観るセンター・オブ・ジ・アース。最高の絶叫体験。(※映画「箱入り息子の恋」感想 ⚠ネタバレ)

ディズニーシーのアトラクション、センター・オブ・ジ・アースをご存じだろうか。地底走行車に乗り込み、地底を探索するライドアトラクションである。
私「これ大丈夫? 怖くない?」
母「大丈夫だよ! 地底探検だから!」
絶叫系が大嫌いだった私は心底ほっとした。さあいざ乗り込もう! めくるめく地底の世界へ。それはもう心躍る体験だったが――。
「火山活動発生!火山活動発生!」
それは急にやってきた。けたたましい警告とともに始まる緊急脱出。ゆるゆると重力に逆らい、急角度で上り詰めていく絶叫系特有の感覚。身体は安全バーで拘束されている。圧倒的絶望。やるならいっそひと思いにやってくれ。この時間はマジで永遠に感じた。
そして、一瞬の停止――落下。内臓フワッ。
私「大丈夫っていったァ゛ァ゛ァア゛!!!!嘘゛つきィ゛ィィ!!」
母「ごめんねぇぇ~~~~!?!?!?」

…私は何の話をしていますか? 映画「箱入り息子の恋」の感想です。
この映画は「センター・オブ・ジ・アース」。あの幼い日の、裏切られた思い出そのものだった。

私はこの頃星野源から目が離せない。つい先日も「ノン子36歳(家事手伝い)」を見て乱心した。

だから、この乱心を収めるべく、ジャケ買いした「箱入り息子の恋」を観たのだ。逃げ恥の平匡さんみたいな地味野源。そしてなんともかわいらしい夏帆。これは、この二人は絶対に推せる! そう確信して。

星野源演じる天雫健太郎は、35歳独身童貞、趣味は貯金。ロボットが如き几帳面さで、13年間昇進せず波風立てず働き、家に帰り親の作ったご飯を食べ、自室にこもりゲームをする。変化のない毎日。
夏帆演じる今井菜穂子は、目が見えない。黒木瞳が演じる(美人!すこ!)菜穂子の母に付き添われながら、ゆっくりと生活している。目が見えないながらもピアノを弾いている姿が印象的。目が合わない感じ、夏帆演技がうますぎる。

この二人がひょんなことからお見合いをし、逢瀬を重ねていくさまがほんっっっとうにかわいらしい。マジで推せます。

推せるポイント① 二人にしか作れない愛の形
菜穂子は目が見えないからこそ、人を見た目では判断しない。心を見る。それが、健太郎に心地よくかみ合うのだ。健太郎は、見た目を嗤われた経験がある。あがり症で、人と目を合わせることができない。けれど、菜穂子となら、目を合わさずとも、手をつないで、声を交わして、わかりあうことができる。二人だからこそ、作ることのできた関係だ。

推せるポイント② 高めあう関係性
健太郎は、障がい者支援の経験はないけれど、菜穂子という一人の人間に、懸命に向き合っている。目が見えないことによる壁にぶつかるたび、寄り添って、ひとつひとつ越えていく。菜穂子に合わせて形を変える健太郎の心のしなやかさに、マジで惚れそうになった。
菜穂子も、健太郎にいろいろな所へ連れて行ってもらって、世界がどんどん広がっていく。逢瀬を重ねるたび明るくなっていく菜穂子の表情が、愛らしくてしょうがない。可愛すぎる、私がママよ。
さらに健太郎はこれだけじゃ終わらない。もっと菜穂子と一緒にいたいからと、お洒落をし、学歴・階級厨パパにも認められるようにと仕事へ意欲を見せ始める。
すごいのだ。幸せ相乗効果で、どんどん二人の人生はプラスへ向かってゆく。二人の親の目線で応援してしまうこと請け合いである。私は二人があまりにまぶしくて尊くて、オイオイ泣いた。

推せるポイント③ 健気・一途
しかしこんな素敵な二人を引き裂くのは、親である。
まずは菜穂子パパ、学歴・階級厨で、健太郎をはなっからよく思っていない。菜穂子ママの粋な計らいで二人が仲を深めていたのをとことん邪魔しようとする。
紆余曲折あり、菜穂子をかばって事故に遭い健太郎は大怪我をしてしまう。健太郎ママは「お引き取りください。あなた、耳まで悪いの?」と最低な言葉で、見舞いに来た菜穂子を遠ざける。健太郎を二度とそんな目にあわせたくないという気持ちはわかるけれど。

健太郎の知らないところでこじれていく関係。二人は親の干渉によってすれ違い続けるけれど、当人同士は互いを想い続けているのである。
健気ェ~~~~!早く幸せになって~~!


そして、怪我が治った健太郎は決意する。菜穂子に会いに行こう。
13年間、無遅刻無欠勤の健太郎は、「大切な用事があるので」と早退し、菜穂子の家に向かって全力で走る。走る。走る!
二人がすれ違い、泣きながら牛丼食べるシーン、すごく胸が苦しかった。だからこそ、ここまでくればあとはもう右肩上がりだ!走れ!健太郎ォ~~~~!!!!

と思うじゃないですか。

本当の地獄は、ラスト20分、ここから始まるんです。


なんと健太郎は、ロミオよろしく今井家の壁をよじ登り、カエルの鳴き真似で菜穂子を呼びつけ、部屋に侵入。すぐさまおっぱじめます。
待って待って急ですが~~~~~~~!?!?!?!!? こりゃ修道士ロレンスも匙投げるよ。
しかも真っ最中に菜穂子両親に凸られます。あまりにいたたまれなくて口から心臓出るかと思った。カエルみたいにね。笑えねえや。
こんなに青ざめて眺めるラブシーンは後にも先にもないだろう。私的映画史に残るラブシーンである。

不法侵入全裸童貞(35)はドタバタと菜穂子両親と揉め、なんと今井家2階のベランダから転落。あのシーンは怖い。トラウマである。
星野源の足、変な方向に曲がっとんで…。

ラストシーンはマジでメリーバッドエンドすぎて恐怖でした。
今井家に届く点字の手紙。菜穂子にしか読めない。ぼろぼろの身体で点字を打つ健太郎、それを読んで笑う菜穂子。ループ、ループ。二人だけで閉じた世界。
菜穂子の笑い声が、零~紅い蝶~の紗重の笑い声に聞こえてきた。これが皆神村の人々が恐れた大償か。
二人の関係に対する両家の親の反応がはっきりとしないのも怖さを倍増させている。

心の中の志摩一未がささやく。「変えられるなら…変えたいよな」
さあ、遡ろう。私はなぜこのラストが気にくわないのか?

健太郎は、同じ職場のアバズレちゃんに「無様でもいいじゃん」と背中を押され、脇目もふらず菜穂子に会いに行った。しかし、ここで、私と健太郎に「無様」の解釈違いが生じたのである。私は、無様とは「愚直たれ」ということだと考える。「汚い手段も厭うな」ではない。

事故にあう直前、健太郎、お前はおしゃれをして、「お嬢さんを僕に下さい」と土下座まで見せたじゃないか。あの時のお前は強くてほんとにカッコよかったよ。だからこそ、お前には、菜穂子の部屋の窓ではなく、今井家正面玄関のドアをたたいてほしかった。菜穂子パパに否定されることも恐れず、正々堂々インターホンへ向かっていってほしかった。
俺はお前に、二人の間の障壁を、物理的にではなく心意気で乗り越えてほしかったんだよ、健太郎……。

そんな思いも届くはずはなく、もう二人のトンデモラブは続いていくんだろう。
ハハ、どーぞお好きにやってくれ。

こんな、こんなことがあるだろうか。
めちゃくちゃ推してたカプがたったの20分前後で、どうでもいい存在になるだなんて。
あまりの急転直下、これぞ観るセンター・オブ・ジ・アースである。
俺の情緒はもうぐちゃぐちゃだよ。

「箱入り息子の恋」、ここまで手のひらクルクルと感想を述べてきたが、ちょっと一呼吸置くと、見えてくるものがある。

皆さん見てくださいよ、このポスターにも使われたショットを。

画像1

参照:『箱入り息子の恋』公式HP http://hakoiri-movie.com/

なんとまあ、かわいいのでしょう。おててつないで、ほのぼのかわいいねえ。前半部分の初々しい二人、私も泣くほど好きです。
でも、途中で相当急にセックスぶちこんでくるんですよね。ここで観客にモヤ…とした気持ちを与え、極めつけはラストの不法侵入セックス。こんなにポップなポスターからは想像もできなかった展開、なんにも萌えん。私は健太郎に、作品に、失望にも似た感情を抱いた。だまされた――と。

でも、これは、親が子どもに抱いてしまう「いつまでもピュアな子どものままでいてほしい」という思いと、同じなのではないか。私は、このポスターから、逃げ恥効果から、この作品に「プラトニックな純愛」を期待していた。無意識のうちに。しかしその期待通りにはいかなかったから、ラストに納得できなかった。
しかし、映画のキャラだって生きているのだ。セックスくらい、したって良い。

フィクションのキャラクターも、子どもも、我々の所有物ではない。我々の期待通りにはならない。
この映画の終わり方を最悪だ!と思い、口に出すのは我々の自由だ。だけれど同時に、この映画そのものにも、自由がある。
「こうあるべき」なんてものはないのだ。
失望を乗り越えた先で、真に互いを理解することができる。

菜穂子と健太郎の愛と両輪で、親子関係の在り方をグロテスクなまでに描いている本作。
このように、我々に「疑似子離れ」を体験させてくれる。精神的4DX。すげえっす。
私は文句を垂れているが、皆さんにもぜひ、皆さん自身の目で、この映画を受け止めてほしいと思う。

本作の個人的MVPキャラは、全裸で転落した健太郎を搬送した、救急隊員の皆さんだと思います。お疲れさまでした。

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