見出し画像

日本語の妙味

人の文章に赤入れするはなかなかに難しい。最近、クライアントから、企業として表に出す文章の確認を定期的に頼まれている。文章って唯一絶対の正解がなく、文脈に大きく依存するものなので、毎回、悩みながら落としどころを探って手直ししている。

例えば、「下記」や「上記」といった表現。これらは、「記」+「以上」という2つの言葉がセットになって初めて、「記」書き以下、以上までの内容を参照させるという日本語だ。ただ、「以上」がないケースはもちろんのこと、「記」すらない文章も世の中にはあふれている。そして、このことは、大半の日本人にとって、どうでもいいことである。

がしかし。社会人になりたての頃、下っ端役人だった私は、当時の上司からこうした指導を受ける。

「あら、この文章、以上という締めの言葉がないわね。この下記って一体、どこまでを指しているのかしらねえ・・?」

上司は手にした書類の下にあった書類をめくりながら、ここも含まれるのかしら?そうだとしたら大変だわ、というポーズをとる。内心、そんなことどうでもよくないですか?と思いつつも・・そんなことを言えるわけもなく、平謝りするしかないのだった。そんなわけで、私にとって「記」書きと言えば、「以上」を欠けば日本語にあるまじ!くらいのインパクトを受けたのだった。

人様の文章を見るとき、つい職業病でそういうところに目がいってしまう。大半の日本人はまったくもって気にもとめていないであろう表現について、どこまで手を入れるべきか。これは日々葛藤である。

なお、個人的な判断として、間違っているとわかっていてスルーするのは失礼ではないか、との意識もあり、「下記の問い合わせ」を「以下の問い合わせ」と修正することにした。すると、ここはなぜこのような修正になったのか?と聞かれ、「記」書きというのはですね、と日本語の説明をする。これをほぼ毎週のようにやっている。

そんなやりとりがひと月ほど続いたある日。私があまりにも日本語の説明をいろいろして、私の日本語のベースになっているのはこれですよ、と大企業の広報部で手渡されたこちらの辞典を紹介したところ、「買いました!」という連絡が。買う必要はないですよ!とお伝えしたにも関わらず、学びがためになるのでもっと深めたいとのことだった。

広報の仕事は地味な積み重ねで、文章の手直しは決して誰かの目に触れるものではない。けれど、こうして誰かの心に何かが灯る瞬間を見るのは、やっぱり嬉しいもの。そして、そういう人をサポートする喜びというのがあるのだな、ということを感じるに至る。

そうそう、かくいう私は現在はこの本を持っていない(どやねん)。

なお、先日公開したnoteの記事。PRの仕事は「属人的」と言いたかったところ、PRの仕事は「俗人的」になっていた。こりゃ、意味が全く異なってしまうではないか・・!登壇者の方が間違いを指摘してくれ、すぐさま修正したのだった。人の間違いには気づきやすいが、自分の間違いには気づけないものである(ごめんなさい)。この記事にもとんでもない間違いがあったら、ぜひ、そっと教えてください。

(おしまい)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?