オナー・ハリントンとニック・シーフォート

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 1999年、『SFマガジン』の増刊号に書いたもの。当時人気だったミリタリーSFシリーズ2本を紹介しています。
《オナー・ハリントン》は大好きなシリーズだっただけに、途中で翻訳紹介が終わってしまったのが残念。
 ちなみに、今一番お気に入りなのは、ロバート・ブートナーの《孤児たちの軍隊》シリーズです。現代版『宇宙の戦士』な感じでおもしろいですよ。

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 ロイス・マクマスター・ビジョルドの《マイルズ・ヴォルコシガン》シリーズが、アメリカのSFファンに近年で最も愛された宇宙冒険SFであることは、その受賞歴を見れば明らかだろう。
 そして、それに続けとばかりに、九〇年代に入って登場し、矢継ぎ早に巻を重ねて、それぞれに人気を博したのが、この稿で紹介するデイヴィッド・ウェーバーの《紅の勇者オナー・ハリントン》シリーズと、デイヴィッド・ファインタックの《銀河の荒鷲シーフォート》シリーズなのである。
 この三つのシリーズには、いくつかの共通点がある。
 まず第一に、いずれも宇宙冒険SFであるとともに、強烈なミリタリーSFでもあるということ。主人公たちは皆、宇宙軍に所属する軍人なのだ。
 第二に、彼らの所属する国家の体制がいずれも王政などの前近代的なものに逆行してしまっていること。従来ならば、悪役を振られてしまっていたような国家の軍人を、物語の中心にすえているのである。
 これは、正義の味方や一匹狼のアウトローが活躍する全盛期のスペオペとも、八〇年代に流行した民主主義バンザイ式のミリタリーSFとも明らかに違う。
 そして第三の特徴としては、どの作品も、超光速航法が開発され、人類が太陽系外の惑星へと植民に乗り出した宇宙大航海時代が背景設定となっていること。
 これだけをとれば、《スター・トレック》のような遠未来を舞台とした宇宙SFにはありきたりの設定に見える。だが、先に述べた二つの共通点にこの設定を加えると、そこにはあきらかに、古き良きイギリス帝国海軍を描いた帆船小説に対する郷愁が感じられる。スペース・オペラがホース・オペラ(西部劇)を宇宙に移したものだとすれば、ミリタリーSFの神髄は、海戦主体の帆船小説を宇宙に持ってきたものだということかもしれない。そう、これらのシリーズの主人公たちは、まさに「宇宙の海を股に掛けて」大活躍を繰り広げるのだ。

<宇宙のホーンブロワー>
 前記三シリーズの中でも、デイヴィッド・ウェーバーの《紅の勇者オナー・ハリントン》シリーズは、もっとも帆船小説の影響が色濃い。というよりこのシリーズは、第一巻の冒頭で作者が献辞を寄せているC・S・フォレスターによる《海の男ホーンブロワー》シリーズの、非常に緻密な宇宙SF化だと言っていいだろう。
《海の男ホーンブロワー》は、十八世紀後半から十九世紀前半にかけての英仏戦争を背景に、英国海軍に士官候補生として入隊したホレーショ・ホーンブロワーが、数多の危機や試練を乗り越えて任務をこなし、やがては提督へと昇りつめていく姿を、緻密かつ重厚な筆致で描いた傑作海洋冒険小説である。
 新たな任務(艦)への着任。乗組員たちとの対立と和解。困難な任務。足を引っ張る権力者たち。強大な敵との戦闘……。《ホーンブロワー》シリーズに見られるこういった特徴を、ウェーバーは逐一《オナー・ハリントン》に移し換えている。
 主人公であるオナーは、数ある人類の星間国家の中でも、領宙域は小ぶりながら、盛んな交易で豊かな経済を誇るマンティコア王国の航宙軍に勤務する少壮の女性士官だ。
 マンティコアの近隣には、ヘイヴン人民共和国という大国がある。この国は破綻の危機に瀕している国内経済から国民の目をそむけさせるとともに、新たな物資を確保するため、他国への侵略政策を推し進めており、マンティコア王国は目下その最大の障害であり獲物でもある。
 かくして、オナーの所属するマンティコア航宙軍は、侵略の手を伸ばしてくるヘイヴン軍との、長く苦しい戦いに否応なく臨むこととなり、その中でオナーは一歩一歩昇進の階段を上っていくことになる。
 物語の基本を為すこの構図自体が、英仏戦争の移し替えである。主人公の属するマンティコアはエリザベス三世女王を冠する立憲君主制の王国であり、敵国であるヘイヴンは共和国とは名ばかりで内実は世襲大統領に率いられた独裁国家なのだが、それも帆船小説におけるイギリスとフランスの位置づけをそのまま持ってきているというわけだ。
 シリーズ開巻時、オナーはマンティコア歴で十五年(地球歴にして二十五年!)に及ぶ軍隊勤務の末、老朽艦とはいえ初めて巡洋艦の艦長としてその指揮を任されることになる。
 つまり、彼女はその初登場時において、すでに経験豊富なプロフェッショナルなのであり、その行動には迷うところがない。ここがマイルズ・ヴォルコシガンやニック・シーフォートともっとも違うところであり、これまた《ホーンブロワー》シリーズにもっとも忠実な部分でもある。
 職務に忠実なプロフェッショナルが、数々の困難を乗り越えて使命を達成する。そんな英国冒険小説の伝統を、宇宙冒険SFの世界に持ち込もうというのが《オナー・ハリントン》シリーズのおもしろさなのだ。

<スペオペ的リアルさの極にある戦闘描写>
《ホーンブロワー》シリーズは、航海や海戦の描写のリアルさが実に素晴らしいのだが、ウェーバーはそれを宇宙SFの世界に移し換えようと、かなりまじめに努力している。
 安直な作品の場合、単純に宇宙を海のアナロジーとして、基本的に2次元の戦闘である海戦の方法論を、何の理由づけもなくそのまま宇宙での戦闘に持ち込んでしまいがちだ。その結果、きちんと戦闘の優劣を論理的に提示できないまま、ご都合主義的に主人公側が勝利してしまったりするわけだが、本シリーズにおいてはそのようなことは起こらない。フィクションとしての宇宙戦闘に必要な事柄を、現実のものも架空のものも含めてきちんとルール化し、それを元に戦闘場面を組み立てているのである。
 ここでは、それらの基本ルールを箇条書きにして簡単に解説していこう。
1.超光速航行はワームホール沿いに行う。
 したがって、恒星間を飛行する航路は基本的に一定であり、その中継点であるワームホールは、海上における運河や港同様、重要な戦略ポイントとなる。ここを制する者が制宙権を制するのだ。
2.超光速航行中の戦闘はない。
 このルールのおかげで、作者は通常空間での光速以下での戦闘のみを考えればいい。亜空間を用いた超光速戦闘の概念を導入してしまうと、話がややこしくなる上に、矛盾の元ともなりかねない(『宇宙戦艦ヤマト』の小ワープ戦法や、《スター・トレック》の戦闘描写を見よ)。
3.人工的に重力場を作り出して加速、最大加速度は四百Gを越し、最高速度は光速の八割まで出せる。
 この極端な技術力の導入によって、広大な宇宙空間でも、海戦に近いイメージの戦闘を行うことができる。ただし、敵との距離は海戦など比べ物にならないくらい遠い(数百万キロ以上)が。
 映画やアニメなどではよく見逃されがちだが、宇宙はとにかく広い。ロケット推進のミサイルなんぞを遠距離から撃ち合っていたら、いつ弾が敵に届くかわからない。しかもレーザーなどのビーム兵器は光速で飛びかうわけだから、足の遅い実弾兵器の出る幕はない。それどころか、宇宙船同士自体、ろくに針路修正も行えないまま撃ち合うことになってしまう。ところがこの設定を導入することで、ミサイルもまた光速の八割の速度で飛ぶこととなって、ビーム兵器との併用も可能となり、宇宙船も自在に進路を変えながら戦闘できるというわけだ。
4.航行中は他の重力場の影響を受ける。
 つまりここでは、重力場は海における潮の流れのメタファーとなっている。これによって、通行の困難な宙域が存在したり、惑星や恒星付近といった重要拠点間近での戦闘では、その重力場の影響をもろに受けて繰船が難しくなったりする。つまり、潮の流れが激しい航海上の難所や、湾岸や港内での海戦における暗礁のようなものを、宇宙空間に持ってきているわけだ。
5.推進用の重力場によって艦の上下は保護されている(弱点は艦の両舷である)。
 この設定もうまい。これによって、宇宙船同士は互いの横腹を狙い合うしかないことになり、三次元的に自由な行動よりも、二次元に近い動きをとらざるを得なくなる。つまり戦闘機同士の空中戦より、戦艦同士の海戦に近い行動イメージとなるわけである。
6.攻撃の手段は以下の三種類である。
  A.ミサイル (遠距離=破壊力小)
  B.ビーム兵器(中距離=破壊力中)
  C.重力槍  (近距離=破壊力大)
 これらの兵器はそれぞれに一長一短がある。ミサイルは遠距離からでも使えるが、破壊力も弱く、命中率も低い上に、搭載数に限りがある。ビーム兵器は高速のため命中率が高いが、ミサイルと違ってある程度の距離まで近寄らないと本来の威力が発揮できない。もっとも破壊力のある重力槍は、有効射程距離が近すぎるため、敵の反撃を食らいやすい。とまあ、そんな具合だ。それぞれの兵器の特性を生かせるように、適宜使い分けるよう作戦を練ることが、戦闘時のサスペンスにつながるのである。
 これらのルールが、いかにリアルで迫力ある戦闘場面を作り上げているかは、実際に小説を読んで確かめていただきたい。

<悩める指揮官ニック・シーフォート>
 一方、デイヴィッド・ファインタックの《銀河の荒鷲シーフォート》シリーズは、戦闘描写や対立構造などといった外面的な設定よりも、背景となる舞台設定として、十九世紀当時の英国及び英国海軍の文化を物語に取り入れようとしている。
 西暦二一九四年。超光速航法を得た人類は、国連宇宙軍の庇護のもと、銀河系内への進出を進めていた。
 士官学校を卒業したての主人公、ニック・シーフォートは、初めて乗り込んだ宇宙戦艦の航宙中、事故で先任士官がすべて死亡してしまい、若干十七歳の士官候補生の身で、艦の指揮を執らねばならなくなってしまう。
 この日から、栄光と苦悩に包まれた、希代の英雄シーフォートの伝説が人類史に刻まれていくことになるのであった。
 こう書くと、まるで若年層向けの《ペリー・ローダン》のようだが、実態はかなり違うのである。なにしろ、この世界は一度破滅の危機に見舞われたせいで、非常に保守的な方向へ文化が逆行してしまっており、窮屈この上ない前近代的な秩序が社会全体を縛りつけているのだ。
 狂信的と言っていいキリスト教会の、偏向した倫理的・道徳的な締めつけもすごいが、何にも増してすさまじいのは宇宙軍内の規約だ。士官候補生のしごきはあるわ、水兵の強制徴募はあるわ、軍法会議にはろくな弁護人はいないわ、あげくのはてに懲罰は鞭打ちに縛り首。二十世紀中盤以降の近代軍隊が捨ててきたはずの、暴力装置としての軍隊の持つ矛盾がそのまま復活しているのである。
 マイルズもオナーも、いや原典たるホーンブロワーも、自国の政治形態や軍隊組織の抱える矛盾や問題について、特にそれが不合理的な因習や慣例によって支えられている場合、非常に自覚的であり、批判的である。これは、主人公に自分の住む世界を客観的に眺められる視点を与えているわけで、ある種のリアルさを捨てて主人公のヒーロー性を獲得していると言ってもいい。
 だがファインタックは、(少なくともシリーズ初期の)シーフォートにそのような贅沢を許さない。シーフォートは、その時代の人間として、同時代の文化・慣習を教え込まれて育ち、それを当然のものとして受け入れているのである。
 だからこそ、彼は悩む。有能であり、情に厚い好人物であればあるほど、自分の理想と現実とのギャップに悩み、自己の判断を信じられずに悩むことになるのである。
 毎回訪れる危機や困難を乗り越えても、彼の苦悩は治まったりしない。その根元が彼の住む社会の歪みにあり、彼自身にはその歪みが認識できないでいるのだから当然のことだ。
 未訳の最新刊においては、シーフォートは軍部や教会内の強行派が起こしたクーデターに立ち向かうようなのだが、はたして彼自身の心に内在する矛盾は解消されるのだろうか。 高潔なる職業軍人の倫理的葛藤。それが《銀河の荒鷲シーフォート》シリーズの最大のテーマなのである。

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