お過ごしあそばせ

 演劇の話。
 「一所懸命やる」「全力でやる」というのは、必ずしも「力を込める」とイコールではないということを、ここ数年で体感するようになってきた。
 もちろん、力を込めることが必要な場面はある。そういう演技は多くの観客の胸を打つし、作品の種類や演出の仕方によっては不可欠な要素にもなる。とは言えそういう演技ばかりが胸を打つわけではないし、それ=演技と捉えられると、かなり嫌。

 力を込めるのの逆だから「力を抜く」ことを推奨しているのかと問われると、これもちょっと違う。力を抜いたら客席にも共演者にも、何も届かない。エネルギーを常に湛えていること、これは大前提。
 まあ肩の力を抜くということになるんだろうけど、これもけっこう曖昧な言葉かもなあと思う。物理的に肩の筋肉を緩めるわけじゃない。あくまで比喩的表現にすぎないもの。

 「見る」ことかなー、って、最近は思う。
 共演者を見る。空間を見る。今そこで起こっていることを見る。自分の体や心の状態を見る。観客の反応を見る。それは物理的に目で見るということでもあるし、なんか体で感じるってことでもある。
 つまり心に余裕を持って舞台の上で過ごす、ということかもしれない。いかに全力で演じていても、それは結局「演じている最中」なのだから、どこか余裕で、どこか冷静で、自分が何者か分からなくなってしまわないぐらいでいたい。いざとなったら自分をコントロールできる状態でいること。袖に捌けてきた時に息が上がっていなくても別にいい。でも懸命に、全力で。僕はそういう俳優に憧れています。

 演じるというのは、役の人生を切り取ること。ただ、人間って常に力を込めているわけではないので、剛柔バランスよくして、その人の一瞬一瞬を生きてやりたい。

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