アクアヴィーテ雑記(振り付け編)

アクアヴィーテで、真風さん以外の男役のみなさんがすっと腰を落として低くなる振り付け(黒燕尾のとこ)がめっちゃかっこよく、なんでこんなにかっこいいのか言語化できないと寝れない!と思ったので言語化します。

そもそもトップの方を引き立てるような振り付けが総じて好きです。それでトップの方がカッコよくなるのは必然なのですが、その時の2番手以降の方がまためっちゃ映えるのはなぜなのか。教えてくれ。こんな魅せ方他に知らない!知らないよ!!となる。そもそも私は上下関係や、統率のとれた様を美しいと思うことはあまりないのですが(なぜなら上下関係の根拠に部外者は心酔できないから)、しかしこの宝塚における上下関係の美しさはなんなのでしょうか。真風さんが「はぁー」とする瞬間を両隣で待つ芹香さんと桜木さんがとても好きです。かっこいいっすね!!と真風さんを見つめるお二人。でもそのお二人もその瞬間とてもかっこいい。なんなの……?この世には「かっこいい」以外の形容詞がないの……?そう、そのそれ以外の評価軸がない瞬間を堂々と生きるジェンヌさんが素晴らしいのだ。かっこよさを目指し、それだけを磨き、それゆえに心からかっこよさを貫いた人に敬意を持つ、そして、その敬意さえもかっこよくなっていく。なんだそれは……世界平和か……?サンリオピュローランドか……?(まぁ実際かわいさだけを目指すサンリオと、かっこよさだけを目指す宝塚のショーはかなり近いと思います。)宝塚のスターシステムによるこの絶対的トライアングルが、そのまま振り付けになったようで、私は冒頭の低くなるシーンがたまらなく好きなのでしょうね。中心にいる真風さんはトップであり、その場にいる男役たちの「理想」としてもあり、だからこそトップに従う姿は、ジェンヌさんたちが自らを磨こうとするその姿勢、真剣さの現れとなる。ひきたてることが、彼女たちの美しいプライドとして映える。すばらしい、すばらしいね!以上、雑記でした。おさわがせいたしました。



追伸です:「それ(周囲のトップを引き立てる振り付け)でトップの方がカッコよくなるのは必然」と書きましたが、本当はかっこよくなるしかない状況に立って、その何倍もかっこよく見せることは並大抵のことではなく、さらにそれをショーとして成立させるのは、まさしく宝塚のトップスターとしての技であると思う。ここは「トップだからこその必然」であり、「それこそがトップである理由」とも言えるかと思います。