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#先日の余談

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書き直すことがが少なくなってきた。(投稿してから数日は修正追記していますが♪)
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#工芸

「赤穂ギャベおひろめ工房展のご案内」を、ご紹介。

#先日の余談 僕が赤穂と関わり始めたのは、2008年に京都の文椿ビルヂング(三条烏丸西入ル)で開催された「幻の『赤穂緞通』展」からだ。 当時、地図をベースにしたフリーペーパーをつくる仕事をしており、その延長で関わるお店の企画やイベントをお手伝いすることがあって、文椿ビルヂングに入っている「椿ラボ京都」にて開催する展覧会をお手伝いしたという流れだったと思う。 文椿ビルヂングは大正9年に建てられた木造の洋館。三条通りには他にも希少な建築物がいくつか残っており、大正ロマンの名

赤穂緞通最後の織り元は御崎の「西田緞通」(転載投稿)

#先日の余談 「赤穂民報」平成14年8月24日号より転載 同記事が友人のウェブサイトに転載されていたが、最近そのページをクローズしたので記録としてココに残しておきます(承認済)。 冒頭の写真は僕が初めて赤穂を訪れた日に撮影されたものですね。記事とは関係ありません。(2019年9月) 。。。。 「赤穂民報」平成14年8月24日号 赤穂緞通「最後の織り元」西田進一氏逝去 その製造技法が赤穂市無形文化財に指定されている赤穂緞通の制作に永年携わってきた御崎の西田進一氏が今年5

シンポジウム「We−工芸から覗く未来」に行って来たので備忘録としてのメモ書き。

#先日の余談 2019年9月1日、京都国際マンガミュージアムにてそのシンポジウムは開催された。主催は京都精華大学の伝統産業イノベーションセンターで、僕の母校にあたるが、通っていた当時(1991〜95年)から伝統産業との関わりがあったと話されていた。当時は接点もなく記憶にないが、手漉き和紙を作れる施設もあって、ゼミ生でもないけど遊びに行っていたけどね。(先生は三嶽伊紗さんだった記憶) シンポジウム「We−工芸から覗く未来」は三部構成となっており、まずは最近耳にする「持続可能

数千年前の銅鏡から始まって、ひたすら和鏡を磨くのは山本合金製作所の五代目鏡師

#先日の余談 銅鏡(どうきょう) その歴史は古く中国の「商(殷とも呼ばれる)」の時代から始まったとされている。殷墟時期(紀元前1300年?今から3000年以上前の話)の遺物に青銅鏡らしいものが発見されているという。日本国内では数百年遅れて弥生時代から古墳時代にかけて、三角縁神獣鏡などの遺物が多く発見されている。(紀元前900年〜紀元後600年?あたり) − Wikipediaなど参照 ちょうど半年ほど前に発足したとある部活動(まちなか美術工芸部)の「祈る銅鏡」というイベン

「インクルーシブデザイン」という発想 排除しないプロセスのデザイン

#先日の余談 【備忘録】京都の文化・産業の魅力を持続的に発信する障害のある方の「ものづくり」&「デザイン」のチカラの続きである。 エキストリームを理解するとメインストリームにつながる ロイヤル・カレッジ・オブ・アート(Royal College of Art:RCA)の上席特別研究員であるカセムさんは、ヘレン・ハムリン・センター・フォー・デザイン(Helen Hamlyn Centre for Design)にも関わっておられるようで、2000年に始まったカレッジワーク

【備忘録】京都の文化・産業の魅力を持続的に発信する障害のある方の「ものづくり」&「デザイン」のチカラ

#先日の余談 2019年3月13日に開催された京都市・市民フォーラムにふらっと寄ってみたんだけど、面白い話が聞けた♪ 特に印象に残っているのが、ジュリア・カセムさんが行っている「インクルーシブ・デザイン」への取り組みと、ディスカッションの中で少し触れられた障害者が作った商品を購入する人が「誰が作ったのか知ることで生まれることと、知らないことで生まれること」の見解と相違であった。 今回のフォーラムへの登壇者は障害者に関わる組織の代表や研究者だけであった。今回のフォーラムの

太陽の塔の内部潜入がオマケになったのは、先に「みんぱく(国立民族学博物館)」に行ってしまったから♪

#先日の余談 「太陽の塔」は岡本太郎氏がデザインした1970年アジア初の万国博覧会のシンボル。今もなお、大阪・吹田に遺構のように佇んでいる。僕が生まれたのは1971年なので万博は知らないのだけれど、高速道路(中国自動車道)から「太陽の塔」が見えてくると吹田に着いたと知らせてくれる目印のようであった。 岡本太郎氏は“芸術が爆発だ!”というフレーズの当人である。TVメディアでの使われ方の影響だろうか、天才で掴みどころのない芸術家というイメージが先行しているけれど、彼の著書『今