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自分の機嫌は自分で取り、死ぬこと以外かすり傷な人たち【流行り言葉の功罪】

 言葉って当初の意味から別の意味に変わって行くことがありますよね。
 拡大解釈されて本来の意味とは違うことにまで範囲が広まってしまったり。
 変化後の意味の知名度が高くなってしまうと、本来の意味や発言者の意図が伝わらなくなり、食い違いが発生してしまう場合もあります。

 今回の記事ではそういった「言葉の功罪」について考えていきたいと思います。
「その言葉が発生した由来と、現在使われている意味合いとが違うもの」
「時代の方が変わってしまったために、言葉の印象も変わってしまったもの」
 これらの言葉を挙げていきたいと思います。



■「お客様は神様です」で客が増長した

 歌手の故三波春夫さんの言葉で、意味が勘違いされて広まった言葉としても有名ですね。
 実際の意味は「お客様を神様に見立て、神前に立って祈る時のように歌う」という心構えを表現した言葉です。
 ですがお店に対して客側が一方的に理不尽さを押し付けるために使われてしまいました。

 「神様だったら何言っても良い」と思ってるような客はいろんな宗教家から叱られて欲しいですね。

■「自分の機嫌は自分で取る」で息苦しくなった

 元ANZEN漫才のみやぞんさんがはじめに言ったそうです。
 「他の人にご機嫌取りをさせない」という意味合いですが、これも極端になってしまった言葉のひとつです。
 この言葉から「心の落ち込みなど自分ですべて解決しなければならない」と思ってしまう人もいるようです。
 ですがこれは本来「不機嫌な態度をあらわにして他の人に気を遣わせない」という意味だと思います。
 なので「自分から誰かに声を掛けて気分転換の提案をする」などは全然問題無いと思います。

 他人への配慮を過剰に強いる現代社会の生きづらさが言葉の意味を変えてしまった一例でしょう。

■「死ぬこと以外かすり傷」は生き残った人の言葉

 こちらは時代に合わなくなってきたと感じる言葉です。

 この言葉は「死ぬほど傷付くのは良くないけど、そこまでじゃなければかすり傷程度のものだ」というような意味合いでしょうか。
 ですが僕は「果たしてそうかな」と思うのです。
 心のかすり傷は肉体のかすり傷と違い、ずっと治らないし年月が経つほどに悪化していくものではないか、と。
 それに生存者バイアスってありますよね。
 すでに死んでしまった人の想いは我々には届きません。残念ながら。
 「死ぬこと以外かすり傷かと思ってたけど、それで人死ぬんですけどー」という死の間際の想いを多くの方々が抱いていた、かも知れません。
 でも僕らの耳には、たまたま運良く生き残っている「死ぬこと以外かすり傷ですから(白い歯キラン)」と日焼けした笑顔でInstagramに自撮りを上げる人の言葉だけが届きます。

 僕は「かすり傷じゃん気にすんなスタイル」より「かすり傷じゃん消毒して絆創膏貼ろうねスタイル」を支持します。

■「うつ病は心の風邪」でうつ病を軽んじる人達

 この言葉も時代とともに「それは違うのでは」と見直されている言葉です。
 「風邪と同じく誰でもかかるものだ」という意味合いの言葉ですが、「風邪と同じく自然と治る」とうつ病を軽んじる人も多く生んでしまったのではないでしょうか。
 その後「心の風邪ではない。心の肺炎である」と表現する人が現れました。
 うつ病は心の持ちようで治すことが出来ると思い込んでいる人がいまだにいるようなので、「うつ病は心の風邪」という言葉はまさに功罪がある言葉だと言えるでしょう。

 僕は「うつ病は脳の風邪」だと思います。
 心という不確かなものではなく、脳がうつ病ウイルスによって蝕まれている、という印象です。
 このウイルスは対処しないと増殖して脳を変容させてしまいます。
 「心の風邪」と思い込まずに専門家に診てもらいましょう。

■「依存症」は心の病?

 ギャンブル関連などで最近特に注目を浴びている「依存症」ですが、これも先ほどの「心の風邪」と同様な扱いを受けている気がします。
 すなわち、心の持ちようでなんとか出来るはずだ、依存症の人は甘えだ、というような見方をする人が多いのではないでしょうか。

 依存症も心の問題ではなく脳の問題だと僕は考えます。
 心で「止めよう」と決めても脳が「やろう」と判断してしまうので、止めることができません。
 まずは脳が変容してしまったことを知り、それから心の在り方を見直すべきなのではないでしょうか。
 僕は依存症の専門家ではないのでこれが正しいかどうかはわかりませんが、「精神力を鍛え直せば完治する!」というような考え方ではいけないな、と感じます。

■「人生何周目?」って褒めてないでしょ

 すごい功績を達成した人や子どもなのに大人びた振る舞いをする人に対して「人生何周目?」と表現するのが流行っています。
 これは言い換えるならば「その功績をするにはあなたのスペックだと人生を何周かしなければ達成できないはずです」と言っているようなものではないでしょうか。
 「人生1周目のままではあなたは絶対無理だった」ということですよね。
 「人生何周目?」というのはゲームやアニメなどの人生やり直し系のストーリーが影響している気がします。
 人生を何度も繰り返した果てに達成した、というのではなく、みんな同じ人生1回きりなのにその髙見にまで到達したのがすごい!と素直に讃えた方がよほど嬉しいことだと思います。

■「無課金おじさん」って蔑称では?

 パリ五輪の射撃の混合エアピストルで、銀メダルを獲得したトルコのユスフ・ディケチュ選手がツイッター(現X)で「課金装備ではなく初期装備アバターなのにめちゃくちゃ強いプレイヤーってこういう感じ」と言った内容の投稿から、日本で「無課金おじさん」として一躍人気となりました。

 ですが「無課金おじさん」それ自体は「めちゃくちゃ強いプレイヤー」という部分を削ぎ落してしまったがために蔑称のように感じてしまいます。
 「初期装備ゲキ強おじさん」だと長いということなのでしょう。
 みなさんが現在楽しまれている趣味やスポーツのことで、もし周りの人から「無課金おじさん」「無課金おばさん」と言われたらどう感じるか想像するとわかりやすいかと思います。

 「無課金おじさん」は大事な部分を外して略しやすさを優先させた例ですね。

 SNSにてこの件を投稿したところ、ありがたいことに多くのご批判をいただきました。
 「みんな誉め言葉で使ってるんだから水差すな」という意見とか、「みんな気にしてない事を蔑称だと騒ぐのはSNSの良くないところ」という意見とか。
 「課金装備ではなく初期装備アバターなのにめちゃくちゃ強いプレイヤーってこういう感じ」という発端を把握していたり、目につく人すべてが好意的に使っているから深く考えずにこれは良い言葉だと認識しているということですね。

 もし他国民から、日本の選手に対し「無料男」とあだ名を付けられていたらどう感じますか?その単語だけでは意味がわからず意図もわかりません。0円の男という意味なのでしょうか。無料でなんでもやってくれる男という意味なのでしょうか。
 「無料男」という単語だけでは他国民からは褒めてるのか貶してるのかよくわからないのではないでしょうか。

 それと「みんながノリを合わせてるんだからその空気感を壊すな」という指摘はいじめにつながる構造だと思いますけどね。どうせ「そんな気はなかった」と言うんでしょうけど。



■まとめ

 以上、7つの言葉について考えてみました。
 無用なすれ違いを生まないためにも、また自分自身を追い詰めないためにも、言葉の意味や背景などはしっかり把握しておきたいものですね。

 「この言葉も意味変わってきましたよね」というのがあればぜひ教えていただきたいです!

 最後までお読みいただきありがとうございました。


 この記事も言葉の扱い方について書きました。併せてお読みいただけますと嬉しいです。

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