評価されない人は自分のパッケージング方法がわかっていないだけ
江頭2:50氏が、YouTube開設からわずか9日間で、チャンネル登録者数100万人を突破した。
奇しくも盟友の草彅剛氏も、同日に100万人突破となった。
江頭氏は、わずか9日間という驚異的なスピードで達成したが、この記録はなんと、個人ランキングでは国内第1位。
2位の本田翼は18日間、3位の中田敦彦氏は138日間となっている。
可愛さも勉強も凌駕したのが、「お笑い」だった、というのが実に痛快である。
(グループも含めると、嵐の、1日で100万人突破が1位)
いっぽう、草彅氏はここまで来るのに、約2年という歳月を要した。
ネットの数字で人の価値を判断するようになって久しいが、その理屈でいえば、今のところ日本で一番凄い芸能人は、江頭2:50ということになる。
草彅剛氏においては完全に格下。影響力もタレント力も人間としての凄さも、全て江頭氏の方が上だと判断するのが、現代社会における価値観の判断基準である。
もちろん、実際は違う。
江頭氏にはなく、草彅氏にあるものの方が実際は多いだろう。国民的アイドルとして、20年以上人々を魅了してきた功績は永久に消えない。
そもそも江頭氏は、ニコニコ動画やBeeTVなど、これまでいくつものインターネットメディアで活動してきている。
しかし、今回ほどの反響を得るにはどれも至ってはいない。
もし江頭氏が本当に凄い人物なら、どのメディアでなにをやっても、今回のような反響を得られるはずだ。
つまりは、「エガちゃんねる」というフィールドが、彼の魅力を最大限に引き上げることに成功した、ということなのだ。
人が潜在的に見たいと思っていたものを、見事に形にできたゆえの結果である。
僕は20代の頃音楽業界にいたが、今のA&Rは、ネット上の数字を見てデビューさせるかどうかを決めるという。
そんな作業なら、その辺の女子高生にもできることだ。
エガちゃんねるの成功は、制作スタッフらの勝利であり、TV局の怠慢でもある。本田翼以上の反響を獲得できる人物を、放置し続けていたのだから。
だからこそエガちゃんねるのスタッフらは、大いに儲けてほしい。今や彼らは、局に雇われる以上の収入を得ているに違いない。
一時期なら「ネットは規制が緩いからなあ」という言い訳も使えたが、今のYouTubeはTV並に規制が厳しい。
今後、優秀なディレクターはどんどん独立し、TVから漏れているタレントに声をかけ一日100万単位の稼ぎを叩き出す人が増えてくるかもしれない。そのときが、本当のTVの終わりの始まりだ。
人が輝けるステージは、千差万別である。
昔は、戦う場所がとても限定的であった。
生き方もそうだ。
何本かのレールがあり、そのいずれかにいち早く上手に乗れたものが勝者であり、乗れなかったものは一生その勝者らの使い走りとなる。
今は戦い方も生き方も無限大であるため、一つの価値観で自分という存在意義を決めてしまうと、自分で自分を勝手に狭めて、息苦しくさせてしまう。
僕はTwitterを2018年の11月に始めた。
一年ちょっと経過し、現在、フォロワーは390人と実に微小。
YouTubeは2019年の12月に始めた。
このYouTubeチャンネルは、映像もなくテロップもなく、音声だけ。
しかし開始から一ヶ月ちょっとで、チャンネル登録者数がTwitterのフォロワー数と並んだ。
100万人なんたらという話と比較すれば小粒な話で恐縮だが、自分一人を例に取ってみても、TwitterとYouTubeで反応が違うことがわかる。
例えばなにかの会議があったとして、
「名もなきただのおじさんの雑談を、YouTubeで配信しよう!」
ということになって
「それはいい!」
と膝を打つものは、一人もいないだろう。
人の魅力は、見る角度を変えればいかようにも様変わりする。
その魅力のどこを取り出し、どのように包むかで、世間の反応も変わるのだ。
全体的に取り出すのか、局所的に取り出すのか、それをキレイな包装紙に包むのか、新聞紙で包むくらいがちょうどいいのか。
これは、インターネットやSNSに限らず、仕事にしてもなんにしても、人が輝ける場所は1つとは限らない。
なければ自分で作れてしまうところが、今の時代のメリットだ。
「評価が得られない」という人は、自分の魅力のパッケージング方法がわかっていないだけ。
そもそも人は、自分の魅力には気づけない。
現に今、あなたは自分の後頭部を見ることができない。
しかし、他の人はあなたの後頭部を見ることができる。
あなた以外の誰もがいとも簡単にできることを、あなただけができない。
鏡を使えば見える?
ならば、3m離れたところから自分を見ることはできるだろうか。上からは見れるか。下からは見れるか。
他の人はできる。階段の上から、あるいは下から、あなたを見ればいいだけの話。
鏡に映っているあなたは、ごく一部のあなたに過ぎない。つまりあなたは、鏡に映る平面的な自分しか知らない。
だからこそ、第三者意見が非常に重要になるが、自分のことをどう思うかを、真剣に答えてくれる大人はいない。
成功者の言を見ていると、得てして、いい先輩や上司、年長者に恵まれている人であることがわかる。成功への志しが高いから、魅力的な年長者を引き寄せている、ともいう。
実際は、多くの人が凡人だ。向こうがあなたを興味深い人物と捉えていない限り、得られる回答は当たり障りのない言葉で、聞くに値しない。
では、自分の魅力とは、どのようにして見つけるべきなのか。凡人は、どのように戦うべきなのか。
凡人は凡人らしく、成功や勝利を夢見ずに生きていくべきなのだろうか。
そんなことはない。
凡人には凡人の戦い方というのがある。
自分の魅力を明らかにするのは、世間の需要である。
自分には、何が求められることが多かったか。
これまでの人生を振り返って、よく思い出してみてほしい。
もちろん、求められるものというのは、自分がやりたいことではないことの方が多い。
なのでその需要に対して、自分の「やりたいこと」をすり合わせる必要がある。
世間の需要を受け、自分のやりたいことをすり合わせる唯一の方法が、「手数」だ。
フィールドがこれだけ分散化した今、どれだけ優れているものでも、誰かに見つけてもらうことは容易ではない。
「この砂浜のどこかにダイヤモンドが2~3個紛れてます。見つけたら差し上げますので、よかったら探してみてください」
と言われても途方に暮れる。
かといって、先述したように的確なアドバイスを見返りもなくくれる人など、滅多にいない。
「世間は貴様らのお母さんではない!」と利根川幸雄の言葉にもあるように。
なので、砂浜を自分で覆い尽くすほどの圧倒的物量を見せてやればいい。
そうして続けていると、人は必ず学習する生き物なので、例え闇雲な方法論であっても、無意識的に軌道修正するものだ。
これこそが人を成功へと導く、原体験からのみ得られる財産となる。
どんな本やサイトからも得られない、自分にだけ有効な成功の秘訣だ。
そのためには継続力が不可欠になる。だからこそ自分の「やりたい」を、マシンガンのようにぶっ放すのだ。
すぐに弾切れになるようなことならば、それはさほどやりたいことではなかったと判断すべきだろう。
圧倒的物量で放ち続けていると、必ずそこに、自分の「やりたいこと」と「世間の需要」が重なる部分が出現する。
それが出現しないのは、手数が足りないからである。すぐに止めてしまうからだ。
天才でもスターでもない限り、常に注目されている魅力的な人物でもない限り、圧倒的物量を放出しないといけない。
この世に生を受けた以上、選ばれたことには違いないわけで、綺麗事を抜きにしても、人には必ず何らかの魅力がある。
問題は、それをどのように見出し、梱包するか。
そしてそれを、生きている間にいくつ発見できるかどうか。
誰が受け取ってくれるかは、全くわからない。
大事なのは、全力でぶつけること。
江頭2:50が、そうであるように。
サポートしてくれたら今日は「麦とホップ」から「エビスビール」に変えます。本当にありがとうございます。