終盤の展開に面を食らいましたが、作品から放たれている強いメッセージはしっかり受け取りました。

 タイムスリップが実際に起きたのか、それとも主人公(大泉洋)が被爆した瞬間に見た空想なのか。
 タイムスリップした場合。東京大空襲の予言行動がもしかしたら202X年の東京原爆投下を引き起こしたのかも知れない(バタフライ効果)。
 息子の稔(今泉雄土哉)が昭和19年に買ってもらったメンコが202X年にあるということは、やはり彼らはタイムスリップしたということなのか。

 視聴後とても重い気持ちになりましたが、何か書かずにいられない衝動に駆られました。当noteをご覧いただけますと分かるように、僕は思想強め系noteユーザーです。
 先日も『はだしのゲン』を全巻購入し戦争後の過酷さに打ちのめされました。
 『終りに見た街』では主人公たちは東京大空襲の予言が功を奏したのかまで描かれずに終わりましたが、これを見た我々には、日本人として戦争に手を出さないことを永久に持続するのは可能です。なぜなら戦争を放棄し続ける権利は僕らの手の中にあるからです。

 僕らが最後に見る街がどのような形をしているのか。
 望むべき社会のあり方を持続する権利と努力は僕たち全員の想いに託されています。
 そのことを改めて感じたドラマでした。

◾️宮藤官九郎の最近の傾向

 宮藤官九郎さんは以前からコミュニティを描く脚本家でした。
 昨今はそれに加え、現実に起きた流行性疾患や災害を作品内で追体験させる展開が目立つようになります。
 この項目では近作である『季節のない街』、『新宿野戦病院』、『不適切にもほどがある!』を振り返り、『終りに見た街』に描かれた家族の脆さについて深掘りしていきたいと思います。


『季節のない街』(主演池松壮亮 2023年)
・被災というコミュニティ

 明言はされていませんが、舞台はおそらく東日本大震災で津波被害に遭った地域の仮設住宅です。
 仮設住宅に住み続ける人々と、そこでのスクープ取材のために住み込み始めた男(池松壮亮)との交流を描きます。
 家族や家を喪った人々の力強さや太々しさ、つまり人間の生きる力を描いたと同時に、何をどうやっても抗えない物事があるということを印象付ける作品です。


『新宿野戦病院』(主演小池栄子、仲野太賀 2024年)
・社会から弾き出された者と救済者とのコミュニティ

 歌舞伎町の病院を舞台に、行き場を失った人たちとアメリカの軍医(小池栄子)との交流を描きます。
 コロナ禍後、再び新種のウイルスが日本を襲い、人々を分断していきます。
 外から訪れた英雄によりコミュニティが回復し、それゆえにコミュニティから弾き出され英雄が去っていく、というお話です。


『不適切にもほどがある!』(主演阿部サダヲ 2024年)
・過剰ルール社会を見直すためのデタラメさ

 昭和から令和にタイムスリップしてきた男(阿部サダヲ)が過剰にルールを強いる現代の生きづらさを指摘していく作品です。
 未来にタイムスリップしたことで自身と最愛の娘が阪神淡路大震災で最期を迎えることを知ります。
 一度起きた震災は強大で覆ることなどないのだ、という宮藤官九郎さんの震災に対する向き合い方が反映されているように感じます。


『終りに見た街』(主演大泉洋 2024年)
・家族(血縁)が戦争により崩壊する

 いよいよ本作についてです。
 近作に共通するのは「コミュニティ」「震災・歴史的感染症」そして「社会批判」です。
 コミュニティの重要性に気付いたり、新たなコミュニティに参加することで救われる人がいる。
 だが個人やコミュニティではどうにもならない強大な出来事に見舞われる。
 そのことで社会の脆弱さが露呈する。
 近作はこのような構造をしています。
 個人で出来ることは個人の意識を変えることで。コミュニティを改善して解決できるものはそのように。そして社会の空気感を変え、大きな社会問題については政治家に訴える。
 そうした結果登場人物たちは成長し、各第1話と最終話とでは別人のように映ります。

 『終りに見た街』はメッセージ性が特に強いと感じました。
 戦時中にタイムスリップした家族は、一億総玉砕精神のコミュニティとは距離を置きます。
 主人公はあくまで戦争反対の立場を取り、近いうちに日本は負けるのだからそれまで生き延びれば良いという選択をします。
 ですが娘(當真あみ)は職場の影響で「日本のために死ぬべき」という考えになり、息子は授業で教わることと違う父の教えに混乱してしまいます。そして親戚(堤真一)の息子たちは「敵兵を殺せば良い」という考えになります。
 つまり戦争により家族コミュニティが崩壊してしまうのです。

 戦争は愚かしいことであると一貫して訴える男と、教育により戦争を礼賛し敵国への怒りを増幅させていく子供たち。
 ここに強烈な社会批判が込められていると感じます。
 登場人物たちは戦争の前には成長も何も無く、ただ死ぬしかないのです。


◾️戦争は怖い

 敵兵を殺せば良い。戦争で勝てば良い。アメリカを許すな。このような考え方になってしまった子供たち。それに対して絶対反対の立場の父親。
 その議論はあっさり空襲警報によってかき消されてしまいます。
 命の危機により議論すら成り立たなくさせる恐ろしさ。逆に言えば、有事にすることで議論をすっ飛ばして物事が決定していくということでもあるでしょう。
 子供たちが冷静さを失い戦争を望みましたが、彼らにとっては自身は冷静であり父親こそが狂っていると見えていたことでしょう。

 アメリカより強い国があれば問題は解決するのか。
 ロシアか中国に従う?それともアメリカに加勢する?
 冷静に考えればこれらは戦争をコントロールする側がすげ替わるだけで何も問題は解決していないと分かるでしょう。

 軍産複合体により発展する国は、古くなった兵器を処理するために戦争を起こしたり、弱小国に型落ち兵器を売りつけたりします。
 つまり何をやっても儲かります。だから戦争をやめられない。
 そしてその仕組みに翻弄され、多くの人が命を落とします。
 端的に言って異常です。
 でもこれらを異常と指摘することで罰せられるルールが今後敷かれる可能性があります。

◾️202X年に原爆を落とさないために出来ること

 ドラマでは最後1945年から202X年にタイムスリップします。
 東京に原爆が投下され、皮膚が黒く爛れた男が「にせんにじゅう……」と言ったところで息を引き取りました。

 2025年と言えば台湾有事が一部で懸念されています。
 中国が台湾に軍事侵攻をすることで、日本も戦争に巻き込まれてしまうのではないか、と。
 もしその心配から、核兵器保有や敵基地攻撃能力保有へと傾き、憲法改正が実現されてしまったとしたら。
 それにより他国から敵国判定をされてしまい、「敵基地攻撃」として東京に原爆を投下されてしまう可能性もあるのではないでしょうか。

 つまりドラマの子供たちのように、世間や政府の言いなりになることで戦争化していき、やがて軍産複合体国家となってしまうのではないか、という懸念です。
 戦争兵器で儲け、少子化の中若者たちは兵隊となり、中年男性も兵隊となり消費されていく。
 全て憲法改正を望んだ国民の結果です。

 これを回避する方法は簡単です。
 憲法に手を付けないことです。
 今の我々に改憲の正当性を見抜く力があると思いますか?
 SNSで他人の不倫にギャーギャー騒ぐことに全力な人たちに。
 他人をけなすことで自分の欠点を見て見ぬふりし続ける人たちに。

 いずれ憲法改正は必要だと思っていますが、それは今ではありません。
 今変えたら国民の尊厳を損なうことがいつでも可能な文言が盛り込まれます。我々には分かりにくいようにしながら。

 片手を吹き飛ばされ、被爆した最期を迎えたくないなと少しでも思ったのであれば、これから何をすべきか、どう判断すべきか考えることが重要なのだと思います。
 この作品にはそれだけの価値があります。

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