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ある地点から話が進まない物語について。

 毎日楽しみに読んでいた美里さんの「禁猟区」が終わってしまった。
 
 noteで何回か紹介しているが、自分は美里さんの作品が好きで、今まで17作品中8作品読んでいる。
 今日終わってしまった「禁猟区」は、今まで読んだ作品の中で一番面白いと思っていた。

 美里さんの作品は「ある一定の地点」にたどり着くとそこでいきなり終わってしまう。
「転」で話が終わってしまい、「結」までいかないのだ。
「一定の地点」はあえて言葉にすると、「主人公二人の関係が二人とって明確になってしまう地点」だ。
「色々あったけれど、それを乗り越えて結ばれてハッピーエンド」ではない。
 二人はそれまでにわだかまりや葛藤や関係性やらで色々とあり、それがあるからこそ「明確にできない関係」だった。その「色々」はとりあえず脇において関係性を二人が明確にする。(もしくはしようとする)
 では、その「色々」はどうするか?
 というところで話が終わってしまう。

 自分の目から見ると、美里さんの作品はあるひとつの話を別の登場人物、別の設定で書き続けている。
 全てが原型の物語の変奏なのだ。

「禁猟区」のひとつ前の「最後のキス」は、二作目の「兄貴の本命」をやり直した話だった。
「兄弟だから惹かれる」
「つながる方法が強〇するしかなかった」
「兄貴の本命」では兄・実秋はそれを認められず消えたけれど、「最後のキス」ではお互いに気持ちを認めて終わった。
 それを認めたら話が展開するのかと思いきや、「最後のキス」は認めたあとそこで唐突に話が終わる。

 美里さんの話は性行為が「唯一のコミュニケーション」として働いている。それ以外のコミュニケーションは登場人物たちにとって恐怖であり、徹底して避けている。
 彼らは性行為をしたいから性行為をするのではない。
 それ以外のコミュニケーションは怖いがコミュニケーションは取りたい。(相手とつながりたい)だから性行為をする。

 では、コミュニケーションを取りたいと認めたあと(性行為をしたあと)はどうなるか? 
と思うのだが、話がそこで終わってしまう。

「禁猟区」も海里と万里がお互いの気持ちと関係を明確にしたら、そこで話が終わった。
 作中で書いてあるように、同じ日に同じ場所に捨てられて同じ保護施設で育てられた海里と万里は疑似兄弟だ。(自分は「実の兄弟」では、と思っている)

「禁猟区」はとても良かったが、ひとつの作品としては見れない。だから「評価」は出来ない。
 この話は終わっていない。
 海里と万里の関係はこれからが正念場だ。
 自殺した(?)サクラのことをどう考えるかでも二人の考え方は違う。それ以前に、海里は「考え方」を確立することが出来ていない。
 海里が海里個人として確立しなければ、「『二人で一人』として生きていく」という話になってしまう。
 海里はずっとそれを拒んでいたのに、結局それでいいのか。それでは「今までそれを拒んでいた理由」とは、どう折り合いをつけたのか。
 二人の関係にはまだ疑問があり、そのために課題が山積みだ。
「ようやくコミュニケーションが取れるようになった」(他人同士になった)のだから、ここからその疑問を解決し(物語における)課題を片付けていく。
 そう思うところでいつも終わってしまう。

 ただほぼ同じ設定の「最後のキス」と「兄貴の本命」で、「兄貴の本命」は実秋が消えて(コミュニケーションが取れずに)終わったけれど、「最後のキス」は二人がコミュニケーションを取って終わりだった。
 全体の話は、少しずつ進んでいるのかもしれない。

「結びなしで終わってしまうところ」にはもやもやしているが、美里さんの話は始まりや細部の描写、登場人物の魅力が凄い。

「禁猟区」の魅力は、何といっても主人公・海里の人物像に尽きる。
「設定でそうなっている」以外で、読んでいる人間に「こいつは死ぬほどモテるだろう」と思わせるのは難しい。
 海里は見ているだけで「死ぬほどモテる」ことがわかる。
「モテ」とは、相手に「自分はこの人を思い通りに出来るのではないかと思わせること」だと思っている。
「その相手をどうにかできそうな可能性への期待」を高まらせることが出来ることが、よく言われる「隙がある」だ。

 では「強そうな男」はなぜモテるのか。
 性愛において「被支配と支配」は表裏一体だからだ。
支配されることで支配する(執着させる)」という構図も成り立ってしまう。(女性向けの恋愛漫画で、暴力的な男が相手役として出てくるのはたぶんこのせい。支配的な人間は支配することで支配されやすい→「支配ー被支配」の場に囚われやすく離れることができない)

 この構図は恋愛やエロと切っても切り離せず(男女どちら向けでも)大抵文脈として含まれている。
 「エネアド」のオシリス→セトの関係は、露骨にこの構図だ。
 オシリスはセトに支配されてしまっているから、支配せざるえないのだ。
 セトにはそのつもりはないので理不尽な話だが、セトのように自分にはそのつもりはなくても相手に執着されて(モテて)しまう人もいる。
 オシリス→セトは性加害の文脈があるので最悪のケースだが、性愛は基本的にそういう部分がある……ということも、美里さんの話にはよく出てくる。
 美里さんの話は、このように自分にとって「それな!」と言いたくなる描写や文脈が凄く多い。

 美里さんが描く男は毎度色気が凄いが、海里はそれが物語の壁を通してだだ漏れしているようなキャラだった。
「禁猟区」のバーテンダーと海里の関係はエロすぎる。
 直接的な性行為の描写はないのに、「関係性がやたらエロい」。
 どうしたらこんな色気を醸し出せるんだ。

「禁猟区」を読んでいるあいだ、誰か一緒に読んでくれないかと思ってnoteで「読書会(?)の誘い」をしようかとも思ったんだけれど、「結びなしの話」だったら悪いかなと思い躊躇してしまった。
 結果そうだったけれど、それでも面白いので興味を持った人は読んで欲しい。(性虐待の設定があるので苦手な人は注意。記事で書いている通り、近親相○などきわどい描写が多い)

 今日から新しく「恋に似ていた」が始まった。
今のところ「タイトル、あらすじ、冒頭」で惹かれるものはないのだけれど、「女衒直巳・真澄」はそう思って読んでいたら面白かったのでしばらく読んでみようと思う。
 女衒直巳の明石花魁×弟の話が読みたいのだが、いつか書かれたり……しないよなあ。

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