【選手名鑑特別版 元学生コーチ河野瑞希】-SAINTSに革命を起こした『礎』の立役者-
「WILL」
「BITE」
「無双」
「FORCE」
歴代のチームスローガン。
各代の「想い」が一つの言葉へと集約されてきた。
そして、今年のスローガンは『礎』。
継続的な強い立教を作りあげるため、立川筆頭に大規模な組織改革が行われてきた。
しかし、
『礎』という言葉を語るにあたって、重要な男が1人。
「接点」「卍」…
数々のパワーワードをSAINTSへと生み出してきた男。
今回の主役は、元学生コーチ河野瑞希。
今の4年が1年の頃、彼らを関東制覇へと導いた。
「最強世代」を作りあげた彼の性格・熱量は、多くの部員を虜にしてきた。
そして、彼の影響力は、『礎』という言葉を介し、各代を超え今へと残る。
彼が、どのような価値観を持ち、組織とどう向きあっていったのか。そして、『礎』に秘められた思いとは―。
その真相に迫っていく。
目次
1.選手時代の葛藤
2.学生コーチへの転身
3.『礎』への想い
4.4年が作りあげた『礎』
1.選手時代の葛藤
2年生からAチームのリーグ戦に出場し、学生コーチとなった初年度には関東準優勝、二年目で関東制覇という見栄えの良い結果を残した河野。
しかし、誰もが最強コーチとして認める彼の大学ラクロスは、決して楽なものではなかったという。
河野は、大学ラクロスを「ラクロスと勉強の両立に葛藤した日々」と振り返った。
毎日目標を立て、必死に練習へ食らいつく日々。
Aチームにいたものの、選手としては鳴かず飛ばずの実力。
下から数えたほうが圧倒的に早かった。
このプレッシャーにより、河野自身、試合に出ることが正直怖かったという。
その一方で、
「世界トップクラスのコーネル大学での学生生活を送ってみたい」という入学当初から抱いていた想いの元、勉強にも力を注ぐ日々を送った。
帰国子女でもなければ、留学経験も無かった河野は英語の基礎の基礎から始めなければならなかった。
しかし、この二つの両立は当時の河野にはあまりにも高すぎたハードルであった。
「至らない自分のラクロスの実力と向き合い、ラクロスに力を入れようとすればするほど、勉強のことが気になった。逆に、勉強すればするほど、ラクロスに全力を注ぐことができていない自分が許せなかった。」
このような中途半端な河野に対し、チームメイトからの反感は増していった。
河野は、勝手に孤独になっていった。
当時の河野には高すぎた二つの目標の狭間で、次第に孤独感を感じるようになっていった。
「確か、結局全部の試合には出してもらって、学内選抜も突破した。でも、ぶっちゃけ人として終わってた。人を信用できなかったし、とにかく二つの目標以外を考えない生活をしてたから。」
2.学生コーチへの転身
その後、河野は学生コーチへと転身する。
始めた理由は、決して美しいものではなかった。
理由は、学内選抜に一度落ちたから。
自分の中では全力で取り組んだことであっただけに、一度落ちて簡単に切り替えることのできるものではなかった。
退部も考えていたが、当時の主将の玉井さん(17年卒)に「学生コーチならどうか。」という誘いをもらい、学生コーチという道を選んだ。
河野は、学生コーチになるにあたってあるものを重視した。
それは、「価値観」。
「ラクロスと学問の両立」を目指し、孤独を感じた経験から導いたものであった。
「価値観」とは、
組織としての価値観であり、
選手個人個人、
そして自分自身の価値観であった。
「当時の立教には、組織としての価値観がなかったと思う。おそらく、常勝校には『伝統』という形で、自然に組織としての価値観が引き継がれている。だから、勝つことが当たり前になって、規律を守ることが当たり前になる。でも、立教には少なくとも確立されたものがないと思った。それなりの結果を求めて、楽しみにいく組織なのか。大きな結果を求めて活動する組織なのか。ここをしっかりしないと選手が一番かわいそうかなって思った。」
だから、
「日本一を目指す組織」
という姿を目指した。
自分が責任を持った教え子が、「ダサい組織だから。」という理由で辞めてほしくなかったし、入部したことを後悔するような組織だけは絶対に作りたくなかったのだ。
「日本一を目指す組織」という価値基準をチームづくりの根幹に据え、
全ての組織の判断は、
「日本一の組織にふさわしいかどうか」
で判断をした。
そうすることこそが、自身の教え子が最も幸せになると信じていたからであった。
3.『礎』への想い
「まさか、確か当時の4年が一年生の時の新勧で言っただけの『礎』がチームスローガンになるとは思わなかった。もう引退したはずなのにバカにされていたのかと感じた(笑)」
河野は、『礎』という言葉に、
「強い立教の伝統への一歩目を作ってほしい。」
「その始まりの代であってほしい」
という意味合いを込めた。
新人戦は優勝争いをして当たり前。
関東ユースは5,6人が出るのが当たり前。
スタッフのレベルも高く他大よりも高度な技能を持っているのが当たり前。
「たまたま、運動神経の良い人が集まった代だから優勝できたとか、立教はあの時は強かったけど今は全然だよねとかは絶対に言わせたくなかった。」
だから、
選手には、
「日本一の組織の日常を送れ。」
という謎の発破をかけ続け、常に妥協は許さなかった。
スタッフ陣には、
「日本一の組織にふさわしいスタッフ像とは何か。」
と問い続け、必要があれば何度もMTGを開いた。
と同時に、
「その築き上げた日常を次の世代に残していってほしい。」
ということを伝え続けたのだった。
これも、
「常に未来志向であること。」
という、彼の大事とする価値観からであった。
「一回勝つのは簡単。俺がずっと居れるわけじゃない。『ずっと強い立教』『ずっと優勝できる組織』じゃなきゃ意味がない。だから、『礎』なんだ。」
『礎』には、「基盤」という意味がある。
河野は、「日本一になるための組織」の基盤を作っていった。
しかし、『礎』とは、あくまで一過点に過ぎない。
「伝統(組織の方向性)に従うと、より強い選手が再生産される。この発端が『礎』。誰でも『礎』を作ることはできる。言い換えれば、誰かが『礎』を作らなきゃ、組織は変わらない。自分たちが良ければいいんじゃない。流れを作る。これを作るのは、俺でもない。」
彼が求めているのは、たった一回の勝利ではない。
「ずっと勝ち続けること。」
「ずっと勝ち続ける組織でいること。」
だった。
4.4年が作りあげた『礎』
そして、この『礎』をスローガンとした4年に対し、河野はこう言った。
「結局、俺がみんなのことを見たのって入部してから最初の4,5カ月くらいで、形としては何も残してあげられなかったんだよね。あいつら自身が『礎』をつくっていったんだ。みんなものすごく成長したと思うし、何よりも、本当にとんでもなくいい組織を作ったと思うんだよね。」
「実際に『礎』を作ったのは、あいつらだ。」
河野は強く言い張った。
世界の金谷さんのコーチ就任
日本代表の選出
接点合同班による「接点」への突き詰め
チーコンによるファミリー制度・サンキューカード
坂上の手腕による特別大会ライブ配信
規律班による部則の制定
備品を運ぶ主将と副将
グラウンドに一列に並ぶ防具
ゴールを組み立てるプレーヤー
ASによる数値分析
報道班の発足 etc・・・
組織の幅は広がっている。
河野が一苦労した「価値観」を共有する場もある。
コロナでも組織は動き続けている。
こうして、4年自らの手で、組織の『礎』はできていったのだ。
最期に、河野はこう振り返りながら語ってくれた。
「でもね、組織を動かすのって本当に楽しいんだよ。」
「もちろん組織の成長、選手の対話、成長を見れるのは楽しかった。でも、ほんの一瞬だけ、『組織がまとまる瞬間』ってのがあるんだ。バラバラだった人たちが、一気にきゅっとまとまるあの瞬間。あのまとまる瞬間の爆発力は、何にも代えられない。勝ちなんてどうでもよくなるんだ。本当に最強なんだ。そのために、俺はずっとやってきた。」
『組織がまとまる瞬間の爆発力』
これが、彼のモチベーションの源泉でもあり、彼が求めていたものだった。
「本当まじで楽しかったなー。だって負けてないからね。(笑)」
目を燃え輝かせながら彼は言ったのだった。
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明日。武蔵戦。
『礎』も、ついに集大成を示すときが来た。
しかし、
宇田川応援団長を中心とした、あの紫一帯に沸いた応援も見ることはできない。
Bリーグは無観客試合。
しかし、河野も信じている。
『組織がまとまる瞬間の爆発力』
これをどれだけ多くの人が感じられるか。
まさに今、『礎』の真価を証明するときだ。
執筆:3年秋山未来
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~4年生へ~
皆さん、お久しぶりです。
出会った当初は初々しかったみくから、「きっと4年生が喜んでくれると思う。」
という熱い勧誘を受け、メッセージを書かせてもらうことになりました。
元学生コーチの河野瑞希です。
それでは早速ですが、
ラクロス部への入部を決めてから最後のリーグ戦の直前まで、皆さんいかがでしたか??
きっと、最高の期間になってくれたのではないかなと思っております。
みんなにメッセージを送れるこんな素晴らしい機会を頂いて、
久しぶりに君たちと過ごした短くて充実していた日々を振り返ってみると、
1番印象的だったのは、なんと「1番初めのミーティング」でした。
多分、みんな覚えてないんじゃないのかな、(笑)
でも、自分にとってはこのミーティングが一番印象的でした。
なんでかというと、自分の想定と違うことが起きたから。
おい、ひなた。どんなミーティングしたか覚えてるか??
ちなみに答えは、
チームの4年後になりたい姿と4年間の目標を決めるミーティング。
まあ、俺はミーティングを始める前には基本的に、
「こんな感じになるだろうなあ、というかこういう形にしよう!!」
って考えてからミーティングに臨んでたんだけど、
あの時のミーティングは、
「あれ、なんか違う。。??」って、なったのを覚えてる。
まあ、ほんの一瞬だけだったんだけどね!いや、ほんとだって!!(笑)
んで、何が違かったのかというと、
そういうミーティングは「日本一になる」とか「関東制覇」という綺麗な形で目標が決まって、「言ったからにはわかってんだろうな」的な展開を想定していたのに、
「そういうただ掲げるだけの目標はやめたほうがいいんじゃないですか。」
「現実的な目標を掲げたほうがいいんじゃないですか。」
といった声がぼちぼちと上がったから。しかも、それがちょっとした論争になったから(笑)
まあ、最後は丸く納まって「日本一の組織になる。」的な感じで終わったと思ったけど、
一瞬焦ったのを覚えてる、まあ一瞬ね、ほんとに一瞬だから!!(笑)
今振り返ると、きっと当時のみんなの中には、
立教大学男子ラクロス部が「日本一」を目指すのは、
県中堅くらいの野球部が甲子園優勝という目標を掲げるように聞こえたんじゃないのかなと思う。
でもね、個人的にこのミーティングは今のみんなが起こした変化を一番よく表してると思ってる。
今の新入生には
チームとして「日本一」という目標を掲げることも、
個人として日本代表やオリンピックを目指すことも、
きっと決して大それたものではないと思う。
それは、
中村が率いた俺たちの代が立教を一部という舞台に引き上げて
青木の代が、柳井の代が本気で日本一を目指して戦ってくれたから。
そして、各代のスター選手たち、桑原達が、柳井達が、今の4年であれば、高島が、高貝が佐久山が、そして立川が、各世代を代表できるような選手になってくれたからだと思う。
今の新入生が知らないような先輩達がつないできた流れを、形にして次の世代に残そうとしていること。
それこそが、お前たちが掲げた「礎」なんじゃないのかな。と、俺は個人的に解釈してる。
きっと、試合を目前にして過去を振り返っている余裕なんてみんなには今ないと思う。
でも、一瞬だけ振り返ってみ。
お前らはチームにとんでもない変化を起こしてきたんだぞ。
だけど、多分次が最も大事な場面になるんだと思う。
お前たちが築き上げてきた土台の上にどんな絵を描くのか。どんな城を築くのか。
きっと、絵はほとんど完成してて、城もほとんど出来上がっている。
でも、次が最後の一筆になるし、次が最後の一つのピースになる。
つまり、ラピュタってことだ。4年だけはわかるよな??(笑)
本当は、みんなが活躍する姿をスタンドで見たかった。
悪ガキだけど通算1on1成績は俺が圧勝な海成を
日本代表じゃなくて、かつてはBEATBOXERだったYu Takashimaを
サマー決勝トーナメント前日にバイトを入れてた、佐久山を
どっかとの練習試合でグラボ寄んなくてBに落とした、高貝を
今じゃラクロス界をけん引する、ごとしゅんパイセンを
高い統率力でディフェンスを率いてくれた、立川を
コージーは、、、よく思い出せないからいいや(笑)
みんなにほんとはいいたいけど、、、
じゃあ、最後にもう一度だけ。
おい、梶!サマーの試合前に俺がなんていったか覚えてるか??
やっぱり、覚えてなかったかあ、、、
答えは、
「勝ち負けとかどうでもいいから、ラクロスを楽しんできてください。」
だけど、新入生だったあの頃からあっという間に4年生になった皆にはサマーの時とは違うメッセージを送ります。
「最高の終わらせ方をしてください。」
勝負事なんて結局、どんな終わり方をするのかなんてことは誰にもわからないと思います。極論、勝つか、負けるかの二択です。
でも、どんな終わらせ方をしたのかということには様々な可能性があると思います。
先輩の背中を見る立場だった君たちは、後輩に背中を見せる立場になりました。
次の世代にどんな思いを残したいのか、そして自分たちの最後をどう締めくくりたいのか。
これこそが、絵の最後の一筆になり、城の最後のピースになると思います。
どうか、みんな最高の最後を迎えてください。
改めましてどんな形であれ、みんなに対してもう一度メッセージを送れるこんな機会をくれて本当にありがとうございます。すごい組織に成長した立教大学男子ラクロス部と、声をかけてくれたみく。本当にありがとうございました。
元学生コーチ 河野瑞希
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