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宇宙人からヒトはどう見えるのか?

渋谷には600円でプラネタリウムを見られる場所がある。

池袋のサンシャインや墨田区のスカイツリーのそれと比べれば規模は小さいけれど、クオリティは十分だし プログラムはおもしろいし そこまで混んでなくて穴場だ。時間によってプログラムが変わるので 何度でも楽しめるのがまたいい。

あんなにザワザワとした渋谷駅から10分ほど離れただけの場所なのに、どうしてここはいつも人が少ないんだろう。そろそろバレるんじゃないだろうか、と懸念してはいたけれど、1年ぶりに行ってみたら杞憂だった。あいかわらず混んでいない。


プラネタリウムを見ていると、宇宙というのはやっぱり広いなーと当たり前のことが再確認できるから好きだ。それと同時に、地球はその中のほんのひとかけらに過ぎないし、この太陽系の歴史から見れば、地球が生まれておそらくいつか無くなるのかもしれないけれど、宇宙からすればこの事象はほんの一瞬のきらめきにすぎない。


同じ世界に住んでいても、ヒトとアリでは見える景色が違う。同じように時間軸も。ハエから見ると、人間の動きはスローモーションのように見えるそうだ。

ふだん、人間は人間のフィルターからしか物事をとらえることができない。当たり前のように見えている世界は実は思ったより一部しか見えていなかったりする。

現に心拍数や呼吸の回数が生物によって違うし、動けるスピード、視力、体力、聴力、嗅覚、このすべてのステータスを画像加工アプリのように自由に操作できるとしたら、世界はまったく違って見えるだろう。


渋谷の雑踏、東京オリンピックがいよいよ開幕すること、人口減少、芸能人がツイッターで叩かれていること、今日の晩御飯をどうしようか考えていること、あれもこれも、すべてが宇宙の中のほんの一部の一部の、さらにその中の断片にすぎない。宇宙から見ればそれはすべて早送りに再生できて、何事もなかったように点になる。

それでもなぜヒトが存在しているのか。そう聞かれたらたぶんわかる人はいない。

なぜか生まれて消えていく、その自然現象の中で、こうやって今日も note を書くために手を動かすことがやりたい。こういった、あれをやりたい、これをやりたい、と思う気持ちの積み重ねが今日の文明の発展につながってきた。

そしてこれからも おそらく世界は移り変わっていくし、最終的にどうなるかは誰にもわからないけど、少なくとも自分自身はその川上から川下へ流れていく中で必要な、ひとりのキャストなのだととらえることもできる。


常になにかをやっていないと手持ち無沙汰になるし、社会から必要とされていなければならない、必ずどこかに向かっていかなければならない、だから自然に身を任せて自分の信じたことに取り組めていれば それでいい。

渋谷のプラネタリウムはおすすめです。

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