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現憲法下での水際対策の瀬戸際

 コロナ禍における国民の不満が最後に行き着くところ,”水際対策”については,まず出入国管理及び難民認定法(入管法)に基づく措置が取られ,次に検疫法に関係した措置が取られている。
 この二段構えの水際対策は,前者は外国人のみを対象とするが,後者は外国人だけでなく外国から帰国する日本人をも対象とする。そのため,憲法との関係を考えるには,段階的に分けて検討する必要があり,後者の検疫法に関係した措置において憲法上の問題が大きい。

【入管法に基づく”水際対策”】 
 対コロナ水際対策は,令和2年2月1日,入管法に基づく措置を新たに取ったことに始まる。
 入管法の所管は法務大臣であるが,令和2年1月31日,他省庁との連携が必要なため,全閣僚の同意による閣議了解によって,翌日以降,武漢市を省都とする湖北省から入国する外国人(中華人民共和国国籍に限らない。)を,入管法第5条1項14号に基づく入国拒否の対象とする旨を決定した。なお,例え武漢市に住んでいたとしても,日本人は,当然,対象外。

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 この入管法に基づく措置は,令和2年1月31日,総理官邸で開催された第2回新型コロナウイルス感染症対策本部でその方針が決定され,第3回同本部にて,その具体的な内容が決定された。

 第3回新型コロナウイルス感染症対策本部における安倍総理の以下の発言のうち,「感染が確認できない場合についても、前例にない対応ではありますが、入国管理を大幅に強化することといたしました。特に、無症状にもかかわらずウイルスの陽性反応が出た人がいるという事実を踏まえ、水際対策の実行性を一層高め、感染拡大の防止に万全を期す」との部分は,いみじくも,コロナ感染症の特殊性と,それに対抗すべき現行憲法を頂点とした法制の脆弱性が,対策の冒頭から既に政府を悩ましていた事実を示している。

「本日未明、新型コロナウイルスに関連した感染症について、WHO(世界保健機関)が国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態、PHEICを宣言いたしました。これを受け、国内における感染の拡大を防止するため、新型コロナウイルスに関する感染症を、感染症法上の指定感染症に指定することにつき、その施行を前倒しし、明日2月1日から施行することといたしました。これにより我が国に入国しようとする者が感染者である場合には、入国法の規定により入国を拒否いたします。同時に、感染が確認できない場合についても、前例にない対応ではありますが、入国管理を大幅に強化することといたしました。特に、無症状にもかかわらずウイルスの陽性反応が出た人がいるという事実を踏まえ、水際対策の実行性を一層高め、感染拡大の防止に万全を期す観点から、当分の間、入国の申請日前14日以内に湖北省における滞在歴がある外国人又は湖北省発行の中国旅券を所持する外国人については、特段の必要がない限り、入管法に基づいて、その入国を拒否することといたします。今後、手続きを進め、指定感染症の施行と同じく明日2月1日午前0時から効力を発生させるものとします。
 WHOが緊急事態宣言を発出したように、感染が国際的広がりを見せるなか、日本国内の感染防止に政府の総力を挙げる必要があります。今後とも何よりも国民の命と健康を守ることを最優先に、前例に捉われることなく、先手、先手の対応を進めてください。」

【出入国管理及び難民認定法第5条1項柱書と同項14号
 出入国管理及び難民認定法(入管法)第5条1項柱書は「次の各号のいずれかに該当する外国人は,本邦に上陸することができない。」と規定する。
 「次の各号」の一つとして同項14号は,上陸が禁止される外国人の例として「法務大臣において日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者」と規定している。
 日本の水際対策のスタートは,湖北省から日本に入って来る外国人を,この入管法第5条1項14号に該当する外国人とし,入国拒否の対象としたことである。

(上陸の拒否)
第五条 次の各号のいずれかに該当する外国人は、本邦に上陸することができない。

十四 前各号に掲げる者を除くほか、法務大臣において日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者

 そもそも外国人を自国に入国させるか否かについては,いかなる国においても広い裁量権が認められている。そのため,入管法第5条1項14号は,日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがある外国人に該当するか否かの判断を,法務大臣の広い裁量に委ねている。
 しかし,同号は規定上「公安を害する行為を行うおそれがある外国人」ととあり,裁量判断とは言え,この条項の文言を無視することは法治国家では違法となる。規定上は,本来はテロリストなどを想定しているが,感染症を例にすると,パンデミック映画のように,既に症状が出て,高熱で咳が止まらないような外国人,あるいは感染していることを認識しながら「感染拡大させてやろう」という意図がある外国人がこの範囲に入ってくる。
 ところが,水際対策として新たに定めた「湖北省など感染が拡大している特定の外国・地域から来た外国人」という定義には,ウィルスが体内にゼロの者も含まれる。これらの者は「公安を害する行為を行うおそれ」が客観的にはゼロである。本来「公安を害する行為を行うおそれがある外国人」に該当すると解釈するのは困難なはずである。
 それにも関わらず,湖北省など特定の感染拡大国・地域から来たという理由だけで,これらゼロリスクの者をも含め全ての外国人が「公安を害する行為を行うおそれ」があるとして入国を拒否する措置は,入管法5条1項14号により行政(法務大臣)に認められた裁量権の範囲を逸脱し,入管法に違反すると判断される可能性がある。
 もっとも,これは,入管法5条1項14号に違反するか否かという法律レベルでの問題にとどまり,外国人の入国については国家に広範な裁量権が認められていることもあって,憲法上の問題となる可能性は低い。

【「特段の事情」による例外】
 この入国拒否には例外があって,それが水際対策のなかでも特に世論の批判を浴びている「特段の事情」による入国許可である。
 令和3年6月1日現在,原則入国が拒否されている外国人は,アメリカ,中華人民共和国,大韓民国及び欧州各国など100カ国に拡大されているが,「特段の事情」による入国拒否の例外は残されたままである。
 外国人の日本への入国については,芦部信喜「憲法〔第7版〕」岩波書店95頁でさえも,次のように書かれており,日本国憲法で保障された権利などではない。

 入国の自由が外国人に保障されないことは,今日の国際慣習法上当然であると解するのが通説・判例(最大判昭和32年6月19日)である。国際法上,国家が自己の安全と福祉に危害を及ぼすおそれのある外国人の入国を拒否することは,当該国家の主権的権利に属し,入国の拒否は当該国家の自由裁量によるとされている。

 この定説を前提にすれば,感染が拡大している外国・地域からの外国人の入国を,「特段の事情」による例外なく,一切拒否することも,憲法で禁止されてはいない(入国後の外国人の権利は別)。
 その意味で,政府(法務大臣)の権限として「特段の事情」による例外を残したのは,憲法違反回避や外国人の”人権”への配慮のためではなく,単なる政策上の理由である。
 これは,次にみる検疫法に関係する措置が法律に根拠がない「要請」に止まるのに対し,行政による解釈を前提にした入管法という法令に基づく処分である。その例外も法律の根拠がなければならない。その意味で「特段の事情」は,仮に入国拒否対象の地域・国からの外国人であっても,経済人,オリンピック選手,IOC役員など,日本としても入国を認めざるを得ない者のために,法的拠所を残したものと言える(別の方向で運用もされてはいるが)。

【検疫法に関係する水際対策】

 入管法に続く第二段階の水際対策は,検疫法に関係するもの。
 検疫法に関係する措置は,「特段の事情」により入管法に基づく入国が例外的に認められた外国人だけでなく,日本人も対象となる。
 漸次,追加及び変更がなされているが,令和3年6月20日現在で取られているは以下の3措置。

①検査証明書の提出
②検疫所が確保する宿泊施設での待機(及び検査の実施)
③誓約書の提出

 実は上記①②③のいずれについても,入管法や感染症法はもちろん,検疫法にも明確な法的根拠が存在しない。
 法的根拠なく,検疫法に関係して行われる①②③の措置は,日本国憲法のうち特に第31条に違反する可能性が生じるものである。

第三十一条
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。

 そうかと言って,法律で定めさえすれば,いかなる水際対策の措置も憲法上問題が生じないかは別で,その法律が憲法に違反しないかが次に問題になってくる。
 非常・緊急事態に取りうる立法や行政措置の内容や程度については,それが人権(私権)の制限を手段とするものであるため,憲法に「国家緊急権」に関する規定が存在するか否かにより,その許容範囲が変わってくる。

【国家緊急権】
 「国家緊急権」については,少し古いが,平成15年2月に衆議院憲法調査会事務局が作成した「非常事態と憲法」に関する基礎的資料がよくまとまっている。

 非常事態において国家が取り得る権能は,憲法学で「国家緊急権」と呼ばれ,一般に「戦争・内乱・恐慌・大規模な自然災害など,平時の統治機構をもっては対処できない非常事態において,国家の存立を維持するために,国家権力が,立憲的な憲法秩序を一時停止して非常措置をとる権限」と定義されている(芦部信喜「憲法〔第7版〕」岩波書店388頁)。
 国家緊急権の具体的な表れとして,緊急事態において国家が取りうる権能は,以下の三類型に分類されるという。

①平時の立憲体制の範囲内における臨時的かつ一時的な統治機構・作用の変更としての緊急権
②憲法上,憲法秩序の一時的な停止の要件,一定条件下における一国家機関による独裁的な権限行使等を認める緊急権
③憲法秩序の全面停止又は否定の上に超憲法的な独裁的権力の行使を認める不文の緊急権

【①の例】 
 ①については,憲法の範囲内で,法律にない又は法律に反する措置を,非常事態あるいは緊急事態を理由に例外的に取るもので「超法規的措置」もその一つ。
 前述のように,入管法第5条1項14号の規定を「本邦への上陸の申請日前14日以内に中華 人民共和国湖北省における滞在歴がある外国人及び同省において発行された同国旅券を所持する外国人については、特段の事情がない 限り、出入国管理及び難民認定法第5条第1項第 14号に該当する外 国人である」と解釈・運用し,当該外国人の入国を禁止することがこれに該当する。
 また,歯科医師にワクチン接種のための筋肉注射を認めたもこれに当たる。筋肉注射については,医師法17条に「医行為」に該当するため,これを歯科医師が行うことは医師法17条に違反するが,必要な医師や看護師等が確保できないことを理由に特設会場におけるワクチン接種が実施できないような場合においては,「違法性が阻却される」との判断のもと,これを厚労省が実施すること(下掲資料参照)もこれに該当する。
 ①は法律レベルの問題で適法,違法の問題は生じるが,憲法違反の問題は生ぜず,その意味で憲法の問題ではない。

【③について】 
 ③については,例えば軍事クーデターで,憲法自体が破棄されうるもの。もはや憲法上の問題ではなくなる。

【②について】
 そのため,憲法上問題となるのは②である。
 ベトナムやヨーロッパなど諸外国で取られているような,国民の外出を禁止,企業の経済活動をも禁止して,これに違反した者を逮捕,刑事罰を科す文字どおりのロックダウンがこれに該当しうる。
 これらな措置が憲法に違反しないか否かについては,憲法が非常時・緊急時に認めている私権制限の内容・程度の問題と言い換えることができる。
 当然,その内容・程度の広狭は,②の意味での「国家緊急権」を憲法に明記しているか否かに比例する。
 その比較の好例が,実は日本自身の憲法の改正前と改正後にみることができる。

【大日本帝国憲法】
 明治22(1889)年の2月11日(当時の紀元節,戦後の建国記念の日)に公布された大日本帝国憲法(帝国憲法/明治憲法)には,以下のような「国家緊急権」を具体化した国家機関の権能が規定されていた。

第8条(いわゆる緊急勅令制定権)
天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル為緊急ノ必要ニ由リ帝国議会閉会ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ勅令ヲ発ス
2 此ノ勅令ハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出スヘシ若議会ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ将来ニ向テ其ノ効力ヲ失フコトヲ公布スヘシ
第14条(いわゆる戒厳令)
天皇ハ戒厳ヲ宣告ス
2 戒厳ノ要件及効力ハ法律ヲ以テ之ヲ定ム
第31条(いわゆる非常大権)
本章ニ掲ケタル条規ハ戦時又ハ国家事変ノ場合ニ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ
第70条(いわゆる緊急財政措置)
公共ノ安全ヲ保持スル為緊急ノ需用アル場合ニ於テ内外ノ情形ニ因リ政府ハ帝国議会ヲ召集スルコト能ハサルトキハ勅令ニ依リ財政上必要ノ処分ヲ為スコトヲ得
2 前項ノ場合ニ於テハ次ノ会期ニ於テ帝国議会ニ提出シ其ノ承諾ヲ求ムルヲ要ス

 例えば,関東大震災時,帝国憲法第8条1項に規定する緊急勅令により”戒厳”が布かれた。これにより,戒厳対象地の行政権と司法権が陸軍所管の関東戒厳司令官に移譲され,関東戒厳司令官の権限で,報道の自由や居住移転の自由などの私権が制限された。これは上記②に該当するものである。
 なお,帝国憲法第8条に規定する緊急勅令や,同第14条の戒厳令の実際の運用の詳細については,下掲の記事をご参照。

【日本国憲法下における国家緊急権】
 帝国憲法第73条に規定する改正手続に基づき,昭和21(1946)年10月7日,第90回帝国議会(臨時会)でその改正案が可決された。その帝国憲法の改正版が,日本国憲法として同年11月3日に公布,昭和22(1947)年5月3日に施行され,現在に至る。
 日本国憲法には「国家緊急権」を明記した条項は存在しない。
 改正により明文がなくなった現行憲法下において,国民を襲う非常事態・緊急事態が発生した場合に,他方の国民の私権を制限する立法あるいは行政措置はどの範囲で許容されるのか。
 すなわち「現行憲法下における緊急事態立法の可否」とういう論点について,昭和 50年5 月14 日開催の衆議院法務委員会で当時の法制局長官は,以下のように答弁している。

 現行憲法のもとにおいて非常時立法ができるかというお尋ねでございますが、非常時立法というものにつきまして、もともとこれは法令上の用語ではございませんから明確な定義があるわけではございませんけれども、まあわが国に大規模な災害が起こった、あるいは外国から侵略を受けた、あるいは大規模な擾乱が起こった、経済上の重要な混乱が起こったというような、非常な事態に対応いたしますための法制として考えますと、それはあくまでも憲法に規定しております公共の福祉を確保する必要上の合理的な範囲内におきまして、国民の権利を制限したり、特定の義務を課したり、また場合によりましては個々の臨機の措置を、具体的な条件のもとに法律から授権をいたしまして、あるいは政令によりあるいは省令によって行政府の処断にゆだねるというようなことは現行憲法のもとにおいても考えられることでございまして、現に一昨年の11 月に国会で非常に多大の御労苦を願いまして御審議いただきました国民生活安定緊急措置法というものがございます。…また古くは、災害対策基本法の中で、非常災害が起こりました場合に、財政上、金融上の相当思い切った措置を講じ得るようになっておりますが、これもそのたびごとに政令をもって具体的な内容を規定いたすことになっております。
このように、現憲法のもとにおきましても特定の条件のもとにおいてはこのような立法ができることは、すでに現在先例を見ていることから言っても明らかでございまして、いわゆる非常時立法と申すものにつきまして、一定の範囲内においてこれを制定することができることは申すまでもないと思います。もちろん、旧憲法において認められておりましたような戒厳の制度でございますとか、あるいは非常大権の制度というようなものがとれないことは当然のことでございますし、また、現段階において全面的な広範な非常時立法を考えているというような事態はございませんことを申し上げておきます。

 要するに,現行憲法下でも,第13条に規定する「公共の福祉」を根拠に,非常時を理由とした立法等は可能ではあるが,同時にそれが限界というもの。これは,私権に対する立法又は行政による規制は,私権の行使や追求が「公共の福祉」に反する場合に限って憲法上許容されるという理論である。
 しかし,現行憲法第13条の「公共の福祉」は,非常時や緊急時に備えた特別の規定ではなく,通常の(平時における)立法や行政措置における私権制限の一般的な根拠に過ぎない。

第十三条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

 例えば,甲さんが外出して自由に行動することは,典型的な私権の行使である。この行為を立法や行政措置で禁止することが憲法で許されるのは,甲さんの行為が「公共の福祉」に反する場合に限られる。
 仮に甲さんが38度以上の高熱で咳も止まらないという症状が実際に出ているのであれば,甲さんの外出の自由(私権行使)を認めると「公共の福祉」に反するとも言えるため,その外出を禁止する(違反したら刑事罰)法令や行政措置は憲法に違反しないと判断される可能性はある。
 これに対し,感染拡大防止という社会的な要請があったとしても,甲さんが無症状で全くの陰性の健康体である場合には,甲さんの外出行為が感染を拡大させる可能性は客観的にはゼロ。その場合にも外出行為が「公共の福祉」に反するか?と問われると,それは否定されると思う。そのため,感染拡大防止という,甲さん自身に起因しない社会的な理由で健康体の甲さんをも含めて全ての者の外出を禁止する(違反したら罰則)法令や行政措置は,「公共の福祉」を超える私権制限として,現行憲法下では「違憲」と判断される可能性がある。

【内閣憲法調査会での多数意見】
 現行憲法下で,つまり憲法改正することなく,この「公共の福祉」という一般的な私権制限の根拠を超えて,非常事態あるいは緊急事態を理由とした広範な私権制限が認められるか?というのが,このコロナ禍で注目を集めることになった憲法問題である。
 この憲法問題は実は古く,前掲「非常事態と憲法」に関する基礎的資料13頁以下にも,昭和31(1956)年6月11日に内閣に設置された内閣憲法調査会において「非常事態に関する規定を設けるべきか否か」が検討課題として取り上げられている。
 その議論の概要は下記のようなもので,多数意見は,現行憲法を改正し,緊急事態規定を憲法に明記する必要があるとしている。
 このコロナ禍で国が取った立法及び行政措置は,この多数意見の範囲を超えていないものの,やや現行憲法下での限界を超えた感がするものである。

 その議論においては、非常事態に対処するために何らかの措置を講ずる必要があるという点について全委員の見解は一致したものの、これを憲法に明記すべきか否かという点については、見解が対立した。すなわち、緊急事態規定を憲法に明記すべきとする見解は、明示の緊急規定がなければ必要な措置を講ずることができない又は政治的に著しく困難であるとするのに対し、緊急事態規定を憲法に明記する必要なしとする見解は、①不文の原理、②必要性の原則、③公共の福祉を根拠として、緊急事態に対処するためやむを得ず必要な場合には内閣又は国会が適宜の措置を講じ得るというものである。
また、緊急事態規定を憲法に明記すべきとする見解においては、その規定
方法について、二つの意見が見られた。

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【検疫法に関係する水際対策】 
 前に述べたように,入管法に続く第二段階の水際対策は検疫法に関係する以下の①②③措置。これは「特段の事情」によって入管法に基づく例外的な入国が認められた外国人だけでなく,帰国する日本人も対象となる。

①検査証明書の提出
②検疫所が確保する宿泊施設での待機(及び検査の実施)
③誓約書の提出

 上記①②③のいずれについても,入管法や感染症法はもちろん,検疫法にも明確な法的根拠が存在しない。そうかと言って,これらの措置を「強制」する立法をしたとしても,その法令は,「公共の福祉」という弱い私権制限根拠しか認めていない現行憲法下では,違憲と判断される可能性が出てくる。
 そのため上記①②③の措置は,法令で(刑罰などをもって)私権制限を強制するのではなく,行政機関による「要請」にとどめ,法律や憲法との抵触を回避しようとしている。
 しかしながら「要請」に従わない場合の行政側の対応によっては,強制的に私権を制限する効果を発生させ,憲法上の問題が生じるものがある。
 それが【①検査証明書の提出】である。

【①検査証明書の提出】
 令和3(2021)3月19日以降,外国人であれ,日本人であれ,またどの外国からであっても,日本へ入国にするためには,出国前72時間以内に行った「検査証明書」を検疫所に提出することが求められている。

検査証明書(サンプル)

 有効な検査証明書が提出できない場合について,厚労省は「検疫法に基づき、日本への上陸が認められないことになります。」としている(下掲参照)。

検査証明書(運用)

 こうなると検査証明書の提出は単なる「要請」にとどまらない。
 例え日本人であっても,厚労省が定める要件が完備された検査証明書が摘出できない場合には,母国日本への入国が拒否され,出国して来た”外国”に送還されることになる。このような強力な”罰則”を伴う措置であり,こうなると検査証明書の提出はもはや「要請」ではなく「強制」となる。
 同時に,自国へ入国する権利はわざわざ憲法に規定せずとも当然の人権であり,この措置は重大な人権侵害(私権制限)を生じるものと言える。
 実際の運用としては,まず検査証明書がないと出国元の空港から日本行きの飛行機に搭乗できない。検査証明書の有無と内容をチェックするのは,出国元空港にある航空会社の受付担当者であり,専門家ではない(なお,受付カウンターではVISAなど出入国に必要な書類のチェックを一般的に行っており,不備の場合には搭乗券を発行しない。)。しかも検査証明書を作成するのは,厚労省と繋がりがなく不慣れな外国の医療機関であり,記載内容の不備が生じやすい。
 そのため,記載内容の不備が窓口では見落とされ,出国と搭乗は認められたが,日本の検疫所によりその不備が露見し,日本人でありながら日本への入国を拒否されるというケースが実際に発生している。下掲のNHKニュースが報じている件がそれである。
 「要請」に過ぎないはずの検査証明書の内容不備を理由に,日本人なのに日本に入国できない。しかも,その”人権侵害(私権制限)”は検疫法など法律に根拠がない。その意味で,当たり前のように運用されているこの措置は,検疫法に基づかない違法なものにとどまらず,「公共の福祉」をもって正当化することができない重大な人権(私権)制限を伴うものとして,憲法違反の疑義が生じうるものである。

 新型コロナ水際対策 出国前の検査証明厳格化 2人送還(2021.04.20)

 新型コロナウイルスの水際対策として日本への入国者に求めている出国前の検査証明書の提出について、19日から運用が厳格化され、少なくとも2人が書類の不備などを理由に入国を許可されず、出発地に送還されていたことが分かりました。厚生労働省は、書式などに問題がないか確認を徹底するよう呼びかけています。
 政府は水際対策を強化するため、海外から入国するすべての人に対し、出国前の72時間以内に検査を受けて証明書を提出するよう求めています。
 これまでは、書類や検査方法などに不備がある場合、検疫所が管理する宿泊施設で待機してもらうなどしていましたが、19日から原則として入国を拒否しています。
 厚生労働省によりますと、検査で使用を認めている検体は、▽鼻の奥の拭い液か▽唾液のいずれかで、関西空港では、19日、オランダから到着した30代の日本人男性が、複数の検体を混ぜて検査を受けていたことが分かり、オランダに送還されたということです。
 また、成田空港でも、19日、アメリカから到着した20代の女性が、検体の採取から出国までに72時間以上がたっていたため、アメリカに送還されたということです。
 厚生労働省は、検査証明書で求めている内容をホームページで公開していて、書式などに問題がないか入国前に確認を徹底するよう呼びかけています。

【②検疫所が確保する宿泊施設での待機(及び検査の実施)】
 これは,空港での検査が陰性であっても,入国後,検疫所が確保する宿泊施設に「待機」させ,その間,検査を行ういう措置。
 外国人だけでなく日本人も対象で,令和3年6月20日現在,待機の期間は,インド等からは10日間,ベトナム等からは6日間,欧米の一部からは3日間というように,該当国の感染状況により異なる。なお,感染者数が少ないオーストラリアやニュージーランドなどからの入国については,この措置は適用されていない。
 この措置についても,検疫法その他の法律に根拠がなく,これに従わないとしても逮捕されて刑罰を科せられることはない。その意味で「要請」にとどまる。
 この要請に従わなかった場合について,厚労省は「検疫法に基づく停留の措置を取る場合があります。」とし,検疫法に規定された「停留」により実効性を担保しようとしている。
 しかし,停留(検疫法14条1項3号)は,「感染症の病原体に感染したおそれのある者」に対して取られる措置。入国時に陰性で「感染した恐れのある者」とは言い難い入国者に対し「停留」の処分を行えるかは,法的には難しい。この限りなく黒なグレーゾンに敢えて首を突っ込む行政当局はなく,実際に取られた事例はない。
 仮に法律を制定するとしても,諸外国の多くで取られているような,症状が出ていないだけでなく,陽性でもない者について,特定の外国(インドやベトナムなど)からの入国者というだけの理由だけで,待機を「強制」することは身柄拘束に等しく,国家緊急権に関する規定がない現行憲法では難しいかもしれない。

【③誓約書の提出】
 現在,入国にあたり下に掲げる「誓約書」の提出が求められている。
 これはインドやベトナムなどの特定の外国に限らず,また国籍を問わず日本に入国する日本人・外国人に適用されるもので,厚生労働大臣及び法務大臣に対し,14日間の自宅等で待機と公共交通機関の不使用,位置情報の保存・提示,接触確認アプリの導入などを誓約する内容になっている。
 この「誓約書」についても検疫法その他の法令に根拠がない。
 その法的性質は,日本政府と入国者との間の「契約」に過ぎない。入社時に会社に提出する誓約書と法的性質及び効力において異なるところはない。
 仮に「誓約書」が提出できない場合又は提出を拒否した場合には,検疫所が確保する宿泊施設等での「待機」を「要請」することになるそうだ。しかし,これは【②検疫所が確保する宿泊施設での待機】と重複し,”罰則”としての効力は弱い。
 さらにこの「待機」要請にも従わない場合には,検疫法に基づく停留(検疫法14条1項3号)の措置を取る可能性もあるが,その措置に対して検疫法上の疑義があることは前述のとおり。
 下記は,令和3年5月19日付け時事通信社の記事であるが,この【②誓約書の提出】については,「入国した300人と連絡がつなない」など,日本の水際対策に対する批判の象徴な存在になっている。

 新型コロナウイルスの水際対策をめぐり、厚生労働省は19日、自宅や宿泊施設で待機中の入国者のうち、健康状態や所在地確認を求める連絡に応じない人が1日当たり100人程度いると明らかにした。同省は、違反者に対する重点的な見回りなど対策強化に乗り出した。入国時の誓約書では14日間の待機中、毎日の健康状態の報告、所在地の位置情報の保存などが求められている。違反すると、氏名公表や在留資格取り消しなどの措置が取られる。
 厚労省によると、今月9~15日の平均で、1日当たりの対象者約2万2600人を調べた結果、健康状態の報告に応じなかった人は約5000人、このうち4日以上連絡がつかない人が約75人いた。位置情報を送信しなかった人も約6600人に上り、両方に当てはまる人が1日約100人いた。

 厚労省は,誓約書に違反した場合の対応について,「検疫法に基づく停留の対象となり得るほか,⑴日本人については,氏名や,感染拡大防止に資する情報が公開され得ること,⑵外国人については,氏名,国籍や感染拡大防止に資する情報が公開され得ること,また,在留資格取消手続及び退去強制手続等の対象となり得ることがあります。」としている。
 しかし,これらの”罰則”は,法律に基づく制裁ではなく,「誓約書」にそれらの遵守が明記され,入国者がその”約束(制約)”に違反したことに起因する,契約上の”罰則”に過ぎない。これを超えて,誓約書記載の住居に担当官が調査に押し入ったり,警察権力を使って捜索・拘束するようなことは,法的根拠がない以上,法治国家では難しいと思う。

誓約書①

誓約書②

誓約書③


【オリンピックに参加する選手などに対する措置】
 令和3年7月23日に開幕する東京オリンピックに向けては,アスリート&チームオフィシャル向け,放送/プレス向けなど,対象者ごとに遵守すべき事項などを規定したプレイブック(PLAY BOOK)が策定されている。
 プレイブックは,IOC,IPC,東京2020組織委員会,東京都,日本国政府,WHO及び専門家らで構成されるオールパートナーズタスクフォースで重ねられてきた議論も踏まえて作成されたもの。令和3年2月3日に初版,同年4月28日に第2版,同年6月15日に第3版が公表されている。

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 プレイブックは,もちろん法律ではない。
 幸か不幸か,日本では法律が規制していない領域であるため,例外のための立法的措置も不要で,ある意味柔軟に規律することができる。
 法的性質としては,組織内部の集団的規律を目的としている点で,会社の就業規則にや学校の拘束に似ている。
 内容は,検査体制と行動管理を二本柱としている。
 検査体制は入国前2回,到着後は毎日検査というもの。
 行動管理は,行動計画の提出,自室隔離,GPSで行動管理などを内容とし,スマホを持ち歩かないだけで違反とみなされる。ICSUという組織がこれを管理するとしている。
 違反した場合には,出場停止や帰国などの措置が取られる。その意味で,オリンピック関係者にはドーピング検査に等しく,前述の一般人向け水際対策よりも遥かに厳しい強制力を持っている。

【IOCの役員と職員に対する措置】
 ところで,アスリート等についてはプレイブックの改訂を重ねるなど早い時期から協議が行われていたが,国際オリンピック委員会(IOC)の役員及び職員については,特別の取り決めがなかった。これらの者に対する措置については,令和3年6月8日,国会での答弁(下掲)に先立ち,その内容が閣議で決定された。

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 国際オリンピック委員会の役員及び職員に係る「隔離期間」については,入国後14日間宿泊施設で待機することを原則としつつ,大会の運営に支障がある場合には,一定の条件の下,活動することを認めることとし,当該役員及び職員に対する新型コロナウィルス感染症に係る「検査」については,居住国等を出国する96時間前から出国するまでの間に2回及び入国時に1回検査を行うほか,入国後3日間は毎日検査を行い,4日目以降も必要に応じて検査を行うこととしている。

 閣議決定によるI OC役員等に対する措置は,確かに【②検疫所が確保する宿泊施設での待機】及び【③誓約書の提出】による合計14日間の自宅等での待機を軽減するものではある。
 しかし,その反面,出国前72時間以内の1回の検査で足りる【①検査証明書の提出】に基づく検査をかなり厳格にし,さらに【②検疫所が確保する宿泊施設での待機(及び検査の実施)】についても,3日間毎日検査を要するなど一部を厳格化している。
 令和3年6月15日に来日したIOCコーツ委員に対しては,この閣議で決定された措置が取られたが,単純な「特別待遇」という批判はあたらないように思う。
 特にコーツIOC委員は,オーストラリアから来日している。オーストラリアからの入国者については,前述のように【①検査証明書の提出】と【③誓約書の提出】は適用されるが,一般人には【②検疫所が確保する宿泊施設での待機(及び検査の実施)】は適用されていない。入国後3日間検査を受けることになるコーツIOC委員にとっては,一般人より厳しい措置がもう一つ付け加えられているとも言える。

東京で弁護士をしています。ホーチミン市で日越関係強化のための会社を経営しています。日本のことベトナムのこと郷土福島県のこと,法律や歴史のこと,そしてそれらが関連し合うことを書いています。どうぞよろしくお願いいたします。