『部室探偵』第三話「SF猛虎会の冒険」

シーズン開幕記念……というわけでもありませんが、『部室探偵』今回のお話はプロ野球ネタであります。今回も、導入部である第1章は無料で読めるようになってます。続きが読みたい方は購入してやってください。

ちなみに、ずいぶん前に書いたので、井川とか金本とか、今はもういない選手の名前が出てきたりしますが、そこはご容赦を。(^_^;)

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1.
「ろぉっこ~おろ~しに~さぁっそぉううとぉ~~、そうて……」
「ぅやかましいぃっっ!」
 かなり調子っぱずれな阪神タイガースの応援歌『六甲おろし』の合唱を遮って、高城真琴(文学部博士課程前期一年、ミステリ研)の怒号が、環太平洋学院大学[へー大]SF研/ミステリ研共用部室の中に響き渡った。
「窓開けっ放しにして何ヘタな歌大声で歌ってんのよ、それもそんな大勢で」
「だって、逆転ホームランですよ、逆転スリーラン! それもピッチャーが!」
 部屋の隅に置かれた大型テレビの前には、そう言う川上(社会学部三年、SF研)以下、SF研の会員ばかり十人ほどが手に手にタイガース応援グッズを持って立っていた。いや、よく見れば、ミステリ研の大河内俊樹(法学部三年、現会長)と新庄千里(商学部二年)も、その中に混じっていた。
 テレビの画面には、阪神巨人戦三回戦、ホームランに沸く甲子園球場の様子が映し出されていた。甲子園の客席のほとんどを埋め尽くした阪神ファンが、声をそろえて『六甲おろし』を歌っているのがテレビのスピーカーから聞こえてきていて、部室内で川上たちが歌うのを止めても、結局のところあまり変わりはなかった。
「知るか、そんなもんっ! 近所迷惑考えなさいっての! テレビの音ももっと下げる!」
 座っていたパイプ椅子から立ち上がり、大声でなおも言い募る高城を、立って応援している連中の手前、テレビの一番近くにパイプ椅子を置いて陣取っていた黒岩大介(工学部五年、二浪二留、SF研)がいつになくほがらかな口調で、
「もう七時前やん。大学に残っとんのは、理系の研究室の連中ぐらいやがな」
 と、とりなした。関西出身で大の阪神ファンである黒岩は、タイガースが逆転したのでやたらと機嫌が良く、いつものように高城相手にけんか腰になる気にはなれないようだった。
 その黒岩が言ったとおり、開いた部室の窓からは、昼間は見事に晴れていた空に、すでに星がいくつかきらめき始めているのが見えた。すでに気温も下がって、涼しいというより少し肌寒いくらいだ。
「何言ってんの。そのでかさじゃ、裏手の下宿街[へー大スラム]にまで声届いてるわよ。恥ずかしいでしょ。だいたい、なんでナイター中継見るのにわざわざ部室に集まってくるのよ。あんたたちの家にテレビはないのか?」
 仁王立ちになり、ビシッと突き立てた指で自分たちを指さす高城の姿に、『おまえはマンガに出てくるタカピーキャラかい』と内心で思いつつも、黒岩はにこやかな顔を崩さず、
「なかなか甲子園に行くなんてでけへんねんから、せめて大勢で集まって応援の雰囲気だけでも楽しもうっちゅうことやがな」
 と受け流そうとした。
「ものには限度ってものがあるでしょ。だいたいあんたたちまでなにやってんの?」
 高城の矛先はミステリ研の二人に向かった。
「いや、その、まあ、その場の勢いってゆうか……」
 大河内はしどろもどろになってしまったが、新庄の方は涼しい顔で、
「長いものには巻かれろ、です」
 と答えてみせた。これには高城もがっくりと肩を落とすしかなかった。
「まーちゃん、ここんとこヤクルトが調子悪いんでご機嫌斜めなんだよね~」
 サッカー日本代表のレプリカユニフォームの上からタイガースのはっぴをはおり、右手にはメガホンを握っておきながら、さらに首からカンフーバットをぶらさげた高城澪子(経済学部一年、高城真琴の妹)がけらけらと笑ってみせた。澪子は新勧のときの事件のあと、なぜかそのままSF研に入会して部室に居ついてしまっていたのだった(ちなみに、澪子がSF研に入った主な理由は、SF嫌いの姉・真琴に対する嫌がらせなのではないかというのが、周囲の一致した見解だった)。
「なんや。実は高城も野球ファンなんか」
 高城は、そう言って笑いかける黒岩に向かって、
「だったら悪いかっ! だいたい阪神ファンははしゃぎすぎなのよ。まだ開幕したばかりだってのに、そんな盛り上がってどーすんの?!」
 と叫び、さらに澪子に向かって、
「澪子。このエセ阪神ファン! あんた、こないだまでサッカー一筋で、野球なんてまるで見てなかったじゃないの!」
 と怒鳴りつけた。だが、澪子は姉の剣幕にも笑顔を崩さず、
「『君子は豹変す。男子、三日あわざれば刮目して見よ』なのさー」
 と言いながら、人差し指を立てた右手を左右に振ってみせた。
「あんた、女でしょ」
「まーちゃん、それは差別発言」
「ったく、ああ言えばこう言う……。姉を敬うということをしらんのか」
「長子優遇なんて封建的ー」
「れ・え・こぉ~」
「きゃあ~、長子横暴~~」
 澪子は、つかみかかろうとする姉の脇をすり抜けて、部室の中を逃げ回りだした。
 まんまと澪子のペースにはまって、ドタバタとそのあとを追いかける高城を見ながら、黒岩はため息をついた。
「しかしまあ、こいつらはいつもいつも……」
「まさかあの完璧人間にこんな天敵がいたとは、思いもしませんでしたな」
 おもしろそうにそう言う川上の隣で、大河内がおろおろとした顔で高城姉妹に声を掛けようとしていた。
「高城先輩。澪子ちゃんも。ちょっと落ちついてください……」
「ほっとけ。姉妹喧嘩なんぞ犬どころか虫も食わんわ」
 黒岩はつまらなそうにそう言うと、テレビの画面に視線を戻した。川上も試合に目を戻しながら、
「それにしても、今日の試合は荒れてますなあ」
 と、呆れたように言った。
「荒れてる、ゆうか、メチャクチャやがな」
「確かに」
 妹の後を追いかけていた高城がいきなり立ち止まり、黒岩たちのほうをくるりと向いて、
「どっちのチームも采配があんまりでしょ。ランナーも出てないのに序盤から代打出すわ、打ち込まれてるピッチャー替えないわ、そうかと思えば四番に送りバントさせるわ。勝つ気ないんじゃない?」
 と、両チームの采配を切って捨てた。
「おまえもしっかりテレビ見とんねやないか」
「悪いかっ」
「逆ギレかいな」
「なにおうっ」
「ヤクルトファンは青いビニール傘買うてきて、そのへんで新東京音頭でも唄っとけ」
「んだとぉ! コンドームみたいなゴム風船飛ばすしか脳のない阪神ファンが!」
「あれはジェット風船じゃ。コンドームゆーな! やんのか、こら!」
 お互いの球団のファンが七回の自軍攻撃前におこなう応援方法をバカにされ、カッとした黒岩と高城がにらみ合っている横から、大河内がすまなそうに小声で話しかけた。
「あのお……」
「なに?!」
「なんや?!」
「……いや、その、今日の試合って、そんなにメチャクチャなんですか?」
 大河内の質問に、黒岩は『何を今さら』と呆れた顔になった。
「って、そりゃおまえ、高城の言うたとおり、采配はメチャクチャやし、点かて見てみい。バスケの試合やあるまいし、毎回毎回どっちも得点してまうもんやから、いつまで経っても試合はすすまんし、気ぃついたら両軍二桁安打どころか二桁得点や……」
「ポンポン点が入っておもしろいと思ってたんですけど、本来はもっと地味なんですね」
「ボン。もしかして、おまえ、ここまで何もわからんと見てたんか?」
「スポーツのことは種類を問わずさっぱりです」
 黒岩の質問に、大河内はしれっとした顔でそう答えた。
「もしかして……」
 黒岩は、疑惑に満ちた表情を新庄の方に向けた。
「右に同じです」
 新庄は大河内以上に平然とした表情でそう言った。
「そんなんで、見てておもろいか?」
「大河内さんも今言っておられましたが、なんだかたくさん点が入って、見ていて飽きません。バットに球が当たったときの音も、気持ちいいですし」
「さよか」
 新庄はさらに、
「なにせ、野球といっても映画で見たことがある程度なもので」
 と、話を続けた。
「なんや? 『フィールド・オブ・ドリームズ』とかかい?」
「いえ。『くたばれヤンキース』と『私を野球に連れてって』でして」
「どっちもミュージカルやんけ!」
「試合の場面が少ないもので、今ひとつルールがよくわからないのです……」
 まじめくさった顔で答える新庄に、黒岩は頭を抱えつつも、
「そんなヤツばっかりか。おい、高城妹。さっき姉ちゃんに『エセ阪神ファン』とか言われとったけど、おまえは野球詳しいんかい?」
 と、今度は澪子に聞いてみた。
「わたしは野球マンガファンですからねー。水島マンガなら『男ドあほう甲子園』から『ドカベン スーパースター編』まで、あだち充なら『タッチ』に『H2』。ちばしげるの『キャプテン』と『プレイボール』。もちろん『巨人の星』や『アストロ球団』だってバッチリっすよー。でも、最近だとおもしろいのは『ワンナウツ』かな。『大きくふりかぶって』も悪くないんですけどねー」
 などと、澪子はやたらと元気よく返事してみせた。
「誰がそんなこと聞いてんねん、誰が。野球のルールは知ってんのんかいな?」
「ルールなんか知らなくてもスポーツマンガは楽しく読めます! スポーツ観戦もしかり!」
「さいでっか……」
 なんだかスポ根マンガに出てくる鬼コーチのような勢いで断言する澪子に、黒岩はもはや力なく答えるだけだった。
「でもでも、ちょっと不思議ですよねー。まーちゃんはともかく、おたくの巣窟にこんなにスポーツ観戦ファンがいるなんて」
「あのな。忘れてるようやから言うたるけど、キミも今やその『おたくの巣窟』の一員やねんぞ」
「あはは。冗談はさておき」
「さておくな、んなもん。だいたいな。『おたくイコールスポーツ嫌い』なんちゅうのは、ただの偏見やろ。おたく言うたかて、別に『萌え』やなんや言うてアキバうろうろしてるアニメおたくとエロゲーおたくだけがおたくなわけあるかい。鐵っちゃんはもちろん、ホラー映画おたく、プロレスおたく、ハードSFおたくに本格ミステリおたく、それにトラきちと、寝食を忘れてこだわってるもんがあるヤツは、みんな立派なおたくやがな。ましてや、好きなもん、こだわってるもんが一つだけやなんて、誰が決めてん?」
「おー、なんかちょっと勇ましいですねー」
 素直に澪子が感心してみせると、川上が、
「全部、善さんの受け売りなんだけどね」
 と、黒岩のうしろから茶々を入れた。
「やかまし」
 振り向きざまに殴りかかった黒岩の拳を、川上はさらりとかわしてみせた。
「ま、オレみたいなミリおたは、おかげで居心地いいっすけどね。うちのSF研は基本的に来るもの拒まず去る者追わずだから」
「SF読んでへんヤツと、おもろないヤツには皆冷たいけどな」
 黒岩の言葉に、高城が呆れて、
「前者はSF研なんだからまだいいとして、後者のそれってどうなのよ? あんたんとこは吉本の養成所か?」
 と言った。
「で、結果的に女性会員は私だけなんですねー」
 澪子がにっこり笑ってみせると、川上も、
「そそそ。皆、去ってっちゃうんだよねー」
 と苦笑した。
「エロ同人誌やらフィギュアやらそこらじゅうに置いといて、何が『去ってっちゃうんだよねー』よ。うちの新勧にも影響すると思って片づけてあげたのに、あっというまに元の木阿弥になっちゃってるじゃないの。せめて整理しなさいよ、整理を」
 机の上にバラバラと置かれているフィギュアや雑誌、同人誌の山を見回しながら、高城がため息をついた。
「『萌え』だけがおたくじゃないのはもちろんですけど、逆に言えば『萌え』もおたくのうちっすから」
「そーゆー問題かあ?!」
 高城が川上に怒りかけたところで、TVの前に集まっているSF研会員の一人が、
「あ、トラさん映ってますよ」
 と、声をあげた。
「あ、ほんまや。おーおー、派手に旗振ってんなあ」
 一瞬ではあったが、阪神タイガースの攻撃が終了して攻守交代がおこなわれているあいだ、テレビカメラがレフト側外野席に向けられ、『へー大SF研猛虎会』と書いた応援旗を左右に振っている、TシャツにGパン、ごついヒゲ面のむさくるしい青年がテレビの画面上に映し出されたのだった。
「てか、あのアホ、またライト側の席取れんで、レフト側で阪神の旗振っとんかい。幸い今日も阪神ファンの数が多いからええようなもんの、ええ加減にしとかんと、そのうち相手チームの援団にボコボコにされんぞ」
 顔をしかめてそう言う黒岩に、大河内が、
「なんでレフト側だとダメなんですか?」
 と尋ねた。
「あー、そこから説明せんとあかんわけね。ファンは野球場に野球見に行ったらな、自分の応援したいチームのベンチがある方に座って応援するちゅうことになってんねん。ベンチはわかるか?」
「監督とか守ってない選手たちが座ってるとこですよね」
「そうそう。で、ベンチはグラウンドを挟んで球場の両側に一個ずつあるやろ。その野球場が自分のホームグラウンドのチームは、一塁側のベンチを使うことになってんねん。つまり、ホームグラウンドである甲子園球場で試合する場合、阪神タイガースのベンチは一塁側。阪神ファンの座る観客席も一塁側、つまり外野の守備位置で言うとライト側っちゅうわけや。ところが三塁側内野席とレフト側外野席っちゅうのは、原則的には相手チームのファンのための席なわけや」
「なるほど。だから、甲子園のレフト側外野席で阪神の応援をしてるってのは、ルール違反なわけですね」
「まあ、甲子園の場合、下手すりゃ満員の客のうち、九割くらいまで阪神ファンやったりするから、レフト側外野席かて阪神ファンがぎょうさんおるけどな。相手チームのファンからしてみたら、気分悪いやろ、やっぱ」
 黒岩が大河内に野球観戦のイロハを教えている横で、高城が怪訝そうに、
「誰、あれ? SF研の会員? あんまり見かけた覚えがないけど」
 と誰にともなく質問した。
「まーちゃん、トラさん先輩のこと知らないの?」
 澪子が不思議そうにそう言うと、川上は、
「そう言や、高城さんは会ってないかも。トラは飲み会や球場には現れても、ろくに大学には出てこないから」
 と答えた。
「ありゃ、吉田寅男ゆうて、商学部の三年や。一応SF研なんやけど、親の代からのトラキチでな。名前も寅男なんてつけられたもんやから、本人もガキの頃からの阪神ファンになってもうて、ああやって甲子園の試合にはほとんど応援に駆けつけとるんや。もちろん、他球場の試合も行ける限り行っとるらしい」
 まるで当たり前のことのようにそう説明する黒岩に、高城は、
「って、どこに住んでんのよ、いったい? 甲子園は兵庫県にあんのよ! なんで東京の大学に通ってる学生が、甲子園の試合、毎回見に行けんの?!」
 と、大声でまくしたてた。
「そこはそれ、熱意のなせる技っていうか……」
 川上がとりなすようにそう言うと、黒岩がさらに、
「神戸に親戚が住んでて、関西行ったときはそこに泊めてもらうらしいで」
 と続けた。
「往復は夜行バス使って運賃節約してるそうです」
「試合のない日は肉体労働系のバイト、絶対に入れて金稼いどるよな、確か」
 二人の説明に、高城はいよいよいきりたってしまった。
「そーゆー問題でなく!」
「単位とか留年とか、言いたいことは重々わかるつもりなんやけど……」
「トラにそんなこと言ってもムダですわなあ」
「なあ」
「『なあ』って、あんたたち……」
 とうとう絶句してしまった高城の横で、澪子が、
「クロさん先輩だって二浪二留で卒業の見込みナシなんだから、トラさん先輩のことは言えませんもんねー」
 と、笑ってみせた。
「ほっとけ。オレはアイツほど大それた望み持ってないぞ」
「あ~、こないだのコンパで、『オレは日本一のスポーツ記者になるんだ~』とかなんとか叫んでましたっけ?」
 そう聞き返す澪子に、黒岩は頭を振ってみせた。
「それや、それ。そりゃ、フリーの物書きになるのに、別に大学出てる必要はないけどな。このままの勢いやと、あいつ、取得単位数が少なすぎて、何年か先には卒業不能と見なされてまちがいなく放校やぞ。日本一目指しとる場合かっちゅうねん」
 これには、澪子も素直に笑ってしまっていいのかわからず、笑みがこわばってしまった。
「放校、っすか。はは、は……」
 そのとき、テレビの画面に再び外野席が映し出され、見ていたSF研会員の一人が、またも吉田の姿を発見した。
「あ、まただ。トラさん、また映ってますよ」
「いいなー。あたしも一度甲子園行ってみたいなー」
 そう言って画面をのぞき込んだ澪子は、いきなり、
「うわー、何あれ?」
 と、素っ頓狂な声を上げた。

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