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マジナイサマ

「どないしたんな」
老人が虚空を眺めながら問いかける。
ぼくの額からは汗がとめどなく流れており、走ってきたせいか鼓動が耳の中に反響する。
「あれを」
ぼくは乾いた唇を舐めて湿らせた。
「あれを知ってたんですか」
老人はちらりとこちらを一瞥して口角を上げた。
「ゆうたじゃろ、あんなとこ行かれんて」
そうだ、止められたのに行ったのはぼくだ。

大神子(おおみこ)海岸は砂地が少なく砂利でできた浜だ。
いつだったか友人と海で遊ぼうと水に入ると、浜から数メートルも離れてないのに急に足がつかない深さになり、水が凍えるように冷たくなって、気がつくとぼくは水の中に吸い込まれていた。
油のようにギラギラ光る水面がどんどん遠くなり、水底から凝視する視線を感じてそちらを見ようとしたその時、間一髪友人がぼくの腕を引っ張った。
粘っこい海水から逃れて浜に上がると心配そうな友人たちがいた。
それからぼくは何となく、大神子海岸には近づかないようにしてきたのだ。

『なあ、大神子の奥の磯場あるじゃろ』
徳島県を離れ、数年がたっていたある日の夜、高校の友達の上田からぼくに不意にそんなメッセージが届いた。
『あそこの底にマジナイサマがおるんやって』
ぼくはその文字を見て首を傾げた。
『なんの話?』
『お前に言わなあかんのよ』
『は?』
『ほうでないと俺が死ぬんよ』
『なんの話だよ』
メッセージが全く要領をえない。ぼくは理解できず上田に電話をかけた。

「もしもし」
「…もしもし」
「なんな、マジナイサマって」
「…お前、今月中に帰って来れんか」
「何でな、俺は大神子はもういかんってゆうたじゃろ」
「来てもらわんと困る」
「ほなけんど俺にも都合が」
「死にとうないんじゃ」
「は?」

そこで唐突に電話が切れた。
「なんだよ、電波か?」
慌てて掛け直すが、何度かけても上田には繋がらず話中になるだけだった。
「…なんだよ、もう…」
俺は呆然と電話を握りしめていた。

ぼくの日々のゼロカロリーコーラに使わせていただきます