お笑いの文脈でたまに出てくる「ニン」という言葉が好きだ。ニンとはつまり人のことで、人柄や、にじみ出るその人らしさのことを指す。 主に漫才において、ニンが出るのはよい漫才/漫才師とされることがある。作り込まれすぎたネタには「稽古量」が見える特性があり、そういうものは間や言い方が決まりすぎて予定調和になる。そうするとニンが殺されて笑いづらくなってしまう。これに対し、確かにネタは作り込まれているものの、ニンが前面に出てきているので単純に話として聞けるから面白い、という漫才があ
椎名林檎『本能』の以下の歌詞が好き。 どうして 歴史の上に言葉が生まれたのか 太陽 酸素 海 風 もう充分だった筈でしょう 確かにそう。 でも人間は言葉を必要とした。「あなたが好きです」とか、「これ面白くない?」とか、「私ここにいます!」とかを、もっと分かりやすく、もっと情熱的に伝えるために、言葉を発達させた。現に上の歌詞も、まぎれもなく言葉で表現されている。 僕は言葉が好きだ。特に日本語が好きだ。日本語を母語として、日本語以外の言語を使わなくても生活でき
6年前に出演した舞台のDVDを観た。そこには、当然ながら今よりも若い自分がいた。加えて当時の稽古や本番でのことは断片的にしか覚えておらず、しかしそのおかげで、とても新鮮な気持ちで鑑賞できた。 不思議なもので、自分の役についてもほぼ他人事として認識できた。確かにその時はその役の台詞を覚え、プロフィールを補完し、衣装を着、共演者とネタ合わせなんぞをして日替わりネタに勤しんでいたはずなのだが、新しいことで脳内が塗り替えられた今、まったくの別人がそこにいる感覚になった。 そう
ナレーションの仕事の待ち時間に、同じ事務所のタレントさんに「PDFとは何か」を教えるくだりがあった。その人は同じ事務所の女性で、僕とは同い年。これまでも現場が一緒になったことは何度かあり、そのたびにけっこう話す。少し抜けたところのある人で、話していると、僕とは違うリズムとか価値観で生きているなあと思うことがよくある。それは別にいい。人それぞれだから。 その日もいろんな話をして、流れでPDFの話になった。でもその単語を出したとたん、彼女は明らかに「なんそれ?」という顔をし
演劇をやっていると心の健康によい。というのは僕個人の考え。 人には「個」というものがあって、僕にももちろんあるのだけど、他人が思うほど自分は自分の「個」には気づきにくい。言語化はギリできることもある。でも芯を捉えるのは難しい。 僕の肌感覚だと、表現者ほど自分の「個」のあり方に敏感で、かつ過小評価な人が多い。他人と比べて凹むこともある。僕がそうだからかもしれない。僕は僕の「個」を未だに見つけられずにいるし、あったとしてもそこに面白味を見出せない。 ちなみにそのことに
孤独な俳優が好きだ。 「孤独」というのは、友人や恋人や家族がいないとか、応援してくれる人がいないとか、誰にも相手にされないとか、そういう寂しい意味ではない。 俳優の孤独とは言い換えるなら、己のやるべきことを己だけでいつでも引き受けられる状態、という感じだろうか。 というか、俳優はそもそも孤独だと思う。 役のポジティブな部分だけでなく、暗部や秘部や恥部も一手に担う仕事だ。それはつまり、演じるうえでのヒントとなるように、俳優個人の暗部や秘部や恥部もいったん引き出しの奥
演劇の話。 「一所懸命やる」「全力でやる」というのは、必ずしも「力を込める」とイコールではないということを、ここ数年で体感するようになってきた。 もちろん、力を込めることが必要な場面はある。そういう演技は多くの観客の胸を打つし、作品の種類や演出の仕方によっては不可欠な要素にもなる。とは言えそういう演技ばかりが胸を打つわけではないし、それ=演技と捉えられると、かなり嫌。 力を込めるのの逆だから「力を抜く」ことを推奨しているのかと問われると、これもちょっと違う。力を抜い
最近の演劇の稽古場では、パッドで台本を読む人が増えている。 薄くて軽くてほどよい大きさ、片手で持つのにたいへん適しているし、文字サイズの変更も一瞬で可能。稽古中に台本の変更があった際は簡単に加筆修正できる。ページレベルの変更があった場合でも、データをまるまるやりとりするだけで即完結。本当に理にかなっている。 僕はというと、相変わらず紙の台本を使っている。 クリップで留め、ファイルにしまっておく。稽古が始まればファイルから取り出し、クリップを外す。持っているとたまにバ
自宅の近所に、とある宗教施設がある。それなりに名が知れているであろう新興宗教団体の、小さな集会所のような場所である。 ある夜の帰途、その施設からバイクに乗って出て行こうとしている人がいた。 その時思った。「ああいうところの人もバイク乗るんだ」。 そりゃ生きてるんだからバイクにも車にも乗るだろう。しかしなんとなく、そういう宗教に関わっている人がバイクに乗っていることへの違和感があった。極端なことを言えば、信者の人たちというのは本当につましく、趣味もなく、教義だけを生
昔から流行を追うことが苦手だ。 「昔」と書いたが、高校生くらいまでは流行を追う生き方をしていた。同級生の会話についていくためである。 それが、大学に入り、メインストリームとは離れたところに生きている人が多い小劇場界に身を置き、「人と違う人ってかっこいい」という、多くの若者が通るであろうサブカルチャーという名のメインカルチャーに乗り、そういう逆張り精神のまま40歳手前まで来てしまった。 ここが癌で、それはつまり、表現者たりえるには独自の価値観を持ち合わせていなければな
三つ下の妹がいるのだけど、僕たち兄妹の間でドラえもんの話題が出たことは一度としてないな。ということをふと思った。 子供時代、おそらく家で一緒にドラえもんを観たことはある。特に毎週観ていたわけではなかったけれど、日本国民として当然認知はしていたし、たまたまタイミングがあって観るくらいのことは何度かあった。それでもその後、「あの時のあの話さー」とか「ひみつ道具どれがほしい?」とか、そういう類の話になったことはない。 一緒に劇場版を観たことなんて一度もない。映画館には行って
話題の『アンメット』を観始めた。ひとまず2話まで。 婚約…?正直続きが気になる終わり方だったが、時間的に観るのが厳しいのでまた後日。 2話は静かに泣いた。この早いタイミングでミヤビが患者に自分の記憶障害のことを明かすのは、さすがにテンポが良すぎる。気持ちいい。 主人公が記憶障害の連続ドラマなのに、各説明部分がスマートで(日記の重要箇所のみ映す、ミヤビの短いナレーションを挟むなど)、観ていてストレスがない。とにかく脚本と演出がいい。原作の漫画もこういうスピード感なんだ
魚がテーマのスマホパズルゲームをやっている。もう3年ほどプレイしているだろうか。現在11,326ステージ目。どうかしている。 課金はしていない。……いや、過去に一度だけしたことがある。120円だけ。過去いろんなスマホゲームをやってきたが、課金したのは後にも先にもその120円だけだ。黒歴史である。 このゲーム内で買えるものはアイテムとルビー。アイテムはパズルを解くのに有利になるもので、爆弾とか雷とか、ピースを大量に消せる物騒なやつ。ルビーは主に、パズルを解く時に設けられ
自分の歴史について長い文章を書く、という、ちょっとした機会があった。過去の出来事やその時の気持ちをさらけ出す内容だったので、あまりにつらすぎて、何度も書くのをやめたくなった。自分のことを心から嫌いになりそうだった。 しかし、うんうん唸りながらも、数日かけてなんとか書き上げた。最終的に8000字ほどになっていた。書きすぎ。(ちなみにこの文章は別に世に出るものではない。) 久しぶりに長文を書いたわ。 以前Ameba Owndで、日々思ったことや読んだ本の感想などを不定期