31/07/2020:『Five Years』

「遠くに見える街の灯りが波打っているようにみえるのは、電気というものがそこにあるからではなくて、どこからか流れてきているからよ。」

僕らはよくベランダに出したプラスチックの椅子に座って、紅茶を飲んだ。彼女は熱いお湯で淹れた紅茶が好きで、特に休みの日はそれこそ一日中飲み続けていた。きっと、今日だけでも10杯は超えているんじゃないか。

夜間外出禁止令がしかれた街は空っぽで、だからその分丘に沿って並ぶ家々の光はいつもよりも多く見えた。また車も走っていないから雑音もほとんどない。つまり明かりは余計に綺麗だった。

昼間は空との境界に淡く見える山際も夜になるとその姿を消す。しかし、その稜線に沿って家々が連なっているもんだから電気が一斉に流れると、境界と斜面の両方が昼間よりもはっきりと浮かび上がる。貧困層が住む丘。街の中心に入ることはできない。流入を続ける人口は周縁に留まり、ホールケーキに生クリームをベタベタと塗り手繰るように、斜面に家を建て街を広げていく。

「近くで見ると、あんなにも汚染され凌辱されたようなのに、夜、こうして光だけを見ると、自分が情けないくらいに綺麗ね。」

光は闇があってこそ輝く。それはつまり、光と闇は平等であるということだ。

でも、丘の上の街では昼間よりも夜の方が明るい。平等性は破綻している。

「どうしろっていうんだ、こんな世界で。」

僕がつぶやくと、彼女はマグカップに口をつけた。

                 ・・・

ここしばらくお酒を控えている。

いつもは週末の度に大型のスーパーへ行って、食材を買い込んでそのまま作りながら晩酌をしていた。大きめの買い物袋を3つ両手に帰ってきて、急いで冷蔵庫へ詰める。ビールは6本パックのうち5本を冷蔵庫へ、そして1本はグラスと一緒に冷凍庫へ入れる。するとシャワーを浴びている間に、ちょうどよく冷やされる。

熱いシャワーを浴びる。ここのマンションは水圧が強くて、気持ちがいい。あらかた体を拭いて下着姿でキッチンへ戻ると、冷凍庫から取り出したビールを冷たいグラスに注ぐ。

感動に包まれている僕を彼女は、

「はい、今週もお疲れ様でした。」

と、クールに労ってくれる。彼女はお酒を飲まないから、その時も紅茶を飲んでいた。

でも、そんな彼女がいなくなってからは、僕は何と無くその習慣から遠ざかってしいる。ただ1人で飲んでも味気ないし、次の日の朝の気怠さにも限界を感じ始めていたからだ。それに適当な動画を見ながら黙々と飲むのも楽しいのだが、ふと気がつくと窓ガラスに映った自分の姿に、言いようのない寂寞が感じられた。

が、一番の理由は、ベランダに出て稜線を眺めたとき、家々の灯りから、どこか今とは違うところへ行くべきではないかと言われた気がしたからだ。

物理的な移動ではなく、精神的な移動。

だから、僕はお酒をやめて、紅茶を飲むようになった。

彼女が置いていった、大量の紅茶を。

                 ・・・

家々の明かりを見ながら彼女が言ったセリフには続きがあって、僕はそっちの方が強く印象に残っている。

「そう、電気はどこからか流れてきて、そしてまたどこかへと流れていくの。ちょうど私たちの血液のようにね。どくどくと流れ、脈を打つ。ほら、そうにしか見えないじゃない。」

僕らの体には止まることのない血の流れがあって、それを証明するかのように心臓は動き、脈がどんどんと打たれていく。生成、循環、消費、再生。人が一生のうちに打つ脈拍の数は決まっているという話を聞いたことがある。だとすれば、僕らは生まれた瞬間から、そのタイムリミットに向かってひたすらに打ち鳴らしていることになる。

死に向かって、リズムを刻んでいく。それまで血は止まることなく流れ続ける。

夜の先、家々の明かりに流れる電気は脈を打つように揺らめく。

稜線に次々と増え続けていく家も、いつかはその増殖が止まるのだろうか。また、例えば荒廃と汚染、貧困と抑圧にも死というものがあって、僕らと同じようにその瞬間に向かって脈を打っているのだろうか。

「光の中よりも、闇の中の方が綺麗だなんて。それって、いいのかしら。」

人通りのない歩道、車のいない道路。ベランダは孤独の闇に包まれていて、遠く丘では煌々と血が輝き脈を打っている。

誰かが生きている明かり、そして死に向かう明かり。

僕は1人、夜風に佇みながらマグカップを両手で掴んだ。静かな夜。熱が指先から伝わって、そこから脈の鼓動を感じた。

飲んだ紅茶が喉を通り、そこだけが温められる。

そして、いつか僕の血になる彼女の紅茶は、遠く流れる灯りと混ざり合っていく。

                 ・・・

今日も等しく夜が来ました。

君の顔も、人種も、話し方も。

David Bowieで『Five Years』。


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