ニンニン

 お笑いの文脈でたまに出てくる「ニン」という言葉が好きだ。ニンとはつまり人のことで、人柄や、にじみ出るその人らしさのことを指す。

 主に漫才において、ニンが出るのはよい漫才/漫才師とされることがある。作り込まれすぎたネタには「稽古量」が見える特性があり、そういうものは間や言い方が決まりすぎて予定調和になる。そうするとニンが殺されて笑いづらくなってしまう。これに対し、確かにネタは作り込まれているものの、ニンが前面に出てきているので単純に話として聞けるから面白い、という漫才がある。
 寄席なんかだと芸人さんもリラックスされているのでニンが見えやすいが、それを賞レースにも持ち込めてしまえたら、そりゃもう強い。だから令和ロマンは強いし、並みいる芸人さんたちがこぞってブラックマヨネーズや笑い飯の漫才に憧れているのは、なんとなくそういうことなんだと思う。
 漫才はチンピラの立ち話――と言ったのは確か松本人志だったと思う。ニーちゃんネーちゃんがその場でしゃべっているだけ、そう見えるのが本来の漫才だというならば、ニンの見える漫才は確かによい漫才だ。そして僕自身もそういう漫才/漫才師が好きだ。逆に、ニンの見えない笑いが好きという人もいると思う。

 俳優はどうなんだろう。
 僕は個人的には、今はニンを自ら抑える作業に興味がある。役にもよるが、自分らしさをいったん封じて、なるべく遠くに行きたい。作品ごとに全く違うものになりたい。
 それでも勝手ににじみ出るのがニンというものなのだと思う。それはたぶん、自分で分かることよりも人から見て分かることの方が多い気がする。「私はこういう俳優です」というようなことを話す機会があったとして、僕は自分をどう紹介していいか迷う気がする。

 だから、観客のみなさんからの感想や評価はとてもありがたい。
 演劇は観られて完成する。そのことを最近とても実感している。

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