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「見よう見まね」の愛

子供の頃、花火をどう見ていいかわからずに、泣きながら父に尋ねたことがある。

花火が上がって、パッと鮮やかに開いた次の瞬間には、もう闇に溶け込んで消えてしまう。それがとても悲しかった。消えてしまう閃光を心がどう追いかけていいかわからずにいた。

不思議なことを質問したなというように、父はなぜか優しく笑いながら、「ただ、パッと見て綺麗だねって思えばいいんだよ」と教えてくれた。

鮮やかな光が消えてしまうのが怖かったのか。

それとも、忙しくて逢えない父との時間が終わってしまうのが寂しかったのか。

終わってしまう花火を横目に、私は父の温かい手をぎゅっと握った。最後の花火は、金色のいく筋もの光が浮かんで、静かに輝きながら消えていく。空一面が金色に変わる。歓声。破裂音。光が溶けていく。ああ、終わってしまう。消えていく。そして暗闇が訪れる。煙の香り。静寂。

「終わったね」

いつも父と手を繋ぐのは、「大勢の人がいるから迷子にならないように」その日だけだった。夏の日の、1日だけの思い出。許された時間。

愛されたという実感がない。母は少し心の弱い人で、不在がちな、そしてとても魅力的な父を追いかけるあまりに心のバランスを崩し、私に辛く当たることが多かった。抱きしめられた記憶がなく、母は、私に触れることを拒んだ。「あなたがいるせいで、私は愛されなくなったの」母の厳しい視線から、いつもそんな想いを感じとっていた。

いや、もしかしたら違ったのかもしれない。そんなふうには思っていなかったのかもしれない。

けれど、私は「あえてそう思うことで」、母の寂しさを埋めようとした。そうすることで、罪深い自分の存在に整合性をつけようとしていた。

人は面白いもので、勝手に理由をつける。

たとえば、別の理由で愛されなかったことをありのまま見ずに、「私が悪いから」そして、「私がいい子になれば愛される」などと思い込む。

愛されない理由など愛さない本人にしかわかるはずもなく、しかし、子供である私たちは別の理由をつけて、自分を納得させ、「まだ愛されるかもしれない」という希望を持ち続ける。

私の場合は、それが「母の苦しみを受け入れる」ことだった。母がきっと苦しいのを理解してあげたら、愛されるかもしれない。実際には、母が苦しんだのは私のせいではなく父のせいだったのだが、

なぜ、そうやってかばったのだろう。

今、講座で「親を無意識にかばっている」というワークをするとき、嗚咽する人が多い。

そんな時、私は決まって自分と母との歪んた愛情を思い出している。決して交わらなかった愛情。愛憎、か。

だからという訳ではないけれど、私は愛というものがどんなものか、ずっとわからずにいた。

母の愛は、自分の痛みをわからせて共有する、という強烈な形だった。苦しみを吐き出す。痛みを与える。悲しみの中に引き込む。

「お母さんは子供を撫でるもの」ということを、私は小学校5年生まで知らずにいた。「あれ?もしかして、お母さんって優しいものなの?」と、友人の母親に撫でられ、心配された瞬間、自分の中で何かが溶けた。

それからだった。あ、愛ってこういうもの?

そこから愛についての探求が始まった。

思えば、「母のようになりたくない」という反動形成だったのかもしれない。(反動形成とは、何かを嫌がる反動で、極端に正反対な行動をとること。そして概して、その極端な行動は自分に無理をかけ、とっても苦しくなる「こともある」)

愛ってなんだろう?

愛が撫でるものなら。愛が優しい言葉を使うことなら。

では、優しい言葉を常に使える人になろう。

撫でられて嬉しかった。では撫でることがきっと愛なのだろう。心配されて嬉しかった。では心配することが愛なのだろう。わかってもらうことが嬉しかった。では、相手の気持ちに寄り添い、常にわかる人であろう。

きっとそれが、愛に違いない。

愛がわからず育った人間が純粋に願ったことは、愛されることよりも人を愛せる人でありたいということだった。「愛せない母」を見て育った強烈なトラウマは、私を駆り立てた。

20歳を過ぎた頃、一つの恋をした。そこで初めて「愛の形が人によって違う」ということを突きつけられた。

「愛していると口で言うばかりで、何もしてくれない」

自分よりもだいぶ年上のその男性は、生きることにとても不器用で、色々なことに苦しんでいた。優しさ故に様々引き受け、彼は今にも潰れてしまいそうに見えた。その彼が、弱音とともに言った言葉がそれだった。10歳ほど年上の男性が吐く弱音は当時の私にとっては衝撃的で、その言葉はその後、私の人生を変えることになる。

言葉は、彼にとって何も意味をなさなかった。

それよりも、ずっと「何かをする」ということの方が、彼にとっては愛情だと感じられたのだ。

確かに私は彼に何もできなかった。していなかった。

それ以降、「愛は行動なのだ」ということを心して生きてきた。愛しているという言葉の前に、何かできることを。そう思うようになった。

愛する人に何もできなかったという気持ちは、おそらく母を、父を、上手に愛せなかったという思いにも通じるものなのだろう。だからこそ私は行動するようになり、今、それが「誰かのために何かをすることで愛していると伝える」という在り方につながっている。

こうして、私の愛は、見よう見真似だった。

でも今、その見よう見真似の愛が、誰かの心に響いている。

なら、もうそれでいい。それ以上を望むことなどない。

よく、「愛情が何かわからないんです」ということを言われる。

ごめんなさい、私も正解はわからないんです。

でも、そういうあなたの気持ちがとてもよくわかるし、「そうだよね、わからないって、教えてもらえなかったって、とても辛いよね」と、抱きしめて一緒に泣きたいと思う。震えているあなたの肩を、ただ横で抱きかかえていたいと思う。

もしそれがあなたにとって、温かい何かを感じさせるものだとしたら。それがあなたにとっての「愛の形」であれば、とても嬉しいと思う。

そしてその時、私はあなたに「愛している」と伝えたい。


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