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『メソッド・理論』の取扱いを考える

○○メソッド。△△理論。

スポーツに限らずあらゆる分野で最新のメソッドや理論といったものが登場しては消えていく。

確かにそれらの「響き」からは魔力的な魅力を感じることもある。

あるゴールまで確実に導いてくれるような気がしたり、何か今抱えている課題を全て一掃してくれたりするのではないかという期待をしたくなることもある。

『○○メソッド。△△理論』というマーケティングの落とし穴

○○メソッド。△△理論。

これらの響きはカッコいい感じがするし、提唱する人物がその分野で成果を出し、世間的に認知されていると、そこには一定の正当性があるように感じる。

しかし、これらはマーケティング活動の一つであることがあるので気をつけなければならない。新しい知見による最新のメソッドや理論でないにも関わらず、提唱者自身の名前を使ったり、かっこいい(?)響きのカタカナ語を使ったりしてネーミングする。そして、あたかもゼロから開発したかのような言い方をしているものがある。

世の中には見せ方が上手な商売人がいるものだ。

「○○メソッド。△△理論」と聞いて、盲目的に信じてしまうのは危険なのである。

『○○メソッド。△△理論』を疑ってみる

新しいメソッドや理論のことを耳にしたなら、まずは疑うことから始めたほうがよい。きちんと自分の頭で考え、それらを採用するかどうかの判断をするべきだ。

ここでは、そのメソッド・理論が本当に優れたものかを考える前にまずは気をつけるべきポイントを3つ紹介しておきたい。下記のような傾向があれば、早々に怪しんでもらったほうがいいのではないかと思っている。

1. 専門用語がやたらに多く、解説自体が極めて難解である(難解に見える)
2. 導入しようとした際に多大な金銭的出費が発生してしまう
3. クローズドなコミュニティが出来上がっていて閉鎖的である

そのメソッドや理論が優れたものであれば、できるだけ多くの人に伝え、広めたいと考えるだろう。しかし、上記に挙げたような傾向がもしあるならば、そのメソッド・理論の価値は疑うべきだ。

『メソッド・理論』の目的化を防ぐ

自分が目的達成に必要だと判断して、実際にそのメソッドや理論を採用する際に気を付けるべきことがある。それは、手段の目的化を防ぐということだ。

メソッド・理論を盲目的に信奉した先には、手段の目的化という現象が起こりやすい。本来、目的を達成するための手段であった『メソッド・理論』自体が目的になってしまうと、もうどうしようもない。

こうなってしまうと、本来目指すべき目的地に到着することは永遠にない。

ただ、言うは易く行うは難し。

自らの頭で考える習慣を持たず、目の前のことに精一杯。思考停止の状態でいると手段の目的化は往々にして起こりやすい。

バレーボールに関する記事を執筆しています。バレーボーラーにとって有益な情報を提供することをコンセプトにしています。