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時の権力が愛でたフエの鉄橋

  べトナムの古都フエ (Huế),香る河を意味する Sông Hương に架かる橋。ライトアップされて七色に灯ります。

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 1887年から1889年にかけて,費用はベトナム持ち,設計施工はフランス,パリにある彼の塔のエッフェル氏が設計した鉄橋。
 完成当初は,当時のベトナム年号から「成泰橋(cầu Thành Thái)」と名付けられたそうです。
 しかし,その時の成泰帝が,1907年に譲位して即位した息子の維新帝(Duy Tân)がフランスに反抗,その連座で,フランス領マダガスカルのさらに孤島のレユニオンに息子と一緒に流刑になったことを受けて,第一次世界大戦下のフランス首相の名前を取って,クレマンソー橋( cầu Clémenceau)に変名されたそうです。
 やがて,第二次世界大戦下の1945年3月に日本軍がフランス軍をベトナムから放逐(明号作戦),阮王朝のラストエンペラー保大帝(Bảo Đại )がベトナム帝国皇帝になり,その下で,阮氏の開祖の名を冠して「グェン・ホアン橋(cầu  Nguyễn Hoàng)」と改名に至ったようです。グェン・ホアン/阮潢(cầu  Nguyễn Hoàng)は,1600年頃,ベトナムの広南地方(現在のフエ,ダナン,ホイアン辺り)を支配しており,いわゆる朱印船貿易ので豊臣秀吉や徳川家康と交流があったことを示す書簡が日本に残っています。

 その後,ベトナム戦争などを経て,現在の「チュオン・ティエン橋(Cầu Trường Tiền)」に変更され,現在に至っています。

東京で弁護士をしています。ホーチミン市で日越関係強化のための会社を経営しています。日本のことベトナムのこと郷土福島県のこと,法律や歴史のこと,そしてそれらが関連し合うことを書いています。どうぞよろしくお願いいたします。