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エキノコックスの記事を目にして、あの夏のとんでもねえ知床探検がフラッシュバック

「その水飲んだら10年後死ぬ」


いきなりとんでもない重大インシデントを告げられたあの夏、私たちは北海道の知床半島にいた。
勧められるがまま買ったでかいザックを背負って、勧められるがままなんとなく選んだ知床探検コースを、熊除けの鈴の音を軽快に鳴らしながら、隊の足を引っ張るわけにはいかぬと、先輩達に必死にくらいつき、ただただ前進していた。

若い子には旅をさせろ。
18の夏の話だ。

*****

前置き。
本日ふと目に入ってきたのはこの記事である。

ヒトの場合も、多くは幼虫が肝臓に寄生して増殖していく。どのくらい増殖するのかといえば、答えは「無限」だ。本来、エゾヤチネズミに寄生したいエキノコックスにとって、ヒトの体内は決してベストな環境ではなく、成長しても成虫になることはできない。それでも時間をかけて増えていく。一般的にエキノコックス症の潜伏期間は10年とも20年とも言われるが、それは体内で幼虫が増殖し、なんらかの病気が発症するまでの時間なのだ。

あれから20年近い月日が経過した訳だが、私は今日もピンピンしながらいつものようにnoteを更新している。どうやら私たちが口にしたあの日の知床半島の清らかな川の水には、ヤバい卵は含まれて無かったという事だ。

ジーザス。


お時間よろしければ、詳しくは『北海道のアウトドアで生水を飲むことはどのくらいのリスクなのか?』をエキノコックスの面から考えてみた」の記事もご覧ください。

無知は怖いですよー
見て見て!キツネだ🦊、キツネだって🦊
次に北海道でキツネに遭遇した時、その距離によっては見え方が変わるかもですよー👻

さて、本題に。

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時は遡ること、若かりし大学1回生。

同じ学部の友達に誘われて、京都の名の知れた大学生が集う、ハードでもなく、ナンパなわけでもなく、至ってカジュアルな、程よい具合にアウトドアを嗜む、老舗サークルに加入した。

初心者マークバリバリの、まだ右も左もよく分からない状態で、初々しいったらありゃしない初めてづくしの日々。

夏休みに突入すると、我々至ってカジュアルなアウトドアサークルの一大イベント「北海道ツアー」がやってくる。長い人で2か月ほど、短い人でざっくり1週間、とにかく北の大地「北海道」に遠征する。

金はないが時間はたんまり。
貧乏上等、いかにして低予算で長期間北海道に滞在するか、大学生らしい夏休みの楽しみ方である。

初めての北海道は、初心者らしく1週間ほどの滞在を想定、逆算してバイトにも勤しみ夏休み前には資金の調達も完了した。
そして遠征前のこの時期になると、いつもより頻繁にミーティングが開催されるようになる。日毎先輩方のテンションは右肩上がりで、今年の夏はいかように北海道を攻め入るか、偏差値の高いメンバーを中心に様々なプランが提案され始めるのだ。

ハイスペックなメンバーの中には、今や日本を代表する企業のお偉い方も混在。そんな未来のお偉い方があーでもないこーでもないと捻り出したプランは、荒削りながらもそれなりに興味深いものだった。

右も左も分からない我々1回生は、数年後の自分たちもあんな感じになんのかなーとか想像しつつ、諸先輩方の熱いプレゼンテーションに耳を傾ける。

で、なとなく友達たちと顔を見合わせて手を挙げたのが、

「知床半島探検ツアー!」だった。


半ば現地集合現地解散のような、ざっくりした団体旅ではあるが、夏休み期間中に数回、広い北海道に散り散りバラバラに分かれたメンバー達が一挙集結する日も設定されている。
そのコア日を起点に、とっておきのツアーが計画されていく。

北海道までは、数名の先輩と共に京都駅から青春18きっぷ片手にひたすら北上。10キロ以上のザックを背負い、わーきゃー言いながらダイヤを乗り継ぎひとまず江戸を目指す。関西弁炸裂で喋りたおす謎のザック集団は、完璧に東京の車両で浮いていた。

「東京の人て、車内で全然喋らへんなー」
を知った夏でもあった。


東京からはフェリーに乗って函館までひとっ飛び。飛び?ではないが、寝て起きたら「はーこだーてー」である。函館名物「朝市」にも行った。

2回生のこれまた破天荒な北海道ツアーとダブってしまい、函館からどのように過ごしたのかどうも記憶が曖昧。釧路湿原を走る電車に乗っていたのは1回生の時だったか、摩周湖が案の定霧でなんも見えなかったのも1回生の時だったか、ひとまず、我ら知床半島探検ツアー御一行は、屈斜路湖のキャンプ集合時に集結することになっていた。

屈斜路湖に面したキャンプ場から羅臼までは公共交通機関を利用し、相泊にある最北端のラーメン屋「熊の穴」に向かう。下手すりゃ最後の晩餐にもなるかもしれぬラーメンを食した後、道なき道を進み、ほんまもんの知床半島の先っぽを目指す。ざっくりと説明するとそんなツアーである。

地図で見る限り、道らしき道もラーメン屋までだ。川口浩探検隊顔負けの、素人軍団による知床半島探検隊の旅。

ちなみに、先ほど「熊の穴」をググったら閉店してた。残念だ。北海道をうろうろしているキャンパーやツーリストは高い確率で「熊の穴」を知っているはずだ。当時はなかったが、食べログでは3.01だったのか。微妙。

この知る人ぞ知る最北端のラーメン屋には、たくさんの色紙や訪れた人の痕跡が店内中に残されていた。この場に及んでも右も左も分からない一回生軍団は、北の大地らしいラーメンを堪能しながら「なんか北海道に来てるって感じ~」を体感した。

この後、とんでもない数日が始まるとも知らず。

とんでもねえ知床探検のダイジェストはこんな感じ。
書き始めると色々思い出してきたので、また改めて書き残そうっと。

・デカくて重いザック背負って、岩場をジャンプ、足ぐねる
・カップラーメンの汁は全部飲み干せ、熊が出る
・ひとりずつやで、ロープ一本で崖を下る
・もしかして飲んだの?その水飲んだら10年後死ぬ
君たち素人!?演習中の自衛隊員と遭遇
鏡を貸してくれませんか?藪から血まみれの男性登場
・ああ到着!ここが正真正銘の知床半島の先っぽ
・嘘でしょ!漁船で瞬く間にスタート地点へ

お金も知識もなく、ただただ先輩のプランに乗っかった旅。
有り余る体力と若さに満ちあふれていた18の北海道は実に濃厚だった。
想定外の事ばかり起こる旅。
今となっては、二度と手にできない宝物。

若い子には旅をさせろ。

うん、そうだね。

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写真の地図は、滞在中巡った場所。
どうも1回生と2回生の記憶が入り混じっているような気もするけど。
京都駅から東京駅、東京からフェリーで函館、帰りは北海道から京都の舞鶴港までフェリーだったかな。地点をチェックしてみた。

今みたいにSNSもなく、携帯もPHS、怖くていいカメラなんて持っていけないから写真も「写ルンです」をたまに現地で買い足したっけ。
旅することに集中してたから、あの時目に焼き付けた数々の絶景はもう頭の中にしかない。

こうしてたまに思い出せるといいな。
色褪せてもずっと覚えていたい。


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