伝わってほしいので

 椎名林檎『本能』の以下の歌詞が好き。

 どうして 歴史の上に言葉が生まれたのか
 太陽 酸素 海 風
 もう充分だった筈でしょう

 確かにそう。
 でも人間は言葉を必要とした。「あなたが好きです」とか、「これ面白くない?」とか、「私ここにいます!」とかを、もっと分かりやすく、もっと情熱的に伝えるために、言葉を発達させた。現に上の歌詞も、まぎれもなく言葉で表現されている。

 僕は言葉が好きだ。特に日本語が好きだ。日本語を母語として、日本語以外の言語を使わなくても生活できる環境で暮らしているからだと思うけど。

 今日観た舞台のテーマが言葉だった。
 観劇後の感想がこちら↓

 言葉が必要な場面は日常にたくさんあるから、僕はなるべく多く言葉を知っていたいと思う。
 だけど必要ない場面もある。言葉に頼って、言葉にしたい僕は、その判断をちゃんとしていかなければならないな、と思わせられる作品だった。

 で。
 数日前に少し話題にしていただけた、僕のポストについてもうちょっと話したい。

 このポストのミソは、彼らが「演者である」ということだ。

 人前に立って話す機会が多く、かつその影響力が大きくなれば、人は自然と言葉づかいに注意を払うようになる。ネットの発達した総監視社会ともなればなおさら。言葉を正しく扱えた方がいい理由の一つがそれ。圧倒的にそれ。
 また、ネタにしろトークにしろ、その内容が過不足なく伝わったほうがいい。その手前の言い間違いや誤字脱字で笑われるのではなく、練ったネタや繰り出した話題に注目が集まるのを演者側は望む。と、同じく演者である僕は思う。

 「正しい」の定義は難しいけど、僕なりに考えたのは、「みんなが使えるように、便宜的に辞書に定められている、共通の」というような意味かも。つまり「共通言語」。
 だから、「言葉をいっぱい知ってる僕ちゃんえらいでしょ!」というマウントが好ましいとは思っていない。(もちろん知識がたくさんあること自体はとってもすごい)

 あくまでも言葉は道具に過ぎない。
 そして共通言語があるなら、それを使うのが一番手っ取り早い。 
 で、さらに、その中からどの言葉を選んで組み合わせるかが、ワードセンス。言葉を使って僕たちは遊べる。これマジですごいことだと思う。
 だから、その言葉が正しいのか否かを、話す側も聞く側もちゃんと知っとけばみんなお得じゃん?と、言葉が好きな僕は勝手に思っている。

(1000字)

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