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大阪城から学ぶ⁉︎ IPの生まれる構造

先日、生まれて初めて大阪城の天守閣に登りました。
ある仕事で大阪に行ったのですが、その打ち合わせ場所が大阪城公園の中。
折角だからと打ち合わせ前に公園の中を散策してその打ち合わせ場所に行ったのですが―――
「公園の中歩いて来ましたよ、外国人の方いっぱいで日本語聞こえてこなかったですよ」
「でしょ。で、大阪城の天守閣登りました?」
「いや、スルーです」
「そりゃダメですよ、折角来たのだから登らないと」
となりまして。
普段、地方出張に行っても、時間があればその場所の美味しいものを食べるくらいで、都内で仕事しているのと同じ感覚で戻って来ちゃうのですが、この時は魔が刺したのか、その言葉に素直に従ってみたのです。
 

あれ?日本人は自分だけ?

さて、行ってみると、長蛇の列、入場チケット売り場が。
そこにいるのは外国人の方ばかり、全く日本語が聞こえてきません。
すごいのね、大阪城のグローバル人気。
エッフェル塔みたいなもんですね、存在としては。
アジアのみならず欧米から来ている方も沢山。
英語じゃない方もいっぱいいましたね。
チケットをやっと購入して中に入ると、また列が。
こちら5階までのエレベーターの列。
天守閣が8階で、そこまで階段もあるとのことですが、こちらも素直に迷わずエレベーターの列に。
 

今の大阪城に秀吉の影無し⁉︎

ご存知の方も多いとは思いますが、今の大阪城は1931年に復興されたものです。
豊臣秀吉が築城を始めたのが1583年。
豪華絢爛を誇る大阪城は、大坂夏の陣にて豊臣家が滅亡すると徳川家のものに。
すると、徳川はそれまであった秀吉作の大阪城を覆い隠すかのように、ほぼ新しく築城するレベルで徳川版・大阪城を建てるのです。
ですから、今ある天守閣の場所は、秀吉が建てた天守閣があった場所とは違う場所で、城内の石垣も我々が見ているものは全て徳川版・大阪城。
今の大阪城は、徳川家が作った天守台石垣の上に、屏風などに描かれている乏しい資料から推測される豊臣時代の大阪城を再現したもの。
もう、実際の豊臣秀吉の影、めちゃ薄い!訳です、プロダクト的には。

IPを楽しむとは物語を楽しむこと

日本三名城の一つと言われる大阪城ですが、プロダクト的には昭和に復興された鉄筋コンクリートの建物です。
でも、世界中から多くの人(年間200万人以上だそうです)が大阪城というIPに集まって来る。
その城主として語られるのは、実際に作ったものは400年前から地中に埋まったままになっている豊臣秀吉。
そこから分かるのは、人々は歴史・物語が生み出している世界観に惹かれている、楽しんでいるのだということ。
「IPには物語が必要」ということはよく言われますが、この歴史的建造物から、改めてそれを強く感じました。
古くからある観光名所ってやはりIP的価値が高いんだな〜と思うのと同時に、物語は「伝え方」でその価値が何倍にも変わりますから、もっともっと価値を高める「伝え方」を考える余地は、日本全国であるのではないかとも思うのでした。

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