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人生最高のタイミングで読めた5つのマンガ

マンガでも映画でも、人生において「その作品を最も楽しめるタイミング」ってありますよね。

例えば、なんとなく好きだった作品がライフタイムベストに格上げされることもあれば、嫌いだった作品の魅力が急に分かるようになることだってあります。

以前アルでピックアップした「私を構成する5つのマンガ」も、思い返せば僕の人生において最高のタイミングで読めた作品ばかりでした。

あの時読めたから一番楽しめたし、今でも当時の感情が鮮明に残っています。それぞれの作品が僕にとってどんな意味を持っているのか、僕の昔話に少しお付き合いください。

小学校:『かりあげクン』で “大人” を学ぶ

僕の祖父は昔からマンガ好きで、祖父母の家に行くと毎回新しいマンガが本棚に加えられていました。昔はそれなりに頻繁に祖父母の家に行っていたのですが、親戚が集まると “大人の会話” しかしなくなるので、よく一人で祖父の本棚を漁っていた記憶があります。

小さい子が読むには少し難しい作品ばかりでしたが、だからこそ躍起になってストーリーを理解しようとしてました。(さすがに『ゴルゴ13』は読むなと言われていましたが……その話はまた別の機会に)

ただ悲しきかな、一番鮮はっきりと記憶に残っているのは子供でも分かりやすくて笑える『かりあげクン』です。作者は『コボちゃん』などで知られる植田まさし先生で、サラリーマンであるかりあげ正太が誰彼構わずイタズラを仕掛けまくる作品です。

思い返すと恥ずかしいのですが、僕はかりあげクンに小学生なりの「理想の大人」像を重ねていました。

だって僕がマンガを読んでいたのはだいたい、親戚たちが 「ケーキが悪くて……」とか「良いダイガクを出ないと……」とかよく分からない話ばかりしていて、なんとなく大人になると面白いことが減るんだろうなーと感じていた時。

マンガの中で子供のように “真面目に不真面目” を貫くかりあげクンを笑いつつも、心のどこかで「ずっと面白い大人もいるんだな」と思わずにはいられませんでした。あの時かりあげクンに出会えていたから「とりあえず面白い大人になるか!」と少し前向きになれたんだと思います。

ただ、最近懐かしく思って読み返したものの、かりあげクンのイタズラは今だとTwitterで炎上しそうなものばかりで、全く推奨できません。小学生の頃に憧れていた大人にはなれなかったけど、なれなくて良かったのかもしれない……と複雑な心境です。

中学校:『蟲師』で “ルールに囚われないカッコよさ” に気づく

中学校の頃、学校にマンガを持ってくるのはご法度でした。見つかろうものなら即没収で、卒業まで返してもらえないとかどうとか。

そんな状況で、担任の先生から秘密裏に許可を得てマンガを持ってきていた友人がいました。彼は「先生にも貸すから摘発を免れる」との取引をどういうわけか成立させ、漆原友紀先生の『蟲師』を学校に持ち込んでいました。

『蟲師』は、精霊と妖怪を足して2で割ったような「蟲(むし)」の話です。蟲は作中で「生と死の間、者と物の間にいるもの」などと表現されていて、多くの場合は限られた人間にしか見えない存在です。そして蟲が人間の生活に影響を及ぼした時に解決してくれるのが「蟲師」というわけです。厳密には違いますが、霊と霊媒師みたいなもんですね。

蟲師が必要とされるのは専ら、蟲が個人や村に悪影響を与えている時なので、蟲を “駆除” すれば事は済みます。だから、蟲師の間には蟲を追い払う、もしくは消滅させる方法ばかり共有されています。しかし他の蟲師とは違い、主人公のギンコは蟲の生態を読み解き、蟲と折り合いをつけて共存する方法を最後まで探すのです。

しきたりとか伝統とか、なんとなく受け継がれている事に違和感を持って「自分はこうしたい」を貫く。中学生の僕は、ルールに囚われないギンコの生き様にそれはそれは惚れ込みました。(その頃はネットで「ginko」と名乗っていたくらいハマってました)

と、なぜ僕が作品の内容まで知っているかというと、先生が借りたあとに僕も借りていたからです。なんなら、先生と感想を共有したことすらあります。正直に言うと先生の授業はあまり頭に入りませんでしたが、良いマンガとの出会いのためにルールを破ってくれたことだけはずっと覚えています。

高校:『山口六平太』で “働くこと” を知る

面白い大人、ルールに囚われない人に変に入れ込んでいたことを考えるとさもありなん、僕の高校生活はなかなか迷走していました。そこそこ良い進学校に通い始めたものの「勉強ばかりはつまらん!」と退学しようとしたのです。(マンガのせいではありません)

両親との相談……というより喧嘩の末、高2の夏に編入することにしました。男子校から共学へ。進学校から普通の高校へ。そして、両親の家から離れてマンガが好きな祖父の家へ。祖母は高校に入ってすぐ他界したので、祖父との二人暮らしが始まりました。

そう、マンガだらけの祖父の本棚と同じ屋根の下で暮らす事になったわけです。最初は懐かしさから祖父の本棚に手を伸ばしていましたが、林律雄先生が原作で、高井研一郎先生が作画を担当する『総務部総務課 山口六平太』と再会してからは、寝食忘れて同作を読み耽りました。

「再会」と言ったのは、実は小学生の頃もこの作品の存在を知っていたからです。ただ、自動車メーカーの社内で起こる問題を総務課の山口六平太が解決する……なんて小難しい内容に、当時はついていけませんでした。

高校生になってからはバイトの経験も僅かながらありましたし、「仕事をこなす」ことの意味も少しは理解し始めていました。だから、電灯ひとつ交換するだけで問題が発生することも、報告する人の順番を間違えるだけでいざこざが起きることも、自分の経験と重ねて捉えられるようになってたのです。

どんな些細な問題も真面目に、しかも皆が幸せになるように解決する山口六平太の姿を見て「普通に働いていてもカッコいい人はカッコいいんだな」と思えるようになりました。なんならこの頃は、総務部総務課を目指そうとすら思っていました。(ここらへんでオンライン名を「roppe-ta」に変更しました)

結局、自分が得意なことを生かして別の職に就いてしまいましたが、今でも総務の方々は会社のヒーローだと思っています。幻想を抱き過ぎて、仕事をおざなりにする総務の方と出会ったときはかなりショックでした。ヒーローの中にも、ヒーローらしからぬ人もいるんだと。

大学:“ホラー慣れ” して『四ッ谷先輩の怪談』で泣く

高校生の頃に暇を持て余して『山口六平太』を読破した僕ですが、別の趣味もありました。怪談漁りです。当時、古舘春一先生の『詭弁学派、四ッ谷先輩の怪談。』がジャンプで連載されていて、それをきっかけに怖い話への好奇心が止まらなくなりました。

とはいえ、最初からちゃんと怪談と対峙できていたわけではありません。中学の頃に無理して『呪怨』を観て以来、ホラーはてんでダメでした。高校にあがってややホラー慣れしたとはいえ、『四ッ谷先輩の怪談』だって物理的にも精神的にも少し距離を取って読んでいたくらいです。

『四ッ谷先輩の怪談』は他人の悲鳴を何よりの喜びとする四ッ谷先輩が、自ら作った怪談を語りながら事件を解決する……と、少しジャンプらしくない設定。連載当時から好きではあったりましたが、当時は恐怖心の方が大きくて作品本来の骨子であるストーリーまでちゃんと読めてはいなかったと思います。

しかし、めげずにホラーに身を晒し続けた結果、大学生になる頃にはホラーゲームを進んでプレイするまでホラー耐性がつきました。そしてある日、本屋で『四ッ谷先輩の怪談』の背表紙を見つけたのです。

怪談はよく覚えていましたが、肝心のストーリーがうろ覚えだった僕は、その場で全3巻を購入しました。相変わらずホラー要素はしっかりしていて、事件もその解決方法もミステリーとして面白い。

物語の終盤、とても “優しい” 怪談が語られて……これが泣ける。ただただ怖い怪談を求めていた高校時代は何とも思わなかったのに、改めて読むと『四ッ谷先輩の怪談』に秘められた底抜けな優しさに気づいたのです。

周りの人に薦めても「怖そうだから無理」の一点張りで突っぱねられることが多くて悲しい一方、選ばれた人間だけがその優しさに触れられる、なんて優越感に浸れたりもします。でも本当に良い作品なので、皆に読んでほしいってのが本音なんですけど。

社会人:『フープメン』を読み返して “英語が話せるだけ” の自分を重ねる

大学卒業後、Webマーケティングの会社に拾われて社会人生活がスタートしました。小さな会社で僕が最年少だったこともありチヤホヤはされたものの、当時自分に求められていたのは「日英翻訳/通訳」のスキルだけ。社会人経験も浅いんだから、求められているだけマシとは思いつつも他のことでも役に立ちたくて、心のどこかにモヤモヤを抱えていました。

「英語が話せる “だけ”」ってフラストレーションを克服できたのは、実家から持ってきていた川口幸範先生の『フープメン』を読み返したからでした。『四ツ谷先輩』と同じく僕が高校生の頃にジャンプで連載されていたバスケもので、主人公の雄歩(ユーホ)は「英語が話せるだけ」の高校生。主人公にもかかわらずバスケ部には「通訳くん」として入部するという、確かに地味っちゃ地味な設定です。

当時から気に入ってはいたので単行本も買ってはいたのですが、自分が社会人になって「英語が話せるだけ」の存在になってから読み返して、本当の意味で心に響きました。ユーホは育った環境のおかげで自然と英語が話せるようになっただけの “凡人” です。僕だって同じ。

だから、凡人であることを受け入れて「自分でも戦える武器を作ろう」と努力を重ねるユーホの姿に自然と感化されました。マーケティングについてのオンライン講習を受けたり、動画編集をやってみたり、英語を改めて勉強してみたり。

それでもまだ「英語ができるだけ」の存在で未だにコンプレックスをつつかれることが多々ありますが、『フープメン』を読むと改めて頑張ろうって思えます。頑張るのは明日からですけど。

好きな作品を何度も鑑賞する理由

僕はマンガも映画も音楽も、好きな作品はとにかく何回も鑑賞するタイプです。

「私を構成する5つのマンガ」も、何度読み返したか分かりません。今でも最大級の愛を傾けていますが、人生最高のタイミングにはきっと及ばないのでしょう。

でも、もしかしたら30、40、50と歳を重ねる間に、今までよりもずっと最高なタイミングが訪れるかもしれません。だから僕は、好きな作品を何度も何度も鑑賞するんだと思います。

もし新たな「最高のタイミング」が訪れたら、また駄文を綴らせていただきたいと思います。

ついでに

懐かしさに負けて面白いことを言う余裕がありませんでしたが、普段は友人のにわさんと一緒にゆるーくボケーっとマンガを語るラジオ「マンガ760」を運営しています。

マンガの魅力をふんわりワイワイ語っているので、仕事や勉強の合間にでも聞いてみてください。

Spotifyの他、Apple Podcastなど色々なところで聞けます。

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