_神話_四年目__ポスター

『神話(四年目)』展示中止について、ほんで、テキスト

「神話(四年目)」ポスター

こんばんは。さいとうはるみちです。
2020年4月12日「神話4年目展」をやるつもりでした。

が。

いろいろ考えて、中止にします。

新型コロナウイルス感染症 (COVID-19)の影響がいまだによくわからないことと、これまでの展示にきてくれる客層を省みると、①60歳以上の方、②障害があったり病気をもっている方、③子連れが多い……つまりは、免疫がひくい方が多い……ことを考えてみるとリスクが大きいな……というのが理由です。

展示する場所は屋外の予定だったし、みんながみんな室内にいつもいるというわけでもないとは思いつつ、事前の告知でいろんなリスクについて話さなければならないというだけでも滅入るので。。
延期も考えましたが、コロナがいつ収束するかわからないことと、オリンピックとまるかぶりになってしまったり、秋にかかる9、10月にしても、去年の様子を見るにつれ、長引く酷暑や台風などの自然災害があることから、中止にしたほうがいさぎよいかと思いました。

ただ、その代わりとして、、、、

4/11.12は「神話4年目展示風景ZINE」を制作します。
毎度おなじみのZINEは通信販売にして、それに「神話4年目 展示風景ZINE」をおまけとして付けて送ろうかなと思案しています。

どんなふうにするかはまだ考えていませんが、おおきな神話プリントを持って、展示会場のかぐやのあちこちに立つ。という内容の予定です。

かぐやでの展示は、来年5年めで、4年めとあわせてできたらいいなあ!というのが、いまのぼくの夢想です。

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「神話 四年目」テキスト

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 神のうちの存在たちと旅をするのも、もう四年目になる。一応、『神話』撮影は七年目を区切りとしているので、永遠のごとき数年間も半ばをすぎたことになる。(「永遠」だなんて大仰な、と思われるかもしれませんが、子育ての数年って、濃密に凝縮された年なんですよね…。ようやっとわかりました。)
 世界は流動していることをつくづくと感じる。水も、空も、海も風も太陽も、星も、流れて流れて流れている。そのもとを移動しながら、ぼくたちは撮影をしている。そうして気づくようになったことは、どの土地においても、太陽はあり、雨はふり、南国であれどもその空は雪をはらんでいるという自明のことだった。区切りなどなく、含んで含まれている。
 神のうちの存在……言い換えると、未だ死に親しくある存在との『神話』撮影。だから、無理はもちろんできない。無理はしないまま、自然現象の流れに逆らうことなく、むつみあえる狭間を探る。
 その試みが四年目になってみて、ようやく「ああ、この撮影の旅は、空間を移動するだけの三次元の旅ではなく、時間の奥行きをふくめた四次元の旅なのだ」と、頭のみならず身体でも納得がいった。ありふれた日々の瞬間が、やがての歴史に光を照らすように。

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「あらかじめ私自身のうちに世界を先取りして持っていなかったとしたら、見える眼を持っていても明き盲同然だったでしょうし、どんな研究も経験も全く実りのない無益な努力に終わったことでしょう。光があり、そして色彩がわれわれをとり巻いていますが、もしわれわれ自身の眼のなかに光も色彩もないとしたら、われわれの眼の外にある光も色彩も知覚できないことになるでしょう」『ゲーテとの対話』

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 世界を先取りするまなざし。ぼくはこの『神話』においてのまなざしが行きつく先を、数年どころか、数十年、百年、一三〇〇年(世界最古の印刷物が『百万塔陀羅尼』だという。ウィキで調べただけなので要注意。調べます。)先に置いている。ばかだねと笑われても構わない。
 写真でなければならない理由としては、現在、言語的物語があまりにも氾濫していることにたいする違和感がまずある。
 「原罪」を抱えながら、そこから噴き上がる怒りや苦しみ、悲哀を根にしつつ、そこから、それでもなお実る果実がある。その苦くも甘い果実を味わうにあたっての物語は、言葉ではなく、悲哀や喜びにのたうちまわるその人のふるまいを直視しながら、自分のものとして得ていく、
 その物語は、踊りやうた、壁画という非言語の語りによって受け継がれてきたはずなのだ。言葉はひとつぶも存在しないのに、非言語の物語を、肌身で感じるられるような異様な媒体こそが、一三〇〇年先にも残りうるものなのだろう。ラス・マノス洞窟の、無数の手が残された壁画を思う。
 うつりかわる自然現象は、いったん消えて、やがて再び現れる。そのように、非言語の物語も、いつでもなお繰り返し、読むその人の内側で再生されるのだと思う。そのような物語を、写真という声でつむぐことに賭けたい。その一念。

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「大光明は、ただに眼から出るだけでなく、鼻、舌、耳、身、意、それらからもまたことごとく光を放っているのである。この光を掴もうとするには、何といってもすべての相対的、自覚的意識作用を畳んでしまって、そうしてその上にまた別の世界があって、その世界へ飛び込まなくてはならぬのだということにしておこう。」『無心ということ』

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 今、一歳児が起きた。むくりとふとんから顔をあげて、見わたす。ぼくの視線とかちあったとき、ねぼけまなこが、きれいな三日月になる。ほほえみながら、にぎりこぶしを頬にあてて、下へ勢いよくすべりおろす。手話の「おはよう」だ。
 その「おはよう」は、なんだかじつにうるわしい。ことばをそなえていくひとを見るたび、「悲しい」「哀しい」「美しい」「愛しい」のすべてをくるんだ「かなしみ」がしみじみと満ちてくる。
 ことばがそびえたつ。ことばは、かすかに輝いている。ふしぎな夢をみているかのように、まだ、そのことばはたしかな意味をふくんではいない。すみきった冬の空に、ちからづよく、しらじらと、目的もなく、太陽の光を反射するただの現象として輝いている一番星のようだなと思う。
 かれのことばもまた、わたしたちの行いを反射する現象として、目的もなく、ただあらわされているだけにすぎない。
 先へ先へ、さらにさらに、もっともっと、と、効率をよくして、利益をさらに求める生活が、一番星をゆっくりとながめる余裕を殺すように、かれから反射されることばに自省する余裕を失わせている。
 今は、まだ反射にすぎないことばは、やがて、おのずから発光することばになっていく。発光は、それまで浴びてきた反射の光を真似るだろう。その境界に、ぼくは立っている。なんということだろうと思う。
 ひとつの感情にはおさめられない複雑さをそのままのこした「かなしみ」で、かれのことばが、かれのものとして輝くようにと見つめる。

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「誕生の再経験において、最初の段階は子宮内の胎児でして、「私」とか、存在しているという意識をなにひとつ持っていない。やがて、誕生の少し前に子宮のリズミカルな動きが始まると、とたんに恐怖が生じる! 不安こそ最初のものであり、「私」と言うのもそれです。そのあと、産み出されるという恐ろしい段階に入る。産道を通るという困難な過程。そして−なんと、光! まあ想像してごらんなさい! すごいじゃありませんか、神話が語っていることをそっくりそのまま経験するなんて。」『神話の力』

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 うぶごえをみた
 うぶごえにみをふるわせていた
 うぶごえはいきていた

○ ○

 敵を恐れるな−やつらは君を殺すのが関の山だ。
 友を恐れるな−やつらは君を裏切るのが関の山だ。
 無関心なひとびとを恐れよ−やつらは殺しも裏切りもしない。だが、やつらの沈黙という承認があればこそ、この世には虐殺と裏切りが横行するのだ。『無関心なひとびとの共謀』

○ ○

 二〇二〇年に入って早々、「第三次世界大戦」というワードが世界中で飛び交った。いやだ、と思った。そして、シリアの方々の現在進行の惨状には、そこまでは思わなかった自分を発見した。
 名前も出したくないあの大統領も、総理も、戦争もむべなるかなとのたまうニヒリズムどももいやだけど、それ以上に自分自身に、いやだ、と思った。腐臭を放つ、おわりのはじまりを体現する者は、自分だった。自分のこの無関心が積み重なって、まわりまわって、返ってきただけにすぎない。
 ぼく自身の内側でニタニタはびこる暴力の存在を、己のあらん限りの知性と想像力を広げて見つめて、どれほどささやかでも自分の心を通したことばと行動をそそぐ。それを、続ける。続けるしか、ない。でも、ま、あんまりまじめすぎても、壊れちゃうね。毅然とゆるりと、続ける。

○ ○

 「いろいろな事情のために生きることを続けることができなかった人たちの思いを受け継いで、「いのち」が光のように何重にも重なりあいながら、生きとし生きるものたちは、生きているのだ。
 ひとりの人間の存在は、それぞれの関係性のなかで大きな意味を持っている。人は、そうして他者に発見されることを待っているし、自分自身に発見されることを待っている。しびれをきらして待ち続けている。時間はたっぷりあるようで、そんなに多くはない。人生は常に本番だ。舞台の主役はあなたで、脚本も配役もあなた自身が鍵を握っている。そして、多くの人達が(そして、60兆個の細胞たちも)その舞台を支えている。幕はすでに開いているのだ。」『いのちを呼びさますもの』

○ ○

 ふたりめのこどもを迎えてからちょうど一年して、祖父が旅立った。産まれたばかりのこどもと、旅立った直後の祖父の眼のなかは、青かった。青い眼からそそがれるものを、なんといえばいいのか、まだわからない。
 ただ「青」というだけでは到底言い尽くせない。生と死のバランスが偏りなく共存する瞬間の、矛盾が幾重にも孕まれた、色彩。べたべたとした情よりこぼれる涙も冷めるほどに圧倒的な、色彩。
 喜びを喜びだけへ、悲しみを悲しみだけのうちへと、単純に収めてしまうことを許さぬほどの静謐が、両端のふたりのまなざしを想うたびに、どごうどごうどごうどごうと鳴り響く。

○ ○

 この『神話』旅を続けるための、「一冊千円の冊子代に加えて、いくらでもいいので撮影応援の『おきもち』を含めていただく」というやりかたのおかげで、資金をどうにかまかなって撮影の旅ができています。
 神のうちの存在がひとりふえたことで、どうしても行動に制限ができてしまいます。なので、あらためて、本当に、ありがとうございます。おかげさまで、あたらしい写真も迎えることができました。
 四年目の旅は、〇歳児がいるということで、あまり無理はできないので一回のみでした。その代わり、いろんなからだのひとに、〇歳児を抱いてもらうポートレイトを撮影する試みに至りました。これはぼくひとりの頭でやろうとおもってできることではありませんでした。この表現は、〇歳児の弱さが導いてくれたものでした。
「まえぶれなく闇がしのびよっているように、まえぶれなく光もそそがれている。」なんだか、そのような、ことばを、抱えながら撮影していたように思います。
 つくづく新しい手法というのは、生老病死という宿痾を抱えるわたしたちの弱さからもたらされるのだなあと思う。

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 おさなごのぷくりとしたほおに、わがほおをよせるとき、いろはにほへとのひびきのようなやわらかさがながれる。
 現在、四歳三ヶ月と一歳三ヶ月の、神のうちの存在との生活はばたばたと過ぎていく。正直、うかうかしていると日常に埋没してしまって撮影が難しい。ばっきゃろう、だから、やるんだよ! そんな反骨を改めて携えて『神話 五年目』に入ってゆく。
 来年もまた健やかにお目にかかれますよう、どうぞみなさま、ごきげんよう。

2020年2月14日 齋藤陽道


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冊子について

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 『神話 四年目』冊子、700部限定です。
 「神話4年目 展示風景ZINE」が、できあがりしだい、また告知します。これの撮影は4月12日なので、完成してお送りできるようになるのは、5月を見込んでいます。

 「一年目」「二年目」「三年目」は、それぞれに、在庫300部という感じで残っています。もってないという方は、ぜひに。

ご入用の方は、「神話四年目冊子くださいな。こちらに送ってくださいよ(郵便番号、必須!)」と、連絡をくださいませ。

ちょっと誤解されているのですが、前々のぶんもおもちくださった方に、ぼくから自動的にお送りする、ということはないです。
毎年、そのつど、新たに、ご連絡もとい、ことばをくださいませ。
なにげに、この、年賀状や寒中見舞いのような年1のこのやりとりがけっこううれしかったりするので、どうぞよろしくおねがいします。

連絡先:
info@saitoharumichi.com

連絡をいただいたら、まず冊子を送ります。
とどいた冊子のなかに、振込先についての詳細があります。
冊子をみていただいて、写真に出会ってもらって、「ほーん、来年はどんな写真ができるのかな、応援してこましたろ」と思っていただけたら、

 冊子の価格は、
「1000円(原価)」+「旅費及び撮影費へのお気持ち(いくらでもおっけいです)」
でお願いしています。

【2020/05/12】「お気持ち」について追記

名称未設定 1


○ ○

おまけ

【本文は、ここまでです。以下は、この最近の家族写真22枚があります。見ても見なくても変わりないですが、応援するかんじで、投げ銭的に、見てもらえたらうれしいです。
それがぼくの、タコの唐揚げ代になります。あるいは、まなみのモッツァレラチーズ代。またもやのあるいは、樹さんのブルーベリー代。さてもやのあるいは、畔さんのイチゴ代。ありがとう】

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