コロナ禍に高校3年生をやってみて

数年前まで高校生をやってました。
高校3年生、
17歳から18歳の時間を、
大好きだった高校生活を、
コロナ禍で過ごした上で思ったことを綴ろうと思います。

そもそも、な話

前提として、私が行っていた高校は分かりやすく言えば、
自由!!!!!!!な高校。
ほとんど校則も無いし、高校あるあるな身なりをきちんと〜みたいなものもない。
別に短いスカートであってもジャージであっても金髪であっても、その子であることには変わりないし、やる事やっていれば何も問題ないわけで。

それを求めて入ってきた子たち(私も含め)も多いですが、
私は何より、考え方も見た目も何もかもが違うような学生同士が自然に認め合っている姿、また自分たちに殆どの選択権があるからこそ培われた自律性をオープンスクールで目の当たりにして、受験を決めました。ここなら私は成長できる、変われる!と直感で思いました。


あのときの自分、ありがとう………!!!(;;)

ぶち当たった壁は

文化祭も体育祭もその他イベントも、学校生活のありとあらゆることは生徒自身で決めさせてもらえるような自由を与えられていた私たちにとって、
有無を言わさず、半ば強制的にダメだ、諦めろみたいな規制って思えばほぼ初めてだったんですね。
2年間で「当たり前」になっていた自由が当たり前じゃなくなったことで、私たちは如何に恵まれていたかに気付かされました。皮肉ですよね。

今まではダメだと言われたら、それを決めた教師や誰かに何故なのかを問いかけ、苛立ちや疑問をぶつけることが出来たのに、それすら許されなかった。そんなことをしたって覆ることでもないし、理由も分かりきっている事だったから。
ああ、もう、このまま与えられた規制に従って卒業していくんだなとか、そういったことを考えていました。

先生

まあなんやかんや言えども、受験の年ですし、ある程度の諦めを持てるくらいには皆、大人で。
イベントが中止になっても、受験のための学年集会に出て、志望校決めて、、という流れを経て卒業するのは変わらない。

学年主任の先生は入学した当初から、そういった学年集会で話をする際、
「みんなの希望を出来るだけ叶えたい」
ということを話しがちでした。

(要は、希望通りの進路に行きたいんだったら先生たちも手伝うし、その分皆も頑張って自分がやるべきことをするなり、勉強するなりしてくれよな!といったことです。その通りすぎる。)

よく言ってる話だし、ふうん〜って聞き流しそうなことを何故私が覚えているかというと、、

ある時、集会で学年主任が学校行事について
「皆はどうしたい?」と問いかけ始めたんですね。
前述の通り、規制ばかりで正直どうなるかわからないようなイベントの判断を、生徒に仰いでくれた。そして、途中でこう話すんです、

「みんなの希望を出来るだけ叶えたい」と。


そんなに意識して話していないかもしれないし、別に強調もされていなかったかもしれないけれど、私の中でこの言葉が強く残っていて。

こんなご時世の中でも、やれることを探してできる限りの手を尽くそうとしてくれる。そして、絶対協力してくれる、そういった何かを感じました。


自主、自律、自由を先生たちは最後まで守ってくれていたし、教えてくれていたんだな、と。


できたかったこと、だけではなくて

まあ結局、出来なかった行事もありました。(何かは伏せますがみんな楽しみにしていたものでした)正直悔しい。戻れるなら戻りたい。

けれど、当たり前が覆ってしまったとき、当たり前だったときには気づけなかった人と関わることの「あたたかさ」や「尊さ」に気づくことが出来たし、それをこれからもひとつひとつ大事にしようとも思えた。

学校があまり好きではなかった私ですが、
(この話は詳しくはまた今度、、)
この期間があったからこそ、学校の良さにより触れたし、より好きになったかもしれない。


だから、自由すぎた高校生活のすべてが私の宝物です。


先生!友達!先輩!後輩!大好きだ!!



たくさんの宝物をくれた高校生活の話は、またどこかでまたします!
今回はここまで!