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流川くんは深夜に自転車でラブホテルなんか行かないぞ

寝る前に激しい運動はしないほうがいいという。

でも、その日にやるべきことを完全に片付けてからじゃないと、どうも運動モードに切り替わらない。

結局、マラソンに出るのが深夜帯になってしまう。それで寝付きが悪くなる。もはや身体に良いのか悪いのかわからない。

僕は週に一度マラソンをする。かれこれ15年くらい。

もちろん、これは盛った年数だ。

風邪気味、疲れてる、忙しい、なにかに理由をつけてよくさぼる。さぼりさぼり15年だ。

梅雨の時期、文字通り雨上がりの夜空を仰いで家を出ると、星が輝いていた。夜風が涼しくて気持ちがいい。

今日は結構走れそうだなと察知し準備運動を済ませ走り出す。一時間くらいダラダラ走る。

後半、そろそろ家が近づいてくる頃、時刻はもう深夜1時30分頃くらいだろうか。

オレンジ色の街灯が、濡れた道路の水たまりを照らす中を走りながら、ふいに屁が出そうな気がした。

走りながら周囲を見渡す。前後左右、車一台さえないことを確認した紳士の私は、豪快に放った。

深夜の公道で本気でおならをしたことがある人はどれくらいいるだろう。見事に音が反響する。深夜の公道で本気でおならするあるあるの一つに数えられている事象だ。

そのときだった。

ガチャン

と音がした。

横に目をやると、自転車が目に入った。

やばい。

聞かれたか。

車道を挟んで反対側の歩道に、僕が走る方向と同じ向きの自転車が、右目後方の視界にわずかに入った。

キッ!とそちらへ目をやると、オシャレなスエットパンツに薄地のパーカー。小洒落たクロスバイクで、軽く漕いでるように見え、ものすごくスピードが出ている。

あの速度を考慮すると、私の屁の頃には、おそらくその音が届いてなかったであろうと勝手に推察する。

年にして22、23歳であろうか。おじさんになると、20歳も25歳も違いがまるでわからなくなる。

高校2年生のときには、例え他校の生徒であっても一個下、タメ、一個上と、正確に見分けることができた。今思うとあれは、不思議な妖術だ。

クロスバイクの彼は、古い例えで言うなら、そう、スラムダンクの流川楓。その若者は、どこか流川くんのような雰囲気で、颯爽と深夜の道を漕いでいた。

彼は全くこちらの気配に感じていないかのように走り抜け、あっという間に姿が見えなくなっていった。人生の距離もつけられたような気がした。

その後もヒタヒタ走っていると、反対側の歩道に人影が見えた。

マンションらしき入口から、2台の自転車が通りに出てきたところのようである。

一人は女の声だ。若い。なんかかわいいっぽい。

男の「なんかかわいいっぽい」レーダーの精度は高い。例え暗がりでよく見えなくとも、正常に機能する。これもまた、男のみがもつ妖術だ。

この精度を確かめるべく、その二人が街灯の下に差し掛かるあたりで、視神経を全集中する。

やっぱり、かわいいっぽい。

で、もう一人は。

男だ。

あれ。

さっきの流川くんだ。

流川くんは、女を迎えにいってたのか。

ふーん。

事故りやがれ。

壱の型 水面斬りを喰らわせようと思ったそのとき、ふと思った。

ちょっと待て。

今からどこ行くの?

もう深夜2時前だよ。

平日だよ。

壱の型を戻し、冷静に考える。

この時期この時間帯、飲食店もカラオケもやってない。コンビニすら閉めてるところがあるくらいだ。

ラブホテルか。

ラブホテルに自転車で行くやつをあまり知らないが、ここから一番近いラブホテルを考えても、結構な距離だ。

自転車でゼーゼーしながらラブホ入ってヒーヒー言わすのか。流川くんはそんな子じゃない。

じゃあどこへ行くのか。

海がある県なら、「ちょっと行こうか」なんて、フラッと海岸へ行ったりすることもあるやもしれんが、ここは埼玉県だ。残念だったな。

お前らの愛を育む海も波音もないんだよばかやろう。あるのは時代遅れのバイクの轟音くらいだ。

釣りか?

そんな川もない。

運動か?ダンスの練習か?

どれも違うような気がする。

漫才の練習か。コンビなのか。

どんどん違うほうへ想像が膨らんでいく。

友人宅に行くのかな。

深夜2時に?自転車で?

その場合、先方は男か女か。

それによっていろいろ話も変わってくるから、そのあたりしっかりしてもらわないと。

そもそも二人は恋人同士なんだろうか。

言われてみるとそんな雰囲気もなかったような気もしてくる。

でも流川くんって恋人にもそういう態度見せなそう。

でも、恋人じゃなかったらいよいよ迷宮入りだ。あとはもう漫才コンビくらいしか。

思わずあとをつけてみたくもなったが、おじさんがどれだけ全力で走ったところで、若者の自転車にストーキングするのは不可能だ。

そうして二人は埼玉の夜に溶けていった。

家の近くに着き、整理体操をする。

整理体操ってなんだかいやらしい響きだな、とニヤニヤしながら家に入ると、住民税の納付書が目に入った。

明日税金払ってこよう。

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