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それでも「他者と共有するための物語を残したい」という新海誠を応援したい。

*ネタバレが含まれています。注意。

ブログで「すずめの戸締まり」について不満と疑問を述べた。

評価が辛いのは、(インタビューを読んだ限りでは)作品の目論見が壮大だからだ。

自分たちが歴史のある地点にいて、この地に生きる者として過去から未来まで続く数珠玉の一粒であり、その数珠玉に形を与えて保全しておく。
今を生きる自分たちにとっては器がある、ということだし、未来を生きる人たちはその数珠玉をしっかり握って歴史なり自然なりという大きなエネルギーと付き合っていく。

村上春樹も「人々が馬鹿にしていたようなジャンクなオウムのストーリーに多くの人が吸い寄せられ地下鉄サリン事件が起こったのは、それに対抗する物語を社会が作れていなかったからではないか」と言って、「デタッチメントからコミットメントへ」転換している。
「アンダーグラウンド」を作成したのも、個人の記憶の集積によって事件の形を残そうとしたからだ。

紙の上の出来事としてだけではなく、後世の人が「こういうことがあったのだ」「今も有りうるかもしれないのだ」と体感できるような、「今を生きる自分たちの記憶を、後世の人が体感的に共有するような(共感できるような)記憶を残す」ということは凄く大事なことだと思う。

この時代を生きた自分たちの記憶の集積(歴史)は、後世の人にも影響を与える。
だから「感覚的記憶を共有財産にしておく」ことが凄く大事で、普段は忘れていてもパッと引っ張り出してつながれる仕組みを作っておかないといけない。
この時代に生きる(生きた)誰かがやるべきだと思うが、もちろん自分にはそんなことは出来ないから、出来る人にお願いするしかない。

だから新海誠がやろうとしていることは応援しているし、「自分にはそれをする力がある」という自負自体が既に凄いな、と思う。
俺たちの新海誠(失礼)がここまで来たか、という感動すらある。

ただだからこそ「その時代に生きた他者と共有できる記憶を残す(歴史を構成する)」というのは、そんなに簡単なことじゃない、という方向で点が辛くなる。

連合赤軍事件を描いた立松和平の「光の雨」に対して、大塚英志が「背景がまったくなく、歴史から切断された場所に突然山岳ベース事件が現れたようで印象がある」と批判をしているが(他の点でも批判しているが)自分が「すずめの戸締まり」を観た印象はこれに近い。

「震災の記憶」を描く、残すのに、肝心のそれが凄くぼやけている。ただ「何か恐ろしいもの」という印象しかない。
震災の詳細な記憶フィルムにしろ、と言っているのではない。(これはこれでもちろん意義があるが)
「すずめという個人にとって、あの震災が何だったのか、どういう意味を持っているのか」という記憶が大事なのではないか。

なぜ戸締まりしなくてはいけないのか。
何を戸締まりするのか。
その個人の記憶の集積が物語になるのではないのか。

例えば阪神・淡路大震災の記憶を残そうとしたドラマ「その街のこども」も、主人公・勇治の記憶はぼやけている。震災自体の記憶はほとんどない。
でもあの話は「『震災自体の記憶がぼやけている』という個人の記憶」をそのまま残そうとしているのだ。
すずめの記憶や感覚、喪失感はぼやけていない。
それなのにそれが描かれているようには思えなかった。

自分はこれだけ「残すべきだ」と言っているが、村上春樹も「デタッチメント」時代の最高峰である「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」が一番好きだし、新海誠もこのままこの方向へ行くなら、恐らくずっと「秒速が至高」と言っていると思う。

だから新海誠のインタビューは凄いと思ったのだ。
もちろん才能も実績も凄いけれど、それ以前に新しい方向へ行こう、自分が今まで苦手だったより大きく開かれた場所で自分に出来ることをしようという姿勢に、素直に感動したのだ。

そういう壮大なことにガチで取り組むつもりなのだなと感じたから、ガチで批判したくなったのだ。

「すずめの戸締まり」はブログ記事では文句ばかり書いたし、ここでも文句ばかり書いたが少なくとも「これがしたい」という方向性ははっきり伝わってきた。
「もっと多くの人と共有したい、出来るはずだ」と思って作品を作り続けるなら、どこまでやるのか出来るのかをぜひ観たい。
というわけで、これからも、むしろこれまで以上に応援している。

余談1
もし自分の記事を読んで「観に行こうと思ったけど観に行かなくていいか」と思った人がいたら、良かったらぜひ観に行って欲しい。もし良かったらだけど。
自分はあの方向性自体は、多くの人に受け取って欲しいなと思っている。
震災について何か辛い記憶がある人は無理なさらずに。「どうしても観れない話」というのは誰にでもあるので。(自分にもある)

余談2
ブログや上記に書いたような面倒臭い感想以外としては、「すずめが椅子になった草太を踏み台にして段ボールを取るシーン」が凄くよかった。
好きな男を(椅子になっているとはいえ)何の躊躇いもなく、当たり前のように踏むところがいい。あのシーンを十分くらい引き延ばしてこってり描いてくれたら、それだけで自分にとっては元が取れる。座るシーンも良かった。
新海誠のこういうセンスって群を抜いていると思う。ただ単に自分と趣味が合うだけかもしれないが。←この可能性が高い。

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