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『仏蘭西料理と私』~No17 大人にしてくれた話~【龍圡軒 四代目店主 岡野利男シェフ】

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部隊に赴任したばかりの頃は、幹部だとはいえまったくの小僧っ子で、しかも周囲の幹部は部内叩き上げの大ベテランばかり。陸曹には「幹部なのにそんなことも知らんのか」などと言われながら、部下、後輩を指導する後ろ姿を見せられ、まさに、皆で「大人にしてもらった」小隊長時代でした。あの当時、まだ、私の周りに、メスライオンはいませんでした・・・・。(Y.A)

店に入って2週間目のとき、私がちょっとしたミスをしました。シェフのジェラルドゥ氏はそれを見ていましたが、何も言いませんでした。仕事が終わって、そのことについて話すと、「トシオ、そんなことを私に期待してもらっても困る。君はもう立派な職人なのだから、さっきも自分で気づいて修正していただろ」と。その一言で、何と私は甘えていたのだろうか、と気づかされました。

1年後、弟子のミスで起こしたガス爆発で少し顔に火傷を負い、3日間ほどシェフにストーブ前を替わってもらいました。その仕事の仕方は、いつでも次の仕事に移れるようにと気を配りながら、瞬間、瞬間のどんなちょっとしたことも全力でされるのでした。

ジラルドゥ氏は、ボクシングのアマチュア・ヨーロッパ・チャンピオンだったので、戦時中はイギリスで、将校待遇で、コマンド部隊の教官をしておられました。

ストーブ前でもボクシングと同じように、常に臨戦態勢だったのです。

本当に勉強になり、すぐに取り入れました。仕事の仕方が、本当に代わりました。

Madame Girardマダム・ジェラルドゥは、通称Lionneリオンヌ、メスライオンとあだ名されていました。ご主人が冗談も言わぬ物静かな方だったのに対して、奥様は明るく元気で、気さくに、しょっちゅう私にちょっかいを仕掛けてきました。太陽みたいな方で、店を常に明るい雰囲気にしてくれました。調理場の件で何かあると、ご主人にではなく私に聞き、常に私の下で調理場が動くように計らってくれていました。今思うと、23歳の外国人に、それも調理経験6年の私に託してくださっていたのだと思います。

7月に入ると10月まで休みがなく、スタッフに疲れが見えてくると、従業員を引き連れてサントロッペの有名なディスコのビブロスに乗り込むのです。そして、朝までドンチャン騒ぎをして、そしてサントロッペの漁港のカフェで朝5時に皆で朝食を摂って帰ると、私たちは仮眠をとりましたが、彼女はそのまま洗濯を始めるのでした。

そのメスライオンが妊娠しました。

大きなお腹をして、普段と同じように元気に動き回るのでした。今なら分かるのですが、その頃23歳の私の周りに妊娠、出産した人が誰も居なかったので、知識がないので心配で、心配で、ご主人にも言いましたが、ただ笑っているだけ。毎朝、顔を合わせると、奥様に向かって「寝ていろ」と怒鳴っていました。

入院して2日目に元気な女の子を出産しました。皆でクリニックにお見舞いに行くと、隣の部屋が女優のロミー・シュナイダーさんの部屋でした。「うちのメスライオンの花束の方が多い」と言って、見習いの子が自慢していました。 今は、そのときのお嬢さんがサントンを経営なさっておいでです。


by saiboukenon 2020年5月7日


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