うさる

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小説・漫画など創作について語ります。 ブログ「https://www.saiusaruzzz.com/」 /一次創作。カクヨム「https://kakuyomu.jp/users/moruboru」なろう「https://mypage.syosetu.com/2352249/

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    主にネットで話題になった出来事に対する考え方。

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    年齢制限がかかる要素を含んでいるもの、意見が割れそうなものなどを有料枠で区切っている記事のまとめ。

  • エジプト神話BL「ENNEAD エネアド」の感想&考察

    BLにほとんど興味がなかった自分がハマったエジプト神話BL「ENNEAD エネアド」。個人的にはBLという枠を超えた話だと思っている。BL好きな人はもちろん「BLにはまったく興味がない」という人にも読んで欲しい。

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自己紹介・活動内容

うさるといいます。 本や漫画、ゲームなどの創作が大好きで、思いついたことがあるとひたすらそれについて語りたい。 そんな思いから2016年4月からはてなブログで「うさるの厨二病な読書日記」という、小説、漫画、アニメ、ゲームを始めとした創作について思ったことを好きに語るブログを始めました。  2024年からはnoteをメインに活動しています。 ◆カクヨム・小説家になろうで一次創作をしています。(苦虫うさる名義) 「男の娘(女性に見える男全般)×女の子」のジャンル「疑似百合

    • 色々引っかかることがあっても、「ケントゥリア」を面白いと思い期待する理由。

       第一話の序盤は読んでいて引っかかるポイントが多かった。 「奴隷」は資産なので、労働力にならなそうな老人と二人分の価値がある妊婦が同じ待遇というのはありえないのでは、と気になった。 「買い手がつかない」というが、これも何故かわからない。ミラなんて絶対高値だろう。  その他にも、船長の「何も成せない無価値な奴らだ」と言う台詞も引っかかった。  これは明らかに奴隷を「商品」ではなく対等の人間として人生の価値を判断している台詞だ。  現代で言えば家畜に向かって「何も成せない無価値な

      • 話題になった、令和6年4月11日 岸田首相の米議会両院会議演説全文を読んだ忌憚のない感想。

        *タイトル通りの忌憚のない意見です。  自分は政治的にはいわゆる無党派層で、心情としてはやや左よりの中道だ。今の日本の政治におけるボリュームゾーンの一人だと思う。  そんな自分が話題になった↑の岸田首相の演説を読んだ感想。  一番思ったのは、次の大統領選ではトランプが返り咲く可能性が高いと考えているんだなということだ(正確には返り咲くことを最も危険視しているんだなと思った)  演説の内容が「世界の安全保障において米国が大きな犠牲を払って損をしている。これからは無償奉仕では

        • 「他人は自分とは違う」ということは当たり前のようで、常に確認しないといけないのかもしれない。

           少し前に話題になったお笑いコンビのファンの人(以下「ファンの人」)について。  この件について自分が感じたことと他の人の反応がちょっと違うなと思った。  具体的には ①最初の文章「SNSをブロックされるまで」を読んでどこに引っかかったか。 ②「文章が上手い」という反応が多かったのは何故か。 ③反省文「私の間違いは何だったのか?」を読んだ感想。 の三つだ。  ②について少し補足すると、「この文章を上手いと思うなんて」という意味ではなく、この話の要点に「文章の巧拙」を持ってく

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        • 色々引っかかることがあっても、「ケントゥリア」を面白いと思い期待する理由。

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          つるはしを売る奴よりも「伝説のつるはしでーす」と嘘をつく奴よりも、「伝説のつるはしだなんて嘘だ」と騒ぐ人こそ何とかならないかな。

           年始の地震のデマの拡散の話で「ネットは『批判されること=注目が稼げる』という発想でやっている人間が多いから、本当にそれが広まるべきではないと思うのであれば注目は払わないほうがいい」ということを書いた。  今のネットは「ひと言言いたい、関わりたい欲を抑えきれないこと」を注目を稼ぎたい人間に利用されている構図がある。「その物事についてどう思うか(自分の意見)」よりも先に「その物事を拡散することに加わるか」を考えないといけない。  これだけ「アテンションエコノミー」という語が出

          つるはしを売る奴よりも「伝説のつるはしでーす」と嘘をつく奴よりも、「伝説のつるはしだなんて嘘だ」と騒ぐ人こそ何とかならないかな。

          「同じ物を見て、同じ地面に立っている。だから対峙できる」そういう人間でありたい。

           4月6日(土)の読売新聞に掲載されたこの話、めっちゃ好きだ。プレゼント機能はないのか、クソっ。   「完膚なきまでに批判する」ってなかなか見かけない。始まりからして不穏である。 「何を学んだのか。ぜひ知りたいところである」って完全に喧嘩を売りにいっているな。  700ページに及ぶ労作を、ここまでこき下ろされたら、それは と返したくもなるだろう。  こういう学術大会や報告会、研究会は、お互い当たり障りのない意見を交換して持ち上げあって済ますことが多いと思っていたので、公

          「同じ物を見て、同じ地面に立っている。だから対峙できる」そういう人間でありたい。

          【ENNEAD(エネアド)感想】 S2第60話まで。ホルスのアヌビスの嫌いかたが好きである。

           続きが溜まったので読みに行ったら、「エネアド」が超絶面白いことになっていた。  ホルスがイシスの神殿にかくまったセトを、オシリスによって呪いの力を与えられたアヌビスが連れさらいに来る。  状況としてはこうなのだが、アヌビスは自我がない、セトはひたすらアヌビスを気遣う、ホルスはひたらすらセトのことしか考えていない。  誰一人誰とも意思の疎通が出来ない(しようとしない)  シーズン2に入ってからのホルスのはっちゃけぶりは凄い。こんなに面白い奴だとは思わなかった。  シーズン1

          【ENNEAD(エネアド)感想】 S2第60話まで。ホルスのアヌビスの嫌いかたが好きである。

          「光る君へ」は自分が苦手な「独裁国家」のようなので、観るのを止めることにした。

          *タイトル通り、批判的な内容です。  第13回「進むべき道」の途中まで見て、「光る君へ」を見ることを止めることにした。  その先を見ていないのでこの後の展開はわからないが、まひろが子供に文字を教えるシーンを見て、自分はこの物語を楽しめないと思った。  まひろが「人に字を教えることで世の中を変えたい」と本気で考えているなら、あの方法は取らないと思う。世の中を変えるためには、なるべく多くの人に文字を教えなければならない(もしくは影響力のある人を、自分の運動に引き込むなど他にも

          「光る君へ」は自分が苦手な「独裁国家」のようなので、観るのを止めることにした。

          構造的な差別解消のために、個別の差別は許されるのか。

          「中央公論4月号」の中で、「世界」「正論」「中央公論」の編集長三人による対談が掲載されていた。  現在この三誌の編集長は、全員女性だそうだ。知らなかった。  その中に興味深い話が載っていた。  ここまで徹底してはいないが、自分もシンポジウムや国や経済界の会議を見て役員や識者が男ばかりなのを見ると「何だかな」と思う。   先日も読売新聞に掲載されたウクライナ戦争の分析の記事を読んだが、十数人の識者の談話のうち女性は一人だった。 *自分は紙媒体で読んだが、恐らくこれがその電

          構造的な差別解消のために、個別の差別は許されるのか。

          「光る君へ」第12回の感想。道長の人物像がよくわからない。

          ※タイトル通り、若干辛口の感想です。前回の感想は↓こちら。  自分が道長とまひろの恋愛にまったくピンとこない(穏当な表現)のは、道長の人物像がよくわからないせいではないか。  今回見てそう思った。 「光る君へ」の道長は、ド直球に言うと「『まひろとの恋愛』という都合によって動くだけのキャラ」に見える。 「道長というキャラがまひろを好き」なのではなく、「まひろと恋愛をするという前提ありきの言動の集合に実体を与えたものを、道長と名付けている」ように見える。  道長は、まひろの

          「光る君へ」第12回の感想。道長の人物像がよくわからない。

          アル中探偵が主人公のハードボイルド「八百万の死にざま」は、社会の中で自己規範をいかに守るかを教えてくれた小説だった。

           先日「八百万の死にざま」を久しぶりに読み返した。これも自分が影響を受けたものに確実に入る小説だ。 「八百万の死にざま」は、アルコール中毒に苦しむ探偵マット・スカダーがキムというコールガールから「足を洗いたいから、ヒモ(売春の元締め)と話をつけて欲しい」と依頼されるところから話が始まる。  スカダーはヒモであるチャンスと話をつけ、キムに「話はついたから君は自由だ。もう心配しなくていい」と伝える。  翌日、キムはホテルの一室で全身を切り刻まれて惨殺される。  スカダーはキムを

          アル中探偵が主人公のハードボイルド「八百万の死にざま」は、社会の中で自己規範をいかに守るかを教えてくれた小説だった。

          子供のころ、好きなコンテンツを馬鹿にする大人が嫌いだった。

           子供のころ、子供の好きなものを揶揄したり馬鹿にする大人が大嫌いだったので、そういう大人にはなるまいと決めていた。 ・「漫画だから、ゲームだから、アニメだから下らない」というコンテンツ差別はしない。 ・自分の好きなものは、他人(世間)から馬鹿にされようと好きと言う。 ・子供の好きなものを自分が理解できないとしても、それを馬鹿にしたりしない。  大人になったらこうしようと、子供の時に決めた。  「葬送のフリーレン」では、ハイターが「中身は子供の時と変わっていなくとも、子供

          子供のころ、好きなコンテンツを馬鹿にする大人が嫌いだった。

          「光る君へ」第11話の感想。まひろと道長の会話に「コントかよ」と思わず突っ込む。

          *タイトル通りの楽しみ方をしています。違う見方をしている人は注意。  第11話の道長とまひろの結婚するしないの会話を聞いて、思わず「コントかよ」と突っ込んでしまった。  第11話の道長とまひろの逢瀬時の会話に、まひろがどういう人間かが集約されている。  例えば同じ第11話で父親の窮状を訴えて官職に戻してもらおうと、まひろが兼家に直談判するシーンがある。父親を官職に戻してもらうためには兼家がどういう人間かを理解した上で、兼家の心を動かさなければならない。 「八百万の死にざ

          「光る君へ」第11話の感想。まひろと道長の会話に「コントかよ」と思わず突っ込む。

          物語類型「幸福な王子」が苦手である。

          *この記事には「俺の家の話」「ダークソウルⅢ」「鎌倉殿の13人」のネタバレが含まれています。 「俺の家の話」を最後まで見て、「『幸福な王子』だ」と気付いた。  好きだったり、苦手だったり、異様に感情移入してしまったり、何度見てもパブロフの犬のように泣いてしまう。  そんな特別な物語の型を持つ人も多いと思うが、自分にとって冷静に見ていられない、ゆえに鬼門である物語類型が「幸福な王子」だ。  どうりで毎回毎回ボロ泣きするわけだ。 「幸福な王子」は恵まれた生前を送り、死後金ピ

          物語類型「幸福な王子」が苦手である。

          「サバルタンは語ることができるか」は何を語っているのか。

           前回の記事で「ドラマの中に社会問題を見出すという前提で書かれた記事が、社会によって周縁に追いやられた子供たちの問題をスルーして、『男子高ワチャワチャノリが大好きなホモソドラマというのも一理ある』と言っている件」について言及した。  その時に、そう言えば同じことに滅茶苦茶ブチ切れていた人がいたなあと思って、「サバルタンは語ることができるか」を思い出した。 *以下は自分の読解に基づいた感想なので、気になる人は元の本を読むことをお勧めします。 「サバルタンは語ることができるか

          「サバルタンは語ることができるか」は何を語っているのか。

          子供のころ「自分の正しさを声高に主張しながら、自分が興味がないことや都合が悪いことは前提をすり替えたり矮小化したりする大人の言動」に怒りを抱いていた。

           最近「不適切にもほどがある」の批判記事が目につくようになったあと思ったら、名前を見たら両方同じ人が書いていた。  前者のFRAUの記事のタイトルは「視聴を脱落する若者がいる理由」となっており、その根拠としてこういうことをあげている。 「そうなのか」と思って少し調べてみたら、  目が点になった。 「FURAU」の記事は2月23日付、デイリー新潮のほうが3月8日付の記事だ。 「自分の観測範囲=社会」と思ってそれを「正しい根拠」にして「社会としての意見」として発信する人は

          子供のころ「自分の正しさを声高に主張しながら、自分が興味がないことや都合が悪いことは前提をすり替えたり矮小化したりする大人の言動」に怒りを抱いていた。