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近江商人

滋賀県人は消極的だと言われてますが、それは人によるでしょうし、京都や大阪のように観光都市でもないし、でもね、偉人もたくさんでてたりするんですよ。

ちなみに僕が育った豊郷町からは、伊藤忠商事や丸紅の創始者、初代伊藤忠兵衛氏とか。通っていた小学校は、丸紅商店の専務だった古川鉄治郎氏によって寄贈された豊郷小学校。今はアニオタの聖地になってますが、設計したウィリアム・メレル・ヴォーリズの名前は建築に興味がある方ならご存知かと。

そんなこんなで昨年あたりから、なにがあったのかわかりませんが、急に滋賀が注目されはじまして、僕もいくつか取材を受けましたのでよろしければ。今月はサライとCREAに掲載されてます。

ところで、「近江商人」になぞって、東京の友人に会うと、冗談まじりに、新保さんが通ったあとはぺんぺん草も生えないからなぁ、、とかネタっぽく言われることがあります。

悪い意味ではなく、近江商人の商いというものは、生命力の強いぺんぺん草が生えることもなく、つまり、無駄がないという意味で使われていたのです。

そもそも、近江商人とは、地方で仕入れた物を都会で売り、その道中で品物を仕入れては違う場所で売るという「のこぎり商法」で商いを行なっていました。運送会社が良い例ですが、片道の荷物より、荷下ろし後、道中で積荷したほうが往復の利益を得られるので一石二鳥というわけです。

現在でも、滋賀県出身の商売人や企業家を近江商人と呼ぶこともあり、シャレの分からない人は、もしかしたら近江商人=あくどい商人と勘違いしている人もいるかも知れません。三方よしばかりがクローズアップされていますが、近江商人の歴史を探求すると、かなりおもしろいです。

そんな近江商人の偉人たちを僕は尊敬し、誇りに思っています。

ありがとうございます!