文庫君鉄オビあり

【82】君と夏が、鉄塔の上



 僕は一歩、帆月へ近づく。

 帆月は唇を噛み、身構える。

 そこへ、スッと一人の男が近寄ってきた。

 僕らがずっと後を追っていた、兎のお面の男。

 男はやはり何を言うでもなく、じっと僕と帆月に視線を送っている。

 僕は帆月の身体を引き寄せ、男から遠ざけた。

 お面の男が帆月を連れて行ってしまいそうな気がしたからだ。

「ほ、帆月は……連れて帰ります」

 口の中がカラカラで、上手くしゃべることができなかったけれど、無理やり唾を飲み込んでから、言った。

 男は僕の側まで寄ると、おもむろに右手を近づけてくる。

 握手をしよう─というわけではなさそうだ。白く細い指先は、何かを毟り取ろうとするように、複雑に折れ曲がっている。

 僕はゆっくりと近づいてくる腕を見つめていた。

 払いのけるという選択肢は、何故だか生まれてこなかった。

 白く長い腕は、僕の胸元あたりまで近づいてきた途端、何かに弾かれるかのように、ビクンと跳ねた。

 お面の男は弾かれたその手をじっと見つめ、それから、再び僕の顔に視線を落とす。

 どれくらい見つめ合っていたのだろう。息が詰まりそうになったけれど、彼から目をそらすことが出来なかった。

 やがて、男の方から視線を外し、払うように右手を振った。

 それに合わせて、周りを囲むようにしていた兎面の男たちは川下へと向き直り、それぞれ静かに歩き出す。

 僕の前にいた兎面の男もまた、懐手を組むと、みんなの後を追うようにして、ゆっくりと歩いていった。

 やがて、橋の上は僕と帆月と、僕の背中にいる椚彦だけになる。

 帆月はずっと、男たちの行く先へ目を向けていた。

 彼女が何を考えているのか、僕にはまったく分からなかったけれど、

「帆月、帰ろう」

 僕は帆月の目をしっかりと見据えて言った。

 帆月の瞳はゆらゆらと揺れていて、未だに戸惑いの色が浮かんでいたけれど、


「……うん」


 そう小さく呟いた。



第五章 君と夏が、鉄塔の上



 まもなく、夏休みが終わろうとしている。

 台風は一晩中僕の町を荒らしまわった後、足早に離れていった。

 積み残している宿題や、近づく新学期を意にも介さず、高い空には白い雲が当たり前のように浮かんでいる。

 あの風の中をどこに隠れていたのか、再び蝉がけたたましく鳴き出した。

 あれから一日経っても、二日過ぎても、帆月は公園にはやって来なかった。

 帆月を連れ戻したあの日、いったいどうやってここ戻ったのか、はっきりと覚えてはいない。

 気が付いたら帆月と僕は椚彦の社へと戻っていて、リバーサイド荒川の屋上にいた比奈山たちと合流したのだけれど、強い風に加えて雨まで降り出し、このままだと体を壊しかねないからと、とにかくそれぞれの家に帰ることにした。

 僕と比奈山は、自転車や羽の破片をかき集め、それらをマンションの敷地に積み上げた。手伝うと言った帆月を制し、無理やり家に帰した。

 別れ際、確かに「また公園で」と約束したはずなのだけれど。

 僕はフェンス際のベンチに座り、ぼんやりと鉄塔を見上げている。

 鉄塔は何もなかったかのように悠然と立っていて、珍しいものは何一つ目に映らない。

 今日も、帆月は公園にやって来ないらしい。

 ──まさか。

 引っ越し、という単語が僕の目の前に大きく現れる。

 もうすでに、引っ越しをしてしまっているのではないだろうか。

 その時、自転車が止まる音がして、僕は公園の入り口を振り向いた。



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