【新しい命のためにボク達ができること】

赤ちゃんかわいい、世界です。

ネパールで居酒屋を経営しております。

画像1

今日の話は20代の人たちに勇気を、30、40代の人には警鐘を与えます。

さて、私は4つ上の兄と、5つ上の姉がいます。

子どもも4人いて、ボクには姪っ子と甥っ子が4人います。

25歳になって妊娠、出産という友人も周りに多くなりました。

新しい命というのは何より尊く、また生きることの楽しさを教えるのが少しでも人生で先輩のボク達ができることだと思います。

今日も、この世界の騒動をあざ笑うかのように実況席に座っている神様は人間の様子を楽しんでいます。きっと人間なら乗り越えれると信じる神様も、苦しんでいるボク達を見て腹を抱えて笑っている神様もいることでしょう。

”新しい命”もまた毎日のように世界では誕生しています。

そんな未来ある新しい命にボク達ができることとはなんでしょうか?

ボクの中の結論は「人生は素晴らしいことだよ」と教えてあげることだと思っています。

ツイッターで人の揚げ足を取ったり、Yahoo!ニュースで「この人は嫌い、見ていて腹たつ」なんて世界は一切いらないです。

「お、人生って楽しくね?」「オレもやってみたい!」というチャレンジャーや希望といったファンタジーの類の言葉を残していく必要があります。

そりゃ人々は笑ってる方が良くて、豊かな生活を送るべきだと思います。

しかし、醜い承認欲求や自分のアイデンティティを探すために、向上心を持つ人たちの足を引っ張ろうというのは少なからず日本には一定数います。

この世界の誰もが昔は自分の成長にだけ期待してもらって、暖かい目と母親の愛情を受けて育ってきました。

しかし、どこかで気づきます。

「オレの人生このままでいいのか」

何千年と生きてきた人類という生き物は、国によって違いはありますが日本は

18年を境に親の手を離れることになります。

15歳で義務教育が終わり、18歳で社会に出るか大学に行くか、大学に行ってもバイト代を自分で稼いで遊ぶお金は自分のバイト代からといった感じに。

20代で悩み考える若者の言動は、至極自然な形です。

1年、1年、人の手から離れて期待されなくなっていき、また新しい命に人が期待を抱き続けるからです。

とはいえ20代なんてうんこみたいなスキルとアイデアしか持っていないわけですから考え続けますよね、わかります。悩みます。

ここで諦めずに、自分と向き合って立ち向かい続けたものだけにしか見えない、見せれない景色はあります。

加えて「期待されること」はなくなり、卑劣で理不尽の沼にいつハマるかわからない「社会」という新しい扉を開きます。

当然のように繰り返される年功序列と意味のない会食はボク達の未来を確実に奪っています。

赤ちゃんの頃に、公園で遊んでいた頃に持っていた旺盛な好奇心はいつの間にか綺麗になくなり、周りの目を気にするように生活を送り、家に帰ってもまだSNSという空間に支配されます。

「自分の人生とは」を考えさせ、人々の心を蝕むくらいは容易な世界になりました。

人類の進化に費やした代償は人間の心だけではなく、この世から仕事、感性、個性、興味、挑戦という言葉を薄くしていきました。

「次の世代に」という視点で考えると、ボク達のアップデートは3つ必要になってきます。

・にわかを容認すること

・若者の共通言語を理解すること

・挑戦する循環を回すこと

これら全て3つに共通するのは「許容力」です。

許容力とは、”人それぞれの生き方を受け止め、「できるか、できないか」で判断せず、そういう生き方もあるよね”と一緒に考え寄り添う力のことです。

「Jリーグを見てないのにW杯の時だけ騒ぎやがって!このにわかが!」

という発言は自分にとっても相当なリスクで、次に自分が興味のあることを始めて同じことを言われると、言い返せる言葉と新しい可能性を無くします。

「政治も経済もわからんやつが意見するな!」というのは特にいま横行していて、選挙の投票に行く若者を1人、1人と排除していっています。

「最近の若い奴は投票にもいかない」と言われたところで、「そうさせてるのはあんたらいい大人達の1つ1つの言動だよばかやろー」と言いすてる若者の気持ちもわかります。

そんな大人達を見ていると、「オレも新しいこと始めて生きていく!」なんて若者がわんさか出てくるわけもなく、有名なインフルエンサーたちは

「とりあえず行動してみたらいいんだよ」という優しい言葉をかけても、民主主義の日本では大多数の意見に才能も勇気も、自身もスキルも潰されます。

このままでは人口も減って、希望も減ってえらいこっちゃになるので、

身の回りの人たちの可能性や、希望は少しでも潰さないようにするのがボク達がこれからの世代にできることです。

若者という生き物は、「人生は素晴らしい」と思いたくて必死に毎日自分をすり減らしながら生きています。

そんなことに悩んで。ということをいつまでも考え、自分と近くにいる人たちをどうすれば豊かにできるかなと考えています。

それに必要なのは、かつて若者だった、30代、40代の人たちの”許容力”であり、背中を押す人生の先輩からの一言です。

間違ってもやって欲しくないのは、「自己満足のアドバイス」で、若者が自分から聞いてきたときや、アドバイスを欲しがった時だけ言葉をぶつけてあげて、

あとは「やれるよ」「やってみな」という言葉をかけてあげて欲しいです。

人生の先輩である人からの「やってみな」の力は偉大です。

ぜひ、こんな世の中になるように、自分も社会の何らかの一助になれるようにと思って書きました。

救われる人が1人でもいたならボクは生きていた価値があります。

そうやって、幸せな連鎖で満たされる世界をボクは作っていきたいです。

見えない闇の中でも見える光を求めよう。

ほなまた!





もし1億円稼げるようになったらコンビニで100円のおにぎりじゃなくて200円のおにぎりが買いたい