03/07/2020:『What You Won't Do For Love』

国 プール 1

流れるプールで泳いでいるのは、ほとんどが家族連れで、こんな平日からお父さんお母さんたちはよく仕事休めるなぁと思った。

「別に会社勤めちゃうかったら、普通に休みやろうな。」

と、僕の首に捕まりながら彼女は言った。

「あ、そうか。」

家を出て、そして町を離れて初めての夏だった。僕の町では、僕の父親も、友達の父親もみんな揃って会社勤めで、どの家族も同じような車に乗り、似たような家に住んでいた。そして似たような毎日を送っていた。そうじゃない世界がある、というのを僕はこっちにきて初めて知った。

よく考えなくても当たり前のことなのだが、考えることもないから当たり前でもなかったのだろう。

ゆらゆらと流れに身を任せながら、火照った体を少し沈めた。

「ちょっと、言うてよ。びっくりするやん。」

自分はただ引っ張られているだけなのに、彼女はとてもわがままだ。それに、別に捕まらなくても勝手に流れて行くはずなのだが、

「もっと身を任せたいんよ。完全に。」

と、言って僕を捉えたまま漂っていた。

彼女の水着姿を見るのは初めてで、偶然か必然か、その姿は燕のようにしなやかで、レモンみたいに爽やかだった。

漂う流木のように漂っていた。何もない真っ平らな太平洋に浮かぶ、ただの流木。

きっと、この世界に何億枚も漂っている中の一枚。それが僕だった。

                 ・・・

異国 1

この国の季節には名前がない。一年中、同じ天気。冷えた朝から昼間には半袖の陽気、夕方の雨を経て、霧が出る夜になる。毎日、毎日。住みやすい環境であるが、代わりに、しばらく何かを感じないまま時が過ぎてしまったような気がする。

日本にいるよりも単調な時間が流れていた。日々の生活、それは世界のどこでも同じで、マンネリズムを打破することが畢竟大切になってくる。

僕はオフィスで電話を取り、メールを書き、偉い人が来た時には通訳をする。なんてことない仕事だが、厄介なのは、ルールを知らない人たちだ。彼らはお構い無しに話し続け、言語のリズムを無視する。言語にはそれぞれのリズムがあって、使用言語が異なる話者同士が会話をする場合、それぞれの波長を合わせる作業が必要なのだ。お互いが自分の言語波長を少し優しくすることで歩み寄り、ちょうどいいヘルツを探す。僕はその周波数をしっかりと見極め、じりじりとダイヤルを回し、戻し、そして回す。

片方が歩み寄りを無視してしまうと、周波数を合わすことができない。僕はそんな時、ストレスを感じる。ノイズ、途切れ、不通。周波数は波のように生きている。

もちろん、上手な人もいる。そういう人は、単語を発する前にまずは周波数を決めてくれる。適切な語彙、知的な言い回しなどは二の次だということを十分理解しているのだ。会話参与者の周波数が合うと、そこには言語の壁がなくなり、容易に意思疎通ができるようになる。

会話は、決して止まることの無く流れ続ける。

僕はその中で、じっくりと耳をすまして、ダイヤルを合わせる。

時々、それはゆっくり流れる水の音に似ていると思うことがある。

そうして、僕は漂う流木となる。

                 ・・・

国 プール 2

プールサイドでビールを飲んだ。フローズンビールとかいって、泡が凍っているやつだった。毛細血管が縮んでしまいそうなくらい冷たくて、プールサイドの熱されたコンクリートさえも親しげに感じるほどだった。

タオルを敷いて隣に座った彼女を見る。濡れた髪を耳にかけて、プール越しにさっき乗ったウォータースライダーを眺めていた。

「やっぱ乗らなあかんやろ。」

彼女の後ろを追う。裸足で階段を上がって行く。頂上の出発点には係員がいて、青い取っ手のついた二人乗りの浮き輪を渡してきた。パンパンのオレンジを輪切りにしたみたいな浮き輪だった。向こうにはこの地域を流れる川と、その先にはかすかに中心街のビル群が見えた。白い日差しと空気の層が重なって、ぼんやり浮かんでいるようだった。

二人が前後になって乗った浮き輪は、スロープを流れる水に乗ってぐんぐん進んでいった。トンネル、回転、急カーブ。浮き輪は跳ねながらスピードを上げていく。荒れる波、吹き荒ぶ風。嵐の中に二人だけ取り残された僕らは、行き先も知らずに流れに身を任せる。方向感覚がなくなり、僕はプラスチックの青い取っ手を強く握った。そして彼女は上から僕の手を強く掴んだ。

はしゃぐ声と日に焼けた背中が僕に寄りかかる。

仄かにシャンプーの香りが漂ってきて、カーブの向こうにビルの蜃気楼が見えた。

                 ・・・

異国 2

人の周波数ばかりを合わせていると、自分のヘルツを見失ってしまう。耳を傾け、ダイヤルに集中していて気がついた時には、もう陸から遠く離れた海の真ん中、なんてことになっては大変だ。

職場のビルを出て、向かいのカフェに入る。冷たいアイスコーヒーを受け取るとテラス席に腰を落ち着けた。

この時間はちょうど太陽が真上にあって、日陰の黒はパステル絵の具で塗りつぶしたかのように冷たい。

遠く、沖の方まで流された流木をじっと待ち続ける。小さな波が押し寄せでは、砂浜を少し固めて引いていく。絡まった周波数。漂う波はそれをゆっくりとほぐしながら、流木と共に流れ続ける。

解きほぐされた周波数の網に、流木が引っかかる。

砂浜に打ち上げられるまで、もう少しだ。

                 ・・・


国 プール 3

じりじりと焼けた肌をプールで休ませる。ビールが入って和らいだ彼女が僕に捕まる。燕とレモンの体、首に絡まる腕と肩に乗る顎。ゆっくりと流れる波に漂う僕は流木で、彼女の周波数に合わせて浮いたり沈んだりを繰り返す。

人混みの間を滞ることなく進んでいく。

何億枚もの流木と無数の周波数がたゆたう。

自分の周波数を見つけた流木が、向こうのプールサイドにたどり着くまで、

もう少しだ。

                 ・・・

今日も等しく夜が来ました。

ふと感じる夏の涼しさ、って感じです。大人です。



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