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第四回文学フリマ京都に参加してきた。

第四回文学フリマ京都に参加した。
僕が出した作品とかの説明は、まあしなくてもいいでしょう。と言いながら、通販のリンクはこっそり貼っとく。

いやあ、しかし文フリ京都は他の文フリイベントに比べて熱気が少ない気がする。悪い意味じゃなくて、みんなお上品に過ごしているような気がする。それは、良くも悪くもである。学生団体なども多く、熱気の量としては強くなりそうな気がするのだが、どことなく平静だ。土地柄なのかどうかはしらないけれど、僕はわりと一般参加者の人と喋ったりもしたいタイプだ。喋ってくれるなというタイプの人間がいるのは分かっているが、自分から声をかけて手に取ってもらうのと、放っておいて作品を手に取ってもらうのとでは、多少意味合いが違ってくる気がする。文学フリマに限らず、こういった同人誌即売会というのは声かけというのは、わりと嫌がられる傾向にある気がする。それでも僕は声かけをする。というのも、こういった場であればこその交流みたいなのを楽しみたいからだ。ただ自分の作品を売りたいわけではない。あくまでも頒布したいのだ。その為には、会話というのはあってもおかしくないと僕は思う。
確かに印刷代は回収したい。回収するには本をどんどん売り続けなければならない。わかっている。でも僕は同人誌を売ってお金を儲けたいわけではない。次回のイベントで余った同人誌を頒布して売り上げを回収したっていいじゃないか。それより僕は人と人の繋がりを大切にしたい。それに、直接お話することによって、手にとってくださった人のことを覚えやすくなる。今日も一人、なんだか見たことがあるような気がするけど、気のせいかな、どうかな。と思った方がいた。作品を手に取ってくれて、新刊を買っていただけた。
その時に、「ネットとかで見てくれたんですか?」と聞いたら、フォロワーさんだった。とはいっても、以前お会いしたのは一年前の文フリ京都。それにTwitterでもそんなに絡みはない。でもなんとなくでも覚えていた。それは人の顔を覚えるのが苦手な僕にとっては快挙だった。そんな僕がなぜその人の顔をなんとなくでも覚えていたのか? きっと以前の文フリ京都の時にも、お話をしたからだろう。そうやって考えると、声かけだったり積極的に話しかけたりすることが悪いことだとは思えない。
まあこのあたりは、作品を、「売る」のがメインなのか「広める」のがメインなのかの違いなのかもしれない。どちらが悪いとかではないし、どちらが悪いなんてことはないけれど、僕は作品を「広める」にプラスして交流があれば嬉しい。だって文フリ会場ではみなさん、とても楽しそうだから。その人の楽しいの一ページに、僕との会話がもし入っていたら、それはすごく幸せだなあ。なんて思ったりしてしまうのです。

ちなみに今回の参加サークルで通販をしているおすすめさんを載せておきます。興味があれば、ぜひ。


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