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THE FIRST SLAM DUNK カタルシスプラン的考察

誰の噂話も聞かないですむうちにTHE FIRST SLAM DUNK観てきました。
深夜の回超満員…いつもより平均身長が5センチは高い客に囲まれて、映画オタクの僕はアウェイの雰囲気を感じながらも、映像が始まった瞬間捕まれスラダンの新しい世界に没頭しました。
物語は回想と一つの試合を交互に見せながら漫画で描かれた長期連載作品「スラムダンク」を違う角度からいっぺんに見せたものでしたが…その違う角度…漫画との一番大きな違い…
それは主人公が桜木花道ではないことでした。
残念に思った人もいるでしょうが、これは賢い選択だと思います。

なぜか?

なぜなら連載漫画の主人公は心が成長しちゃいけないんですよ。
なぜなら主人公が成長してしまえば、そこで物語の主題は終わってしまって
続きが描けなくなるからです。
だからスラムダンクの主人公は桜木花道でなければならなかった訳です。
心はいつも他のキャラより突き抜けている単純馬鹿で純粋で一途で…
だからこそその姿が、パワーが他のキャラの心を動かし、他のキャラたちの成長する姿がドラマとなり長編として紡がれていった訳です。

では映画ではどうなのか?
映画におけるドラマの基本文法はイニシエーションなのです。通過儀礼となる体験をすることで主人公が成長することこそが基本なんです。
2時間の短いお話で人の心を動かし感動させるにはそれが効率的なのです。

だから花道じゃダメなんですよね。
わかりやすく成長しない主人公じゃ一本の映画に芯を作りにくいのです。

一本の映画として価値ある体験を読者に与えるには、満足できないグズグズな部分があるコンプレックス剥き出しのキャラがバスケの試合(友情、努力、勝利)をイニシエーションとして体験することで成長する必要がある!
と…井上雄彦監督は考えたのでしょう。
だから映画での主人公は今回の彼なのですよ。

結果として映画は誰が観ても面白い、大人となったかつてのジャンプ読者も満足できる映画になっていたのではないかと思います。
脇としての桜木花道も最高でした!

脇である役者と主役である役者では求められるものも違いますし、声優が変わってしまったことも納得でした。
実際抑えめの演技が大人の鑑賞に耐える映画にしていたと思います。
この面でも監督の英断であったと…映画オタクの僕は思いました。

映画は漫画の勉強に最高のものだと思いますが、その基本文法の違いは
意識できるといいですね。

でわでわ


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