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書き溜めることができたら、公開しようと思う。

だいたいものぐさで。あらゆることが、いっこうに続かない。人生切れっ端のようにふらふらと風に吹かれてやってきた。ブログという形式が苦手で、日記なら付けれたのだけど、ブログという形式には何かしら意味があり、読ませるモノでなければならないという思い込みか、要求かが勝手にわいてくる。それで、いざ何か意味のあることを書こうとすると、とたんにその嘘くささに嫌気が刺すという性分だから、しばらく書き溜めることができたら公開しようかと思った。無事この文章が見れているのであれば、ああ、よかったね、とおもいなせい。

僕は写真を撮っている。生活のためではなく、撮りたいがために撮り続けている。そこに意味があるのかないのかということなしに、撮り続けている。金でも名誉でもなく、何か意味があるかというと意味もなさそうに思えるし、その撮影を続けることに意味ががあるようにも思えてくるんだけど、そういう人を日本ではなんと言うかは知ってる。だけど、なんとなく、それは自意識にべったり呪われている言葉のように見えて、自分では使うことは滅多にない。英語のほとぐらはー、ぐらいがちょうどよいと思っている。だから、僕は写真を撮る人、です。

だいたい写真なんて誰でも撮れるものだ。スマホでカシャが今一番使われてる写真行為だろう。スマホ買って写真を撮らない人はいないのではないか。それほど写真に満ちあふれてて、特別なことではない。なんだ。誰もが写真と撮る人だから、僕は写真を撮る人ですと自己規定しても、すぐあとから、誰でも写真を撮る人だという正直な理屈が追っかけてくる。ああ、じゃあ、僕は、写真を撮る普通の人です(正確には)。と書くと、普通の意味がわからない。普通の人が1年に何万枚も撮らない。それに、どっからどこまでが普通で、どこからは特別なのか。なんて堂々巡りな話になるので、だんだんめんどくさい。

ああ、そうさ、語るなんてものはめんどくさい。

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