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#13 【斬られた漢がアンサー!】創業家であることの意味

今週のブログテーマは「家族経営から派生する様々な問題」についてです。
私の自己紹介は前々回のブログでさせて頂きました。

まさに家族経営の一端にいる私からすると、インターン生荒武さんの指摘にはいろいろ思うところがありました。このブログでは、荒武さんの指摘に対して答えるというよりも、私がどういった思いで会社に目を向けているかを少しお話したいと思います。若干重たい内容になるかもしれませんが最後までお付き合いください。

1、社長の息子

 私が現在努めている会社の社長は私の父親になります。よく世の中でいう親の七光りとかおぼっちゃまとかそんな感じ?私はスキじゃないですそうゆうの。今までの過去を自分が振り返ってみると、自分の足で生きていきたいみたいな願望が強くあったような気がします。「引かれたレールの上をただ歩いているようには見られたくない」みたいな。自分自身の力で人脈も繋げていきたいし、結果を自分の手で獲得し認められたいと常に思っていました。

昔は、政治家になりたいとか、医者になりたいとか、弁護士なりたいとか、結局は化学メーカーで働いてみたり、後を継ぐってのは頭になかったです。もちろん周りから継ぐんでしょとか、戻るところあっていいよなとか凄く言われていたので、ただ単にその事実に反発していたのかもしれません。しかし、前職で経験を積ませて頂き、財務や内部統制といった仕事を通じて会社の仕組みや組織に興味を持っていきました。学んだ知識を実家の会社に照らし合わせるようなことがその頃増えていた気がします。それからしばらくして私は帰ることを決めました。

2、私個人として戦う

 そして、2017年5月に秋田に戻ったわけですが、共に働くことになった上司に「齊藤家の私としてではなく接して欲しいし、そのつもりで仕事をする」と伝えたのが記憶にあります。結局、なんでも家柄とか社長の息子だからとか、色眼鏡で見られるのはわかっているからこそ、一人の自分として仕事に向き合っていきたいし、周りからも個の自分を見てほしいって強く願っていました。息子だから入社したって思われたくなかったので。必要としてもらえる場で仕事をしたかったし、もし自分が後を継ぐときが来た時に、皆に齊藤大樹として歓迎されたいという我儘のようなものがありました。

「個の自分も齊藤家あっての存在であることは事実。そして、それがあったからこそ自分が今こうして自由に仕事をさせてもらっていることはしっかりと認識しています。その事実に対しての感謝は忘れてはいけない。」

従業員との面談を通じて家族経営ということを強く思っている人が多いという事実を知り、凄く考えたのを記憶しています。小さい会社だからこそ、会社全体が信頼感に覆われている状態を作りやすいと思うし、そうじゃなきゃいけないなって思いました。労働者の代表の気持ちで仕事をしているなんていうことをよく言ってたのが記憶にあります。結果として、会社の仲間はフラットに私に接してくれていると思っています。(勘違いでなければ…笑)

3、創業家としての覚悟と責任

 先日、創業者夫妻にインターン生荒武さんとインタビューを実施しました。創業者の声聞くといろんな思い湧いてきます。なぜ会社を創業したのか、スタート時にどんな苦労があったのか、研磨技術にかける思い。そんな大切な思いのバトンを繋げる役割は創業家の自分であるという覚悟と自覚が十分にあります。
それに加えて、会社自体は働く仲間とその家族のために存在していきたいと思うし、顧客のために研磨技術を提供し続けたいし、社会にとって必要とされる存在でありたいと思います。そこには創業家というよりも斉藤光学製作所としての思いが宿るものだと思っています。

当社はここ5~6年で従業員の人数も大幅に増えました。結果として会社の歴史や流れるスピリッツのようなものに対する認識が薄くなってきているのも事実です。そこについて、創業家としての思いからすると多少なりとも後世に繋げていきたいと思うのは当然ではないでしょうか。

 敷かれたレールに乗りたくないって言ってた過去の自分に対して、「そんな抵抗をしなくても本気で取り組めば心配ないよ。」って言ってあげたいです。

(文責 齊藤大樹)

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